「っくしゅっ!!あ"〜っ」

その年は昨年から続くラニーニャ現象の影響で全国的に大寒波が到来。東京郊外の山間部に位置する高専はもちろんのこと、ここ、大都市東京にも異例の寒さを象徴するかのような真っ白い雪が降った。

『五条先輩、呪詛師に動きありました?』
「全っっっぜんない。…それより買ってきた?」
『はい。こっちが五条先輩の分です』
「ちゃんと僕のオーダー通りだよね?」
『もちろん』

ビルの屋上。渡された紙袋を受け取った五条がさっそく中身を確認する。食欲を刺激する甘い匂いがふわりと香って、寒さと呪詛師に対する苛立ちがわずかにおさまった。

『ホイップとシロップ増し増しのホットココアとチョコレートワッフルとハニードーナツ。あとついでにあんまんといちご大福買っときました』
「和洋折衷かっ」
『あ、そうだ五条先輩あとこれも』
「ん?」

袋の中からホットココアの入ったカップを取り出し顔を上げると、目の前にいる純が自身の首元にマフラーを巻いてくれた。柔らかくて心地のいい温もりに包まれその瞬間、五条の目がサングラスの奥で大きく見開かれる。

『よかった。似合いますね』
「…え、なに?」
『先輩見るからに寒そうだから買ってきました』
「………………」
『安物ですけど、とりあえずそれ着けといてください』
「………………」

寒さで赤くなった頬が愛らしい笑顔をよりいっそう引き立たせる。純に抱く想いが頬を火照らせ左胸を踊らせるも、そんな心情を隠すようにダークグレーのシンプルなマフラーに顔を埋めてから、五条は口元に弧を描いた。

「純、ありがと」

素直に感謝を口にした五条が純の頭をわしゃわしゃと撫でる。珍しいこともあるんだなと内心呟き顔を向けると、そのまま後頭部を固定され二人の距離がぐっと近づいた。

「もっとあったかくなることしていい?」
『………はい?』

サングラス越しの六眼が、濁りのないガラス玉のような瞳を真っ直ぐ見つめる。これまでの、そう長くはない人生。幼い頃から世に蔓延る醜悪ばかりを見てきたはずなのに、純の瞳は羨むほどに澄みきっている。それはまるで、なんの先入観も持たず生まれてきた純粋無垢な赤子のように美しい。

『…あ、あの…五条先輩…』
「お前はずっと、僕の隣にいてね」
『…えっ…』
「大好きだよ純」

"大好き"

少し苦しそうに告げられた五条の想いが、純の心と体に溶けていく。気づいた時には重なった唇からとても甘美な熱が伝わり、ほんのわずかな時間だけ…東京の街に降る雪の冷たさを忘れかける。

「ねえ」
『…ん?』
「…もう一回」







幸せそうに懐かしい思い出話しをする五条を見つめながら、乙骨は緩い表情を浮かべ左頬を掻く。しかし一方で、任務完了後高専までの帰り道に教師の惚気話を聞かされた真希とパンダは口々に文句を吐き出し、棘は五条に白い視線を向けた。

「ちなみにこのマフラーも純から貰ったの」

乙骨の隣を歩きながら、首に巻いたマフラーを指差す五条。

「へぇ〜っ。愛されてるなあ、五条先生」
「まあ僕最強だから。愛され方もレベチなんだよね」
「…え?」
「お前が純に付き纏ってるだけだろ」
「愛され方じゃなくて悟の愛し方が異常説、あるよな」
「しゃけしゃけ」

犯罪者でも見るかのような視線を五条に向けて、不満を口にする真希とパンダ。棘もそれに賛同する意思を示すと、口元に笑みを浮かべた五条がくるりと振り向き、左手の人差し指をビシッと突き出しこう言った。

「はい。三人は明日も任務入れとくから」
「はあっ!?ざけんなっ、明日日曜じゃねぇか!」
「おかか!」
「僕への暴言一回につき任務一回。当然でしょ」
「お前近々訴えられるぞ!」

いつものやり取りが場の空気を和ませ賑やかなものにする。今年の冬の寒さも堪えるが、心の奥から温かくなるような穏やかさに乙骨は四人の様子を見つめながらアハハと笑い声をもらした。その瞬間、少し離れた場所から"みんなお帰り〜"と優しい声が聞こえてきて、視線を向ければそこには笑顔で手を振る純がいた。

「オイ純!このバカ止めっ…」
「純ちゃ〜ん!」

真希の言葉をわざとらしく遮って、誰よりも早く駆け出した五条の姿は少年のように無邪気で、純への想いが垣間見える。

「ただいま♪」
『先輩、私のマフラー勝手に持ち出さないで下さいよ』
「え〜僕こないだ貰うねって言ったじゃん」
『いや、いいなんて一言も言ってないんですけど…』

"それ高かったんだから返して"と手を伸ばしてくる純をかわし、もう自分の物だと言い張る五条。やることなす事本当に子供っぽいなといつも通り表情を歪めたその瞬間、持っていた紙袋から真っ白なマフラーを取り出した五条が純の首元にふわりとそれを乗せ納得したように笑みを浮かべた。

「純はこっちのほうが似合うよ」
『…え』
「可愛いから写真撮って七海に自慢しよ〜っと」
『ちょっ、七海はやめて!』

ポケットから携帯を取り出し許可なく連写し始めた五条に待ったをかける純。ヘラヘラと緩い笑いをこぼしながらやり取りを楽しんでいると、乙骨の弾んだ声が聞こえてきた。

「純先生似合いますね!可愛いです」
『えっ。…そ、そうかな?』
「は?なんで憂太に照れてんの?」
「つーかそれ買うためにこいつ15分も遅刻して来たぞ」
「今回は純も共犯だな。悟の遅刻の原因だし」
『え?また遅刻?…何してるんですか?』
「てへっ☆」
『うわっ…』
「高菜〜明太子っ。…ツナマヨ」
「そーそー。うざかったよなあ、悟の惚気話」
「ああ。道中ずーーっと聞かされてたもんな」
『……はい?』
「僕は結構楽しかっ…」
「憂太は黙ってろバカのためにならねえからっ」
「(真希さんコワッ!!)…は、はい」

これまでに何百回…いや何千…いや何万回と口を酸っぱくして言ってきたことだろう。生徒の前では自分たちの関係をひけらかすような発言はしないでほしい。公私混同はしたくないから、と。その度に理解したような態度を示すくせに、次の日になると平気な顔して注意されたことを繰り返す。それも悪びれる様子は一切見せずに。生徒たちから出る不満の数は増えるばかりで、純は深いため息を吐きながら五条を睨みつけた。

「ってことだから今日の夕飯は純が担当な」
『え…私これから伊地知君とミーティング…』
「いいね真希さん!僕純先生の手料理大好き」
「俺も〜」
「僕も〜」
「しゃけっ」
『ぐっ……みんなそんな風に思ってくれてたなんてっ…』
「寒いから鍋な」

生徒たちからの押しに弱い純は両頬に手を添えて感極まる。単純だな…と乙骨以外に思われながらも"分かった任せて!"と綺麗な笑顔で返事を返した。

「じゃ、一旦お開き!みんなは任務の報告よろしくぅ」
「そうゆうのって教師の仕事じゃねーの?」
「え、みんな鍋食べたいんでしょ?僕の奢りで」
「っしゃあ!行くぞお前ら」
「しゃけ〜っ」
「ね!僕も楽しみだよっ」
「憂太は今日働いてないから肉少なめな」
「え〜っ!?酷いよパンダ君!」
「パンダに一票」
「真希さんまでっ!!」

楽しそうな四人の姿を見つめながら純が幸せそうに微笑む。人の負の感情と向き合う呪術師には、こういった時間や繋がりが必要不可欠だと常々思う。願わくば、誰一人として欠けることがないように…そう強く願いながら貰ったばかりのマフラーに触れると、五条の腕が純の肩を抱きしめた。

「幸せ?」
『幸せですよ』
「そっか。じゃあ僕も幸せ」
『何ですかそれ』
「純が幸せならそれでいいじゃんってこと」
『それって五条先輩にとっての幸せなんですか?』
「さあ。でも、お前が笑うと僕も嬉しくなるのは事実だよ」

四人の姿を見つめながら、過去に失った二人の面影を重ねる純。

『私も、五条先輩が笑うと嬉しくなるな…』

楽しかった青い春。自分一人だけではどうしたって埋められない五条の孤独。夏油傑の代わりには…どう足掻いてもなれはしない。悔しさとはまた違う、苦しさみたいな感情を胸の奥にしまい込みながら、肩に回された腕をやんわりと解きそのまま手を繋いで歩き出す。

「ちょっと待って、純」
『ん?』

数歩歩みを進めたところで五条が立ち止まり、純の手を引く。そして着けている目隠しを片方だけ捲り上げ、美しく輝く六眼に純の姿を焼きつける。

「大好き」
『…クスッ。なんか、昔のこと思い出しました』
「へへっ。その時のこと、さっきみんなに自慢しといた」

ああ、愛おしい。同じ過去を共有できる貴重な存在。そんな些細な幸せに、五条は繋いでいる手をより強く握りしめて、少し長めに唇を重ねた。互いの体温をはっきりと感じ取れるくらいに。そしてわずかな距離を置き、額を重ねる。

「ねえねえ」
『…プッ…』

白い雪の降る日だった。
一人危険な呪詛師を追う純が心配で、無理矢理任務に同行した。あれから随分と月日が経ったが、互いを思う気持ちは変わらずにあたたかいままで幸せを感じる。

『「…もう一回」』

そう言って吹き出すように笑い合い、純の体を強く強く抱きしめた。


*あのは戻らないけど。


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