ー純が消息を絶つ二週間前。

「父親が見つかった…?」
『うん…。三日前に九十九さんから連絡がきて…』
「…また唐突な話しですね」

任務終わり。
話したいことがあると言われて高専へ出向いた七海。
あまりいい予感はしていなかったが、案の定。
深い溜息を吐いた純は、相当思い悩んでいるようだった。

「どうぞ」
『ありがと七海…』

静かな食堂に二人きり。
少し学生時代を思い出す。
湯気の立つカップを純に差し出すと、力ない笑顔が返ってきた。そんな同期の姿を前に、無理もないと七海は小さなため息を吐き、向かい合うようにして椅子に腰を下ろした。
純の両親のことを知ったのは、高専に入学して数ヶ月が経った頃…親睦を深めようとそれぞれの生い立ちや、なぜ呪術師を志したのかを今は亡き灰原と三人で語らい合っていた時のことだ。
当時その話を聞いた時は、かける言葉が見つからなかった。
楽観的で根明な純からは想像もつかなかったのだ。
彼女の幼少期が同情することすら痴がましいと感じてしまうほど、壮絶で、悲しい…酷く呪われたものだったなんて。





「…なるほど。では近々アメリカに?」
『うん。…正直今さら、会いたくないんだけどね』

"妻と娘を捨てた男になんてさ…"
一通り話し終え、憂鬱を吐き出すようにそう言った純の視線が遠くを見つめる。彼女の視線の先に在るのが父親なのか、それとも別の何かなのかは分からなかった。が、その瞳がわずかな悲しみの色を帯びていることだけは確かで、七海はすっかり冷めきってしまったコーヒーの入ったカップに視線を落とした。

『でも、私がかけた呪い・・・・・・・だから…』
「………」
『私が責任持って解呪して、祓わないと』
「…そう…ですね」

気の利いた言葉が、出てこなかった。
あなたのせいではないなんて、今の純にはただの気休め。大丈夫だと励ますことも、辛いだろうと同情することも違う。今はただ…彼女が一人背負っている呪われた運命を受け止めて、ともに寄り添うことが必要なのだ。だが今の自分には、純を抱きしめ安心させてやることすら叶わない。
それができるのは自分ではない。
それができるのはたった一人だけだ…。
七海は内から湧き上がってくる苛立ちをコントロールしようと、冷めたコーヒーを一口啜った。

「…五条さんにはこの話はしたのですか?」

いたって平静に、感情を気取られないよう問いかける。

『もちろん。…でもあの人は、私の父親になんて興味ないから』
「興味が有る、無いの話ではないでしょう」
『五条先輩にとってはどうでもいいみたい。分かるでしょ?』

多くを語らずとも、純の言いたいことは痛いほど理解できる。同意せざるを得ない質問に、七海は中指でメガネを押し上げてから肯定の意を示した。しかし二人とも、五条の気持ちが全く分からないというわけでもない。20年以上も前に妻子の前から姿を消し、生死不明となった男のことなど関心がなくて当たり前なのだ。
それが例え、純の父親であろうとも。

「ですが、当然二人で行かれるのですよね?いくら関心がないとはいえ、あなたが一人海外に行くことを許可するとは思えない」
『それなんだけど…一人で行くことにした』
「…は?」
『先輩には関係のないことだし、それに…』
「それに?」
『…呪いのことは伝えてなくて』
「純…。それは一番大切な…」
『だってあの人、全然話し聞かないんだよ?』

シリアスな雰囲気の中、呆れたように表情を歪めて椅子から立ち上がった純を目で追う。どうあしらわれたかは想像に難くない。が、こんな状況ですらまともに話しを聞けないのかと、抑えていた苛立ちが七海の口角をわずかに下げた。
それでも純を守れるのは、あの男だけだ。

「五条さんの気持ちを推し量るほど無駄なことはありませんが、それでももう一度…話しをした方がいいのではないですか?」
『……ん〜…』
「面倒なことになりますよ?彼はあなたのことを誰よりも…」

"愛しているのだから。"
その言葉を飲み込んで、七海は口を閉ざし瞳を伏せた。
悔しい、なんて柄にもない感情が溢れ出す。
言ってしまえば自分の想いが五条よりも劣っているように感じてしまって、だから届かなかったんだと、まるでここにはいない不快の原因に、現実を突きつけられるような気がしたから。

『この件に関しては、もういいの』
「……」
『五条先輩が日本を離れたら生徒たちが困るし、それに…』
「それに?」
『少し怖くなっちゃってさ』
「?」
『…昔のこと、知られるの』

そう言って差し出された湯気の立つコーヒーカップを受け取り視線を重ねると、言葉とは対照的ないつも通りの笑顔が返ってきた。

「全て知られているのに、ですか?」
『今さらなんだけどね。ちょっと不安で』

純はカップに入っているコーヒーを啜り、肩をすくめて戯けてみせた。他人から見れば対したことのない劣等感も、経験した本人にとっては人生を左右するほど大きな物になり得てしまう。昔から自身の幼少期に引け目を感じて生きている純にとって、五条が実際に自分の育った環境を目の当たりにし、どう思うのかと不安なのだろう。

「それは、取り越し苦労ですよ」
『だといいんだけど』
「何か軽率な発言をしようものなら私が引っ叩きます」
『あはははっ。さすが七海!ありがと』

頬杖を吐き、白い歯を見せ笑う純。
もう、なにも引け目を感じなくていいのだと、七海は誰よりも五条の隣を歩くに相応しい女性へと成長した同期の姿に、小さな笑みを浮かべた。

「まあ、結婚前の自由期間…」
『ん?』
「五条さんと距離を置ける良い機会とも言えますね」
『…プッ。そうだね。最初で最後の機会かも』
「そうゆうことなら、全面的に協力しましょう」
『え、いいの?迷惑かけるかもしれないのに…』
「同期の誼です」

そう言った七海の言葉に、純が嬉しそうに微笑んだ。



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