ーアメリカ,ミズーリ州セントルイス

日本との時差14時間。
成田空港からの直行便はなく、シカゴで乗り継ぎ約13時間越えのフライトを経て辿り着く。ここセントルイスはアメリカの一般的な中規模都市で、国内で初めて某大規模スポーツ大会が開催された土地でもある。だがそんな華々しい歴史とは裏腹に、186ある街の中では最も治安の悪い街であり、身の安全を保持するためのルールはさまざまあるが、セントルイスでは特に、ダウンタウンの北側には近づくな…が鉄則である。

「純、シカゴには着いたみたいだね」
『"うん。やっぱり電車じゃなくて車で行く"』
「じゃあ、あと5時間ってところか」
『"ごめんね待たせて"』
「まあゆっくりおいで。こっちは大丈夫だから」
『"…状況は?"』
「落ち着いてるよ。発現してる呪霊も強くて2級程度だし」
『"え…三日前は蝿頭程度の呪霊だって…"』
父親おおもとが成長してるんだ。当然だよ」

陽の光が差し込んで目どこか薄暗い路地裏を歩く九十九由基。
下水の臭いが鼻を刺すが気にしない。
海外生活が長いためか、スラムで違法薬物に堕ちた人間がただ何をするわけでもなく虚無を見つめ、冷たいコンクリートの上に座っている姿はもう見慣れた。タバコ片手に一夜で大金を稼ぐ売人に始まり、強姦、窃盗、殺人などが蔓延る人の最悪が集う街。これだけの憎悪や欲望が渦巻いているにも関わらず、海外での呪いの発現率は極めて低い。
が、ここ数日は様子が違った。

『"、今どんな様子?"』
「あまりいい状態じゃないよ。痛みと恐怖で叫びっぱなしさ」
『"そう…。苦しんでるんだ"』
「可哀想って思ってる?」
『"どうかな。…家族だって実感もないし…"』
「私は他人だから、自業自得だって思うけどね」

九十九の中で、純の父親に対する情は皆無だ。
 
「純が責任を感じる必要はないよ」
『"うん、分かってる…"』

優しい愛弟子のことだから、名ばかりの父親に対しても情を抱き悲しんでいるのではないかと心配していたが、取り越し苦労だったようだ。電話越しの声はいつもとなんら変わりはなくて、無理をしているようにも感じられない。まだ直接今の父親の姿を目の当たりにしていないかもしれないが、それくらいの気持ちでいいんだと九十九は内心呟いた。

「じゃあ、何か異変が生じたら連絡する」
『"私も。…あ、九十九さん"』
「ん?」
『"一緒にいてくれて心強い。本当にありがとう"』

穏やかな口調でそう言った純の言葉に笑みを浮かべて、目の前に現れた呪霊を片手で軽く祓いのけた。路地裏を出た九十九は乗ってきたバイクに跨り、片手を何気なく腰に置いて口を開いた。

「いいんだよ。私が純のそばにいたいんだから」

そう言って、白い歯を見せ満足げにニカッと笑った。



『…ふぅ』

電話を切り、人混みを避けるようにして空港の外に出る。天気はあいにくの雨。これでは渋滞は間逃れられないなと小さく肩を落とし、レンタカーカウンター行きのシャトルバスに乗り込んだ。
窓から見える景色には目もくれず、純は携帯の着信履歴を見つめたまま気落ちしたような表情を浮かべる。何度スクロールしても表示され続ける五条の名前に軽く溜息を吐いて、数ヶ月前のやり取りを思い出していた。

「父親が見つかった?」
『はい。…今朝、九十九さんから連絡がきて』
「へー」
『…興味無いですか?』
「ないよ。あるわけないじゃん嫌いだもん」
『ろくでなし過ぎて?』
「つーか、もういないもんだと思ってる」

"あんなクソ。"と姿も名前も知らない父親がいたという事実すら消し去るかのように手で追い払い、舌打ちをする。どんなに人間であろうが自分にとっては唯一の父親。否定されるのは心外だ。という気持ちを持ち合わせているわけでもなく、純は五条の反応を平然と受け止めた。

「で?なに?今さらお前に会いたがってるとか?」
『じゃなくて。…いろいろあって、一度会って…』
「え」
『え?』
「いやいや、意味分かんない。なんで会おうとしてんの?」

横になっていたソファから上半身を起こし、向かい合うように座っている純をじっと見据える。冗談じゃない。今さら何を言ってるんだと、五条の心の声が聞こえた気がした。

『実は昔…私、父に対して…』
「やめてその、あたかも父親ですって呼び方すんの」
『…………』
「お前を捨てた男だろ?そんなのほっとけばいいじゃん」
『…そうゆうわけにいかなくて…』
「会ったところで感動の再会にはならないんだからさ」
『…五条先輩、話し聞いて下さい…』
「どんな事情があるにせよ、会いに行かないで」
『…………』
「悪いけど、絶対関わってほしくない」
『…………』

純の父親に対し、なにか積み重ねてきた思いでもあるのか…五条はどこか冷めたような声色でそう言い切ると、押し黙ってしまった純に向かって左手を差し出し、

「分かった?」

と一方的な理解を求めた。

『…分かりました』

自分と同じエンゲージリングがきらりと光る左手に右手を添えて、純は瞳を伏せながら小さく頷いた。

『…怖くて言い返せなかったんだよなあ…』

バスの窓に寄りかかり、ふぅと息を吐いた純。
父親の件は、五条という絶対的な存在から距離を置くいい機会だったのかもしれないと、七海の言葉を思い出す。縛られたような主従関係では決してないが、基本的決定権をさらっていくのはいつも五条のほうだ。彼の自由奔放な行動はどうやったって制御できずに、結局そのペースに自分が合わせていくしかない。
それが最も効率のいいやり方だと分かっていても、正直とても疲れる方法だ。女は男の一歩後ろを歩いて控える、なんて思考を持ち合わせていない純にとっては負担にしかならない。
七海はそこを、一番に理解してくれていた。
だからこそ二ヶ月もの間なにも言わずにいてくれたのだ。おかげで五条の足止めに繋がり、自由に動ける時間ができた。

「お客さん、着いたよ」
『ありがとう』

だが結局は、五条と離れる理由が見つからなくて…婚約に踏み切った。
御三家の人間とは関わらないと決めていた自分がだ。
携帯を上着のポケットにしまって、バスを降りる。
もう考えるのをやめよう。
そう切り替えて予約しておいたレンタカーをピックアップするべく受付に声をかけると、さっそく出鼻を挫かれた。

『はっ?予約がキャンセルされてる?間違ってない?』
「ええ。確かですよ。ご予約はキャンセルされてます」
『いつ?』
「昨晩ですね」
『え、なんで?私キャンセルした覚えないんだけどな…』
「再度申し込まれます?」

そんなはずがないと困惑の表情を浮かべる純に対し、白人の中年女性スタッフがフレンドリーな声色で申請書を差し出す。ここでもたもたしていては時間が無駄だと用紙を受け取り、持っていた荷物の中からパスポートを取り出そうとしたその時だったー。

「純ちゃんみーっけ」
『…!!!!!』

突然背後に現れた独特の気配。
間違えるはずがなかった。

「ああ、お客様のお連れの方でしたか」
「うん。どうもね」
『…(うそっ…なんで…っ)』
「純」

聞き慣れた声に名前を呼ばれたと同時に腹部に両腕が回される。驚きと緊張が体中を駆け巡り、冷や汗がこめかみを伝った。予約していたはずのレンタカーがキャンセルされていた時点でもっと警戒心を持つべきだったと、純は肩越しに自分の顔を覗き込んできた人物にゆっくりと視線を向け後悔した。

「二ヶ月ぶり。探したよ」
『………五条先輩』



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