「絶対に彼女を責めないでください」

七海がいつも純の肩を持つのは、同期のよしみってだけが理由じゃないのは分かってる。
気持ちがないフリをしているわりに、必ず純を擁護する。
物事を冷静に俯瞰することのできる大人のあいつが、だ。
例え99.9%彼女に非があったとしても。

「いいですか五条さん。今回もあなたが原因です」
「お前が僕の肩持ったことなんて一度もないだろ」
「それはいつもあなたに非があるからでは?」

これは僕に対する、七海からのささやかな抵抗らしい。
あいつの想いも抵抗も、うんざりするような説教もどうだっていいけど、純が僕じゃなく七海を頼ったことがどうにも気に入らない。僕が本気で嫌がるのを分かってて、あの女は平気な顔して七海を特別扱いする。灰原が死んで、七海は唯一の同期で親友だからって理由を並べて。
でも多分、それだけじゃないのはなんとなく分かる。

「七海さ、まだ気にしてる?」
「はい?」
「僕がお前と純の仲、壊しちゃったの」
「………」
「すげー短い間だったけど、両思いだったじゃん」
「………」
「純にはキレられたけどお前はどう思って…」
「そんな昔のこと、もう覚えていませんよ」


想い合っていたから、七海を頼るんだろ。
そんな純にもしらを切る七海にも、腹が立つ。

「…ふぅん。じゃあ純の行き先教えて」

本当に、先輩面し甲斐のないやつだ…。



ー現在

空港でついに五条に見つかり、当然話があるからと連れて来られたホテルの一室。

「いや〜、まさかこんな形でシカゴに来るとはね。予想外」
『五条先輩あの、本当にすみませ…』
「とりあえず、入籍は見送ることにしたから」
『え…?』
「妥協して決めた結婚なんてしないほうがいいじゃん」
『え、いやっ…今回私、そんなつもりじゃ…』
「分かってる。父親の件でしょ?」
『…はい』

ずしりと鉛玉のように重くなった気分を抱えながら部屋に入ると、自分の荷物をベッドの上に放り投げた五条が言葉とは対照的な笑顔を浮かべながら大きな窓から雨の降るシカゴの街を見下ろす。

「父親の件とは関係ない。お前の気持ちと行動の問題」
『……』
「指輪は?」
『失くすといけないと思って今は…』
「いいよ別に。僕らこうゆうの似合わないし」

五条の指摘に指輪のついていない左手薬指を撫でる純。
確かに彼の言う通り、結婚というある種枠の中に納まる関係が自分たちに向いているとは思えなかった。

「今持ってる?」
『はい』
「貸して」

外の景色を眺めていた五条が振り返り、自身も上着のポケットから指輪を取り出す。一度貰った婚約指輪を返すことになるとは思っていなかったが、ここで絶対に嫌です。と言い返す気はなく、なんとも言えない感情を抱えたまま五条に歩み寄り指輪を手渡した。

「憂太と里香みたいにはなれなかったね」
『…あれは特殊なケースでは…?』
「僕が死んで呪いになったら純のせいだから」

いつものように冗談を言い、ケラケラと笑った五条の手の中で二つの指輪が一瞬で砕け散る。
もう元には戻らない。
だが不思議と寂しさは感じられなかった。

『あの…怒らないんですか…?』
「お前の顔見たらそんな気失せたよ」
『………』

本当は違う。だが純を責めたところで無意味なことは理解している。空港で七海に言われた言葉を思い出しながら感情の出口に蓋をして、穏やかな笑みを浮かべた。

「言っとくけど、婚約を解消するわけじゃないから」
『じゃあなんで指輪を…』
「お前が妥協で受け取った指輪なんて要らないもん」
『妥協なんてそんなっ…人聞きの悪い…』
「婚約直後に突然消えて二ヶ月間も音信不通だったのに?」
『それは…だから事情が…』
「今じゃなかった。それだけだよ」

純の言葉を遮るようにしてそう言った五条が、首のうしろに手を添えながら視線を逸らした。

「お前の気持ちが固まらないのに、無理強いはできないだろ」
『………』

いつもは自分の気持ちばかりを押し通そうとするくせに、不本意だと顔で訴えながらも歩み寄りを見せた五条を前に純が意表を突かれたように立ち尽くす。柄にもないことをしたと嫌悪感を感じながら、純の横を通り過ぎてベッドの縁に腰を下ろした。

『…五条先輩…』
「まあ、もうその話しはいいから。それよりホラ、お前の親父は?どうなってんの?」

シリアスな空気をしっしっと払うように手首を振り、話題を変える。落胆しているわけではないが晴々とした気分でもない。窓から見える雨が自身の心の内を再現しているようで、少しばかり腹が立った。そんな景色から視線を逸らすようにして背中を丸めて前屈みになり俯くと、歩み寄ってきた純が寄り添うように隣に座った。

『私、母を呪う前に父親のことも呪ってたみたいです』
「それって、父親も呪霊に転じたってこと?」
『はい』

俯かせていた顔を上げて対照的なカッパーレッドの瞳をじっと見つめると、少しだけ言いにくそうに目を伏せた。
彼女が黙っていなくなったのは、自分を捨てた父親を見てみたいという好奇心からでも、感動的な再会を果たしたかったからというわけでもない。自分に与えられた力が災いとなり呪ってしまった父親を祓うために、仕方なく嫌な思い出ばかりが残る故郷へと足を運んだのだ。

「お前がかけた呪いなら、お前にしか解けないね…」

五条の言葉に、ゆっくりと頷く純。

"愛してくれないのなら、いなくなればいいのに。"
幼少期、ドラッグとアルコールに溺れた母親に対し強くそう思った瞬間、母が呪いに転じて死んでしまったと純から聞いた。
自分を見捨て、離れていった父に対しても同じような感情を抱いていたのかもしれない。
"いつかどこかで死んでしまえばいい。"と。

『呪術師が呪いを生むなんて、皮肉ですよね』
「僕もいざって時はお前を呪うかもよ?」
『…本気だとしたら笑えません…』
「本気だよ。ずっとお前のこと愛してんだから」

かけていたサングラスを外し、まるでダイヤモンドを散りばめたかのように輝く瞳で純を見つめて髪を撫でる。内から溢れ出す愛おしさを感じながら柔らかな頬に手を添えると、薄く開いた桜色の唇にゆっくりと触れるだけのキスをした。

「…父親のことは、悪かったよ」
『………』
「ごめんね」
『…いえ…』

互いの唇が離れていく気配に目を開けると、すぐに二回目のキスをしたいという想いにかられて目を閉じる。額を重ねて己の欲に身を任せてしまいたいという衝動を抑えながら、五条は純の体を強く抱きしめ首元に顔を埋めた。

「純…」
『……?』
「今後僕の性格が良くなることはないんだけどさ…」
『……』
「どんな理由があるにせよ、そばにいて。離れないでよ」

記憶の片隅にちらつくのは、自分の隣を歩んでいた頃の親友の姿。あの日…手の届かないところへ消えてしまった友への思いを埋めてくれたのは他でもない、今も変わらずそばに居続けてくれる橘華純だった。

『先輩の性格が良くなる期待はしてないし、今後も尊敬することはないと思います。…けど』
「……?」
『ずっと隣にいるってことは、変わりません』

大きな背中に腕を回して、"こんな場所まで来てくれてありがとう。"と感謝の言葉を伝えると、首筋に五条の甘い吐息がかかりチクリと軽い痛みが走った。

「純がいるなら、どこへだって行くよ」
『…大好き。五条先輩』

優しくて柔らかな声に乗せられた思いが五条の心をとろりと溶かし、愛おしいという感情が胸の奥から溢れ出す。埋めていた顔を上げて純を見つめると、その愛らしい笑顔に理性という壁がいとも容易く崩壊した。



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