ー2018年、現在。

「伊地知さん、橘華先生呼んでください」
「え、ですが橘華さんは公休で…」
「でもこのままじゃ校内の備品全壊しますよ」
「(確かに!今の五条さんならやりかねないっ)」

食べ物の恨みというやつは、悪気がなく取った、取られたケースがほとんどだ。しかし食べるということが人間にとってとても重要な役割を担う以上、「自分の好物を食べられてしまった」という些細な出来事が大きな事件に発展してしまうことがある。

ーパリーンッ!

「ああっ…!伏黒やべーぞ!また窓割れたっ」
「なにやってんだあの人…!」
「私たちが歌姫先生何とかするから、五条先生よろしく!」
「大至急!橘華さんに連絡します!」

人間の三大欲求は最強呪術師にも例外なく存在し、今回は"取られた側"の被害者が五条悟だったことが事態を最悪にした。大慌てで部屋から出ていく1年組を視線で追いながら、伊地知は手にしていたスマホを素早く操作し電話をかける。

「もしもし伊地知ですっ。お休みのところすみませんっ」
『"いいよ。どうしたの?"』
「あの、五条さんがっ…」

ーガシャーンッ!

「…!!」
『"…え…?"』

先ほどから一定の間隔で鳴り響いている耳を塞ぎたくなるような音に体をビクッと震わせる伊地知。電話越しの純が"どうしたの?"と困ったような声色で問いかけてきて慌てて事情を説明すると、すぐに向かうと期待通りの返答が返ってきた。

ー10分後

「こっちの窓とあっちの壺は五条先生が割りました」
「聞いてよ純〜。歌姫が全部悪いっ」
「はぁ!?嘘つくな!」
「嘘じゃないよ。僕なにも悪くないもん」
「純の前だからって良い子ぶりやがって…」
『術式解いてください五条先輩』
「え?」
『早く』
「……へーい」

術式を解かせ、五条の右頬を引っ張りながら説教できる人間はきっとこの世で橘華さんだけだと心の中で呟きながら、今日も二人は平常運転だと伊地知はガラスや壺が砕け散っている床を見つめながらため息をついた。

「純?ちょっと力強くない?」
『反省してるんですか?』
「だから僕は被害者なんだってば」
「アンタが野球でケリつけようって言い出したんじゃない」
「歌姫が純の手作りケーキ食べちゃったからね」
「だからそれは謝ったでしょ!」
「謝って済む問題じゃないんだよっ」
『そんなことで喧嘩するな!』
「いててててっ」
「うわっ、純先生が五条先生に勝ってる…」
「橘華先生怒ると怖いんだよ」
「女術師の鏡ね」

正論を並べて叱る純と、それを甘んじて受け入れはするが反省の色を一切みせない五条。もう何千回と目の当たりにしてきたその光景は、学生の頃から何も変わっていない。ざまあみろと言わんばかりの含み笑いを浮かべる歌姫と各々それぞれの表情を浮かべる一年組。

「だからなんで僕が怒られてんの?悪いの歌姫じゃん」

プンスカと怒る純の細い手首を掴み、やんわりと引きはなす。

「ケーキ食べちゃったくらいで何よ。器が小さいわね」
「「それは同感」」

死んだ魚のような冷めた視線で歌姫に同意する伏黒と釘崎。

「え、俺は純先生の手作りケーキ食べられちゃったらショックなんだけど」
「だよね悠二〜っ。普通食べないよね?」
「お店で買ってくればいいでしょ?ケーキくらい」

大袈裟に腕を組み、ふんっとそっぽを向いた歌姫の態度に五条は口をへの字に曲げ悪びれる様子もなく、

「だからモテねぇんだよ」

と痛烈な一言を吐き捨てる。

「てめぇ五条!」
「純の手作りを市販と一緒にしないでほしいね!」
「そりゃあかなり美味しかったわよ!?だけどっ」
『あーっ、もういい加減にしてくださいよ!!』

あーだこーだと決着のつかない平行線な言い合いに、痺れを切らした純がこの場から立ち去るために五条の背中を両手で押して歩みを促す。

『どんだけ混ぜるな危険なんですか二人は!!』
「純先生っていつも大変よねー」
「五条先生があんなだからな」
「でもさ、純先生の手作りだよ?」
「「お前はもう黙ってろ」」

釘崎と伏黒のツッコミを受けながら、歩き去っていく二人を"いいな〜、五条先生。"と指を咥えて見つめる虎杖。純のおかげで騒ぎは収まり、伊地知はいつものように憂鬱なため息を吐いた。



"悟をしっかりと監督しろ。"

夜蛾学長にそう言われ続けて十数年。
いつの間にか"五条悟のストッパー"なんて不名誉な肩書きをつけられて、五条が何か問題を起こす度に連帯責任で呼び出されなぜか一緒に叱責を受ける。この役目からは死ぬまで免れることはできないと、五条本人から諭され理不尽な立ち位置にいるにも関わらず前向きに自分らしく生きている純のことを、伊地知は随分長いこと尊敬し続けている。

「もちろん謝ったよ。悪いのは歌姫だけど」
『"しばらく問題起こさないでくださいね"』
「分かってるって。迷惑かけて悪かったよ」

夜の11時をまわった頃。
緊急任務を終えた五条を乗せ、高専まで車を走らせる。昼間の一件のことを純と話しているようで、何回目かの相槌や笑い声が聞こえたあとで、"まじで!?"と驚愕する五条。その声に反射的に肩が跳ね、何事かとちらっとバックミラーを盗み見た。

「あと15分くらいで着くから」

五条の声が弾んでいる。

「やっぱり僕の奥さんになる女はデキが違うわ」
「(何か良いことがあったみたいですね)」
「うん、うん。じゃあまたあとで」

電話を切り、どこか嬉しそうに一息ついた五条が背もたれに深く寄りかかり窓の外に視線を向ける。

「朗報でも?」
「うん。純がね、昼間歌姫に食べられたのと同じケーキ作って待ってるって」
「良かったじゃないですか」
「超楽しみ」

どうりで機嫌が良くなったわけだと納得する。緊急任務にかり出され、若干不機嫌になり始めていた五条の圧にヒリヒリしないで済むと安堵した伊地知。内心純に感謝をし、少しでも早く高専に辿り着かねばとアクセルを踏む足に力を込めた。

「お二人が順調そうでなによりです」
「ま、僕と純だからね」
「幸せそうですね」
「そう見える?」
「ええ、もちろん」

和かに答えた伊地知の一言のあと、数秒の沈黙が流れて車の走行音だけが車内に響く。なにか間違った受け答えをしただろうかと再びバックミラーを盗み見ると、俯き加減で携帯の画面を見つめている五条が穏やかに微笑んだ。

「そうだね。お前が言うとおりずっと幸せだわ」

伊地知の言葉を肯定しながら、画面に映る笑顔の自分と純の写真を眺める。今日までの思い出が走馬灯のようによみがえり、なんて感傷に浸ることはないけれど、純がいたから…そう思える場面は星の数ほど思い浮かぶ。

「昔…」
「ん?」
「私が運転免許を取ったばかりの頃、真夜中にお二人を霊峰近くの峠道まで迎えに行ったことがあります」

突然語り出した伊地知の背中を見つめ、五条がそんなこともあったかと右手を顎に添え記憶を掘り起こす。

「その時五条さんは"自分たちの関係を反対する人間は多い"と言っていましたが、今は逆にお二人の幸せを願う方々のほうが多いように感じます」
「…………」
「私もその一人です」

今でも時々、なぜ純の恋人が五条なのかと疑ってしまうことがある。しかしその度に、呪術師として常に最前線を走る二人の現実を目の当たりにすると、純を守れるのは五条悟ただ一人だけなんだと実感する。自他共に認める性格の悪さはあれど、学生の頃から似合いだとは思っていた。決して平坦な道のりではなかったが、二人には幸せな未来を築いてほしい。

「それ、純にも言ってあげてよ」

これからもそばで、そんな変わらない二人を見守っていきたいから。


*変わらない関係


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