「オレの見込み違いか?」
『…っ…』
「使えない奴はオレの班には要らん」

そう言った時のクロエの絶望的な表情が頭に染み付いて離れない。少し言い過ぎたかなんてらしくないことを考えていたら外はすっかり暗闇に包まれ就業時間を過ぎていた。執務室で整理しようとしていた書類の山は数時間前から少しも減っていない。

「失礼するよリヴァイー」
「オイ…いい加減部屋の入り方くらい覚えろ」
「あれ、クロエは?」
「ああ?知るか。兵舎だろ」
「いや居ないから来たんだけど…」
「……」
「……まさかまだ立体起動の訓練してるんじゃ」

少しだけ開けた扉から、顔をだけを出した状態のハンジが控えめにそう言った。自分も考え事をしていたせいか言われるまで気がつかなかったが確かに就業時間を過ぎても挨拶に来なかったし、訓練していた森で別れてからその姿を見ていない。負けず嫌いなバカの妹だと言うことを思い出すと、まだあそこにいそうな気がした。

「一応見に行ってみるか〜」
「いい、オレが行く」
「へっ?」

その発言に少しだけ驚いたような表情を浮かべリヴァイに視線を向ければ、扉が勢いよく開き体勢を崩し転びそうになった。自分には目もくれず上着片手に部屋を出て行ってしまったリヴァイを見つめながら、ハンジは二ヒヒと少し興奮気味な笑みを浮かべた。

「よぉし、モブリット上手くいったぞ!!」
「分隊長、悪趣味すぎます!!」
「いい物が見れそうだなぁっ」

通路の角から姿を現したモブリットが青ざめた表情でハンジを見つめる。こうなってしまった彼女を止める事は不可能で、もしこの企みがバレてしまった日にはハンジ諸共リヴァイの剣の餌食にされてしまうんじゃないかと肝を冷やしていた。



『…っ!!!』

暗闇に包まれた森の中。
今日が満月で良かったと、深く削り取られ宙を舞う麻の破片を見つめながら思った。アンカーを近くの木に打ち込み次の目標に向かい進む。昼間の訓練でリヴァイに言われた言葉とあの冷たい視線が頭から離れない。兄を殺した巨人を一匹でも多く駆逐し仇をうつと決めたのに、このままではそれすらも叶わなくなる。たった一度の壁外調査で終わるなんて嫌だと、剣の柄を強く握りしめた。

プシューッ!とガスの噴出する音が響き、動きはしない巨人に見立てたオブジェが視界に入る。もっともっと力が欲しい。もっともっと強くなりたい。こんなところで終わってたまるかと唇を噛みしめると、口の中に血の味が広がった。アンカーを一度外してから、より高い木の幹に打ち込みうなじ部分が見渡せる所まで高々と舞い上がる。

そこから素早く体を反転させると、クロエの体は円を描きながら急降下しそのままの勢いで分厚い麻を深々と削り取った。すぐにアンカーを引き近くの木の上に飛び移ろうとしたその瞬間。プスッ、プスッとガス欠を知らせる嫌な音がクロエの表情を絶望へと突き落とした。

『ちょっ…そんなっ…』

かなりの高さを出してしまったことに後悔した。アンカーが木の幹に打ち込まれる前にクロエが急降下した為空中でワイヤーが力なくたるみ高速で装備部分に巻き戻ってくる。このまま地面に叩きつけられたら全身骨折はおろか、命がなくなるんじゃないかという恐怖に体中が支配された。

ああ、なんて悲運なんだ。これなら巨人に食べられて死んだ方がまだ栄誉ある死だと讃えられたかもしれない。クロエが遠ざかって行く月に手を伸ばし『兄さん…』そう呟いた瞬間だった。

「…」
『え…っ』

目の前にあったはずの月が視界から消え、全身に衝撃が走り勢いよく体が浮上した。驚きのあまり大きく目を見開けばリヴァイが自分の体を支え助けてくれたのだと理解できた。

『へ、兵士長っ…!?』
「…何してんだマヌケ」
『え、いや…あのっ…』
「おい、動くな。落ちてぇのか」
『す、すみませんっ…』

片腕で担がれているような体勢のため今リヴァイがどんな表情でいるかは分からないが、こんな無様な姿を晒して助けられてしまった事を考えると絶対に除隊なんだろうなと悔しさに涙が出そうになった。それ以前に命があって何よりなのだが。

リヴァイは適当な木の上に着地するとクロエを降ろしてその場に座らせる。月明かりに照らされたクロエの表情は、今にも泣き出してしまいそうな弱々しいものでリヴァイは深くため息を吐き隣に腰を下ろした。

『す、すみません兵士長っ…ありがとうございましたっ』
「ああ」
『……私は』
「……?」
『私は、除隊…でしょうか?』

俯き唇を噛み締めながらそう言ったクロエ。昼間のことと今リヴァイに助けられたことを気にしての問いかけだとすぐに理解できた。少し追い込みすぎたかと流石に反省し、クロエの頭に手を伸ばしその髪をくしゃりと撫でた。粗暴で口の悪い彼からは想像もしていなかった行動に、クロエはぽかんと口を開いたままリヴァイを見上げる。

「次の壁外調査でも尽力しろ」
『…!!』
「だが、壁外でガス欠なんてバカな事はするなよ」
『リ、リヴァイ兵士長〜っ…!』

手を離し情けないくらい素直に涙を流すクロエに小さく苦笑いを浮かべた。バカで負けず嫌いな兄に似て、喜怒哀楽がとてもはっきりしている。リヴァイはポケットの中からハンカチを取り出すと、それをクロエに向かって投げ「汚ねぇから拭け」と言い放った。

『私、兵士長を怒らせたのかと…うぐっ』
「ああ。てめぇはオレを不快にさせるのが上手い」
『え!!(ガーンッ)』
「洗って返せよ」
『…はい……』

一瞬でもリヴァイを神様だと思ってしまった自分にバカだと言いたい。借りたハンカチで涙を拭い、がくんと肩を落としていると立ち上がったリヴァイに手を差し伸べられ「戻るぞ」と言われた。

この人は本当にアメと鞭の使い方が上手いなぁ、なんて思いながらその手を取り立ち上がろうと足に力を入れた瞬間、血の気がサァァっと引いていく。

『兵士長…あ、足に力が入りません』
「ちっ…面倒くせぇな」
『…すいません、すいませんっ…!』

これ以上手を煩わせたら本気で罰を与えられそうで怖かった。が、今は鬼の手ですら借りないとここから移動することもできない。面白いぐらい必死に平謝りしているクロエの両脇を抱えるようにして立ち上がらせると、その頬が赤く染まったのが月明かりで分かった。

足に力が入らない為必然的に全体重を預ける事になる。潔癖症な彼の事だから他人と触れ合うなど言語道断かと思っていたが、状況が状況なだけにそうでもないらしい。

『すすすみませんっ…!!』
「ああ、全くだ」
『あ、明日から清掃により力を入れますっ』
「ほう。それはいい心がけだな」

ガチャっと立体起動の準備が整ったのか、リヴァイはなんの躊躇もなくクロエの腰に腕を回し抱き寄せる。より近くなった距離に心臓がバクバクと高鳴った。どうしていいのか分からず硬直していると、「掴まらないと落ちるぞ」そう言われて震える腕をリヴァイの首に回す。

「うひょーっ!!見たかモブリット!スケッチしろ!」
「分隊長!あんたこれ犯罪ですよっ!」

近くの影から二人の様子を盗み見ていたハンジとモブリット。ハンジにいたってはなぜか拳を握りしめ興奮状態に陥っていた。

「行くぞ」
『は、はいっ…!』

ワイヤーが勢いよく放出され、アンカーが遠く離れた木の幹に突き刺さる。全身に浮遊感が伝わり、帰ったらまた平謝りしようと心に誓ったクロエだった。


君と飛ぶ
(くっそー!羨ましいなあ、リヴァイの奴!)
(分隊長!バレたら確実に殺されますよ!)
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