「クロエはいるか」

昼時。多くの兵士が食堂に集まり休息を取っていた最中、その声は沈黙という空間を生み出した。ガヤガヤと賑わっていた食堂は一気に静まり返り、持っていた食器を落とす者やパンをかじったまま固まる者、挙句飲んでいた水を吹き出す者までいた。同期の新兵たちと昼食を共にしていたクロエは名前を呼ばれた事に気づくとすぐに立ち上がり『は、はいっ』と返事を返す。

青ざめた表情が、周りの人間にも伝染して行った。

「クロエよ」
『はいっ、リヴァイ兵長!』
「執務室の掃除がなってない。全てやり直せ」
『へっ…?あ、あの…でも、いつも通りに』
「ああ?」
『いえっ、すぐにやり直しますっ…』

リヴァイからの威圧的な視線に姿勢を正し敬礼すると、食べかけのパンを残したまま急いで食堂を後にするクロエ。そんな二人のやりとりをただ黙って眺めていた兵士達を見渡すと、リヴァイは表情を歪めて舌打ちを一つ。クロエの後を追うようにして食堂の扉をバン!と閉めた。

「クロエ、また兵長にどやされてるな…」
「ありゃ八つ当たりだろ…」

口々にクロエを心配する声が上がり全員顔を引きつらせた。



執務室に戻るとどこがどう汚いのか分からないままとりあえず掃除を始めたクロエ。リヴァイも部屋に戻って来るなりソファにドカッと体を沈め、本棚のホコリ取りをしているクロエを見つめながら「手を抜くなよ」と圧力をかけた。これではまるで監視されているようで気が気じゃない。

それから数十分。突き刺さるような視線を感じながらなんとか本棚の清掃を終えたクロエが『ふぅ』と小さくため息をつき口元を覆っていた布を外す。たかが掃除でこんなに息が詰まるのもリヴァイという恐怖があるからだ。

『あの、兵長…』

また難癖付けられても困る為、掃除の出来栄えを聞こうと恐る恐る振り返るクロエ。きっと不機嫌全開で「他の場所もだ」とか言われるんだろうなと思っていたら、そこには目を疑いたくなるような光景が広がっていた。

「…………」
『リ、リヴァイ兵長…?』

緊張した面持ちで声をかけるが、応答はない。

『あ、あのー…』
「………」
『…おーい』
「…….…」
『…兵ちょっ…』
「…ん…」
『はっ…!!』

持っていたハタキを手にファインディングポーズ。思わず身構えてしまった。いくら呼びかけても応答のないリヴァイは今、ソファの上で横になり眠っている。人類最強と呼ばれる男も睡眠は取るのか…と物珍しげな表情を浮かべたクロエだが、この状況はどうしたものかと慌て始める。

いやむしろそんな呑気なことを考えている場合ではない。あの人類最強が、全ての兵士の頂点に君臨しているあのリヴァイ兵長が、こんなに穏やかな寝息を立てて無防備に眠っていること自体があり得ないのだ。初めて巨人を見た時よりも動揺しているかもしれないと、クロエは持っていたハタキを机に置くと恐る恐るリヴァイに近づいた。

『……』
「……」
『……』
「……」
『(モブリットさんーっ!スケッチして下さいぃ!)』

規則正しい寝息に、見た事がないくらいの穏やかな表情。起きている時の目つきの悪さなんて1ミリたりとも感じさせない綺麗な寝顔。これが本当にあのリヴァイ兵士長なのかと疑ってしまいそうになる。クロエはじ〜っと膝に手をつき惜しみなくリヴァイの寝顔を観察すると、こんな一面もちゃんとあるんだなあと親近感が湧くのを感じた。

『兵長、疲れてたのかな…』

いつも目の下に隈あるもんねと呟き、自分の着ていた上着を脱ぐとそれをそっとリヴァイの体にかける。自分よりは大きいが男の割にはコンパクトな体型に、少しだけ…本当に少しだけ可愛さを感じた。
「てめぇの脳みそはクソで出来てんのか?」


否。前言撤回。1ミリたりとも可愛くはない。

『でも…』

そう言いながら瞼にかかったリヴァイの前髪を退かすと、よりハッキリとその綺麗な寝顔を拝む事ができた。

『私は好きです、兵長の寝顔』

そう言ったクロエがふわりと微笑み気を使ってか部屋を出て行った後、リヴァイは重たい瞼を少しだけ開き触れられた前髪をくしゃっと握りしめる。

「やっぱり…お前といると調子が狂う」

小さく呟かれた言葉は虚しく消えて、そう悪くない気分のまま再び深い眠りに落ちて行った。


おやすみなさい
(やり直せなんて思ってない。ただ、側に置いておきたかった)


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