「クロエ!たっだいま!」
『あーっ!にぃおかえりーっ』

両親を早くに亡くした私たち兄妹の支えになっていたのは、きっとお互いの存在だったんだろうと今では思う。帰って来るたびに私を抱き上げて太陽みたいに思いっきり笑う兄の笑顔が大好きだった。暮らしは決して豊かではなかったけれど、貧しいながらも確かな幸せはそこにあって…兄がいてくれるだけで私は本当に救われていたんだ。

『きょーも"ちかがい"にいってたの?』
「おう。そうだよ」
『あそこはあぶないって、おとなりのおじいちゃんいってた!こわいひとたちがいーっぱいいるんだって』
「あははははっ!たしかにいるかも、でも一人だけ」
『にぃはどうしてあそこにいくの?』
「んー、それはさー」

小さいながらに感じてた。都の地下街に足しげく通っていた兄が、悪いことをしてるんじゃないかって。たまにする血の匂いも、ケンカの痕も全てそれを物語っていて心配はしていたけれど止めはしなかった。だって、地下街の話をする時の兄はとても…、

「あそこには、兄ちゃんの大事な友達がいるんだ」

…とても綺麗な笑顔を浮かべていたから。




『…ん…』

ゆっくりと開いた瞳が見慣れぬ天井を映す。ぼーっとする意識の中でどこか懐かしさを感じながらうつらうつらしていると、すぐ近くで男女の争うような声が聞こえて来た。よく聞き慣れた声に、リズム感のいい会話でそれが誰なのかすぐに分かってしまうあたり自分も随分と場慣れしてきたのかなと、どうでもいいような事を考える。

「オイ…勝手に入るなメガネ」
「何言ってるの!クロエが倒れたんだよ?」
「軽い脳震盪だって言ったろ。騒ぎすぎだ」
「そんなこと言って、一番血相変えてたクセに」
「変えてねぇよ。とっとと出てけ、邪魔だ」
「クロエが起きるまでは嫌だっ」

どうして今日もストッパーモブリットがいないんだと舌打ちをしたリヴァイ。どうして二人が言い争っていたかと言うと、事の発端は今から二時間程前に遡る。

クロエにとって人生二回目となる壁外調査まで後1カ月と半月。兵団内の雰囲気も次第にピリピリとし始め、今だに怯える新兵や意気込んでいる先輩たち、準備や教育に追われる分隊長たちと動きが慌ただしくもなってきていた。そんな中で今回初列索敵班という重要かつ最も危険な役割を担ったリヴァイ班は、対巨人の戦闘に備え朝から晩まで一日ぶっ通しでの立体起動訓練が続いていた。

「ドニー!てめぇはどこにアンカー引っ掛けてやがるっ、それじゃあ掴まれて終わりだ!」
「うっす!すんませんっス!」
「ちっ。クロエ!」
『は、はい!』
「囮役になってドニーの補佐に回れ」
『分かりました』

全体的な動きは良い方なのだが、どうしても小さな修正点がいくつもあったり綻びが生じる。自分が今まで培ってきた経験則に当てはめてしまうと、あの動きじゃあそこで掴まれて死ぬな、とか奇行種だったら踏み潰されて即死だろうなとか、そのままにしておけない問題が日々募っていくばかりでさすがに苛立ってきてしまう。
クロエ一人相手だったらどんなに楽だったか。

「す、すごいなクロエは。なんであんなに早く動けるんだっ」
「人としてのスペックがてめぇらより優れてるからだ」
「リ、リヴァイ兵長!」
「今の無駄口で一回死んでるぞ、ヘイズ」
「すすす、すみませんっ!」
「死にたくなきゃ集中しろ、てめぇはオリヴィアの補佐だ」
「は、はい!!」

クロエの動きに見惚れていると、幹の陰から姿を現したリヴァイに刃を向けられ血の気が引いていくのが分かった。怪しげに光る刃とリヴァイの容赦ない殺気に、ヘイズはすぐさまアンカーを掛け直しオリヴィアの元へ急ぐ。なんて呑気な奴らだと再び舌打ちをし、全体の動きが見えるところまで移動しようとしたその時だった。

ードゴッ!

「…!!??」
「クロエ!!」

アンカーとガスの放出される音だけが響いていた中で聞こえた何かが何かにぶつかる鈍い音。その後すぐにクロエの名を叫ぶドニーの声が聞こえて来たものだから嫌な予感しかせず振り返ると…。

「な、なによ今の音!?」
「分からないけど、クロエに何かあったのかなっ?」

空中で崩れた体勢を立て直せずに、アンバランスな状態で巨人に見立てたオブジェに頭から突っ込んだクロエの体が落下していくのが見えた。ワイヤーは巻き取られぐったりしている様子から気を失っているんだとすぐに把握できた。リヴァイは表情を歪めすぐさまアンカーをクロエの体より奥にある木の幹に掛けると、ガスを噴射し空中でクロエの体を受け止めた。
地面に叩きつけられず良かったと、安堵する三人。

「おい、クロエっ…」
『………』
「気を失ってんのか…、ドニー!」
「す、すんませんっス兵長!オレっ…」
「何があったか言え」

地面に着地しクロエを下ろし呼びかけるが応答はない。呼吸をしていた為命に別状はないと判断できたがリヴァイは馬を呼ぶ為の指笛を鳴らす。ひとまずクロエの立体起動を外し、手首に指を当て脈拍を確認する。申し訳なさそうに血相を変え降りてきたドニーに視線を向け事情を聞けば、心底呆れる回答が返ってきた。

「オレはクロエを医務室に連れて行く」
「あ、あの兵長っ…オレ…」
「訓練にケガは付き物だが、これが実戦ならお前がクロエを殺してたところだ」
「……っ」
「なぜお前が今まで生き延びて来れたか不思議だな、ドニーよ」
「うっ……」
「…まあいい。少し休憩してから再開しろ、前の二人にも伝えとけ」
「うっス……」

森の入り口からリヴァイの指笛を聞きつけ駆け寄ってきた馬にクロエを乗せ自分も跨ると、手綱を下ろしその場を後にした。

そして、今に至るのだ。

「てゆーか何故医務室じゃなく君の部屋にいるの?」
「ああ?」
「さてはリヴァイ…クロエに」
「医務室が満室だったからに決まってんだろ」

怪訝そうな表情を浮かべたリヴァイにハンジが「ふふっ」と意味深に笑う。潔癖症のくせして自分のベッドに他人を寝かせるなんて、まるでクロエを特別視してるとしか思えない行動で、これがもし自分だったら床かよくてソファだろうなと思った。

「大体てめぇは仕事サボって何して…」
『……』
「あー!クロエ大丈夫!?」
『ハンジさん…』
「よかったぁ、目が覚めたんだねっ」

クロエの様子を見ようと振り返れば、ベッドに肘をつき上半身を起こそうとしている姿が視界に映って口を閉ざしたリヴァイ。すかさずハンジが近づき体を支え顔色を伺うと、あることに気づき目を少しだけ見開いた。

『す、すみません私…』
「クロエ」
『はい?』
「…どこか、痛むの?」
『え?…あ、大丈夫ですけど』
「そう。…じゃあどうして」
『??』
「…泣いてるの?」


あなたのを見たんだ
(リヴァイ!!何したの!!)
(知らん)


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