「うわぁぁぁぁぁっ!!!」
「やだっ!やだ死にたくない!」
「こわいこわいこわいっ、たすけでっ!!」

ーグチャ、グチャッ…バキッ

地獄絵図なんて、そんな甘いもんじゃないと思った。巨人が人間を捕食するその光景は表しようのない現実で、生きたまま肉を引きちぎられ骨を砕かれるその壮絶な痛みは想像もできない。雨が降りしきる中、巨人の口から溢れ出た血肉が地面を赤く染め人間だった肉塊がいくつも転がっている。
大体は身体の半分を失い、人生最後の瞬間を迎えた者の表情は恐怖と絶望で染まっていた。黒い煙弾が上がったとされる場所に近づくにつれて増えていく無残な死体の数々。地面には赤い水溜りがいくつも出来上がっていて、エクトルとリヴァイは手綱から手を離し剣の柄を握りしめると、神経を研ぎ澄ませ聞こえてくる荒い息づかいに全意識を集中させた。

ーうガァァアァァっ!!

「「…!」」

霧の中から突如振り下ろされた巨大な腕を馬に乗った状態で避け、見えた足元にアンカーを打ち付けたエクトル。地面を滑るようにして巨人との間合いを一気に詰めると、そのまま足首を深く切りつけ動きを抑制した。

「リヴァイ!」

片足の足首を切りつけたことでよろける体。そんな一瞬の隙を見逃すはずもないリヴァイはすでに巨人の弱点である頸の真上に舞い上がっていて、そのもま勢いよくその肉を削ぎ落とした。ブシャッと飛び散った返り血を浴び、倒れた巨人の上に着地する。

「ちっ。汚ねぇな…」
「なぁリヴァイ、こいつ奇行種じゃなかった」
「…ああ。だが、ここら一帯は全滅してやがる」
「まだ近くにいるな…」
「エクトル、お前のガスの残量は」
「あと4割ってとこだ。お前は?」
「そう変わらねぇな」
「時間はかけられないぞ。…早いとこ見つけて始末しないと」
「ああ…」

蒸気を発し消えていく巨人から離れ、幸い近くで待機していてくれた馬に跨りさらに逆走していく。その間にも雨は強くなり、視界はほぼゼロの状態だ。

「リヴァイ、こんな最悪な状況だから言っておきたいことがある」
「後にしろ」
「いや、今言うから聞いとけ」
「………」

突然なんだ、死ぬのかてめぇは…と内心呟く。そんな現実を待ち望んでいるわけでもないのに一抹の不安を感じずにはいられなかった。ちらりと隣を走るエクトルを盗み見ると、フードで隠れその表情を確認する事ができない。

「もうすぐオレの妹が調査兵団に志願して来る」
「……」
「兵士としての素質はあるが、手をかけてやらないといけないことが山積みでな」
「……」
「正直心残りはあるんだが、妹の事はお前に任せたい」
「…は?」

まるで自分ではその役割を果たせないから頼むと言われているようで、違和感しか感じない。心残りなんて言葉を使ったからにはエクトルが自分の死を察しているとしか思えず、急な展開に思考がうまく機能していない気がした。

「なんだいきなり…てめぇでやればいいだろうが」
「いや、お前に頼んでる」
「…面倒事を押し付けるな」
「嫌でも押し付けなきゃならん事情ができたんだ」
「…?」
「オレは少し、知りすぎたらしい…」

ぽつりと呟いたその言葉は、雨の音にかき消されリヴァイに届くことはなかった。

「とにかく頼んだぞ!悪友っ」
「オイ…勝手に話を進めんじゃ…っ!」
「!!?」

ーズアッッ!!

「「!!!」」

二人の間を裂くようにして霧の中から飛んできたのは人間の上半身。馬の進行方向をそれぞれ左右にずらすとちょうど二人がいた辺りにビチャッと嫌な音を立てながら転がっていった。すでに息絶えている兵士の死体が、また一人増えていく。リヴァイとエクトルは目と鼻の先に巨人の気配を感じ一瞬だけ視線を合わせ合図を送る合うと見えてきた巨大な影にアンカーを打ち付けた。

先に動いたリヴァイは地面を滑るようにして巨人との間合いを一気に詰めると、すれ違いざまに片足の足首の肉を削ぎ落とす。見えた巨体は14メートルと言ったところで、周りには大量の死体が無残な姿で転がっている。それが視界に入る度に不快で闘争心を煽るのには十分すぎた。

「こいつっ…足首切られてんのにバランス崩しやがらねぇ。リヴァイ!もう片方いけるか!?オレがうなじを削ぐ!」
「いやダメだ!」

がぁぁぁ!という雄叫びと共に不規則な動きでエクトルの後を追い始めた奇行種。リヴァイはすぐ近くにいた馬に跨ると一定の距離を保ちながら巨人の背後につく。するとその存在に気づいた巨人がバッと勢いよくリヴァイの方へと振り返り、手を叩きつけた。

「ちっ!!」
「リヴァイ!」

直撃は間逃れたものの避けた後すぐに来た衝撃で馬がバランスを崩し地面へと投げ出されたリヴァイ。さすがの身のこなしですぐに体勢を立て直すが目の前には捕食する事だけを考え大きく口を開けた巨人が迫っていた。

「こっち向けブサイク!」

リヴァイから気を外らせようと信煙弾を巨人目掛けて撃ったエクトル。黒い煙がリヴァイと巨人の間を裂くようにして通り過ぎて巨人の目がエクトルを捉えた。すかさずリヴァイはアンカーを太い足に打ち付けもう片方の足首に刃を通す。両足首から血を吹き出しながらおぞましい雄叫びを上げる巨人は、エクトルに手を伸ばしたままバランスを崩し前のめり倒れ込んだ。

ープシューッ!!

高く舞い上がったリヴァイの立体起動装置から噴出されたガスの音が響き渡る。倒れた一瞬の隙を逃すはずもなく狙いを定めたリヴァイの目が鋭く光ったその時だった。霧の中から伸びた別の巨人の手がリヴァイの体を掴もうとしたのは。

「…!!!」
「リヴァイッ!!!」
「来るなエクトル!!」

リヴァイの制止を無視してアンカーを巨人の腕に打ち付け飛び上がるエクトル。なぜこの時、彼が自ら巨人の目の前に飛び込んで来たのかは今だに分からないままだった。リヴァイと同じ高さまで上がって来たエクトルはまるで自分の最後を自分で決めたかのような笑みを浮かべると、リヴァイの体を突き飛ばし伸びて来た巨人の手に掴まれた。
その握力の強さに全身の骨が悲鳴を上げ、いくつかボキボキと音を立てる。離れていくエクトル、助けようにもアンカーが巻き戻るまでには間に合わない。リヴァイが苦痛の表情を浮かべ手を伸ばすと、エクトルは最後にこう言った。

「リヴァイ!」
「…!!」
「妹の事、頼んだ…」
「エクトルッ」
「じゃあな…悪友」

ーブシャッ…!!



「奇行種だった。…二体共」
『………』
「その日に限って、新兵の初陣、悪天候、奇行種の出現…悪条件がこれでもかってくらいに重なって、それで…」

兄は死んだ。

「私が駆けつけたタイミングは、ちょうどエクトルがリヴァイを庇い巨人に捕まった瞬間だった。…何が起きたかしばらく分からなくてね。…我に返った時には血まみれのリヴァイと無残な姿の巨人が転がってた」

あんな風に感情をあらわにしたのは初陣の時以来だっただろう。イザベル、ファーランに続きエクトルまで失ったリヴァイの悲しみは計り知れないよとハンジは言う。何事にも動じず常に冷静な彼だけど、仲間を思う気持ちは誰よりも強い。

『兵長は…まだ兄の事を気にしているんでしょうか?』
「平気そうにしているけど、多分ね」
『……私、何も知らずに』
「クロエが気に病む事じゃないよ。みんなが話したがらないんだ」

俯くクロエの肩に手を置いて優しく微笑みかけるハンジ。けれどその表情はどこか辛そうで、話をしてあげると言った張本人でさえ思い出すのは辛かった様だ。

『あの、ハンジさん』
「ん…?」
『前回の壁外調査で、多くの兵士の遺体は回収できないと聞きました。それこそ、体の一部があればマシな方だと』
「そうだね」
『私の兄は、身につけていた団服と右腕が帰って来たんです。…それは、兵長が?』

「おい、リヴァイ」
「………」
「もう諦めろ…。気持ちは分かるが、彼だけが特別じゃないんだ」
「……」
「……おい、やめろっ」


肩を掴んだエルヴィンの手を勢いよく振りほどき血と肉の残骸の中に手を突っ込むリヴァイ。潔癖症の彼からは想像もつかないその光景に、後から駆けつけた兵士やハンジたちが悲痛の表情を浮かべ立ち尽くしていた。煙を上げる巨人の体。リヴァイに降り注いだ大量の返り血は、止むことのない雨によって洗い流されていく。

「モブリット、馬を頼める?」
「ぶ、分隊長…?」
「エルヴィン、隊を率いて先に行ってて。リヴァイは私が」

馬を降りエルヴィンにそう伝えてからハンジは躊躇する事なく血と肉で溢れかえった地面を歩み、リヴァイの隣に立つ。生前エクトルとは親しかったのを知っていたからか、エルヴィンはそれ以上何も言わずにハンジの隊だけを残し走り去って行った。

「リヴァイ…私も一緒に…」
「ねぇんだよ…」
「え…?」
「この汚ねぇ場所にいくら手を突っ込んでも…右腕と団服しか…残ってねぇんだよ…」

雨で涙を流していたのかも分からない。あの時リヴァイは、妹にその死を知らせるためエクトルの何かを是が非でも壁内に持ち帰ろうと思っていたとハンジは話す。クロエがこの話を聞いてリヴァイのことをどう思おうが自由だと思う。彼を慕うもよし、仇とするのもよし、誰もそれを咎めたりはしない。けれど一つだけ、約束して欲しいことがあった。

「クロエ」
『…はい』
「君は、お兄さんの姿を追わない戦い方を…見つけてね」


友の残した変革の一翼
(もう失わない。そう決めた)


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