ドォンッ!!と音を立てながら地面に膝をついた巨人の頸目掛けて空中から刃を振り下ろすと、綺麗に肉の削がれ巨体が機能しなくなる。手元が返り血で赤く染まり倒れた巨人の脇に着地すると討伐補佐をしてくれたリヴァイが安否の確認をする為「オイ」と声をかけて来た。

『兵長』
「大丈夫か」
『はいっ。オリヴィアさんたちは?』
「無事だ」
『よかった』

剣をしまいながら振り向くと、後方で倒れている巨人が視界に入る。オリヴィアたち三人の無事を知るとクロエは穏やかな表情を浮かべた。
リヴァイ班が最初の巨人と遭遇し赤い煙弾を撃ち上げたのは壁を出て15分程走った地点でのこと。すぐにエルヴィンから進行方向を示す緑の煙弾が上がったが二体の巨人を回避する事が難しかった為討伐に当たった。リヴァイは近くまで来たクロエの頬やら手やらに返り血がついているのを見て「汚ねぇ」と何食わぬ顔でそう言った。

『し、仕方ないじゃないですか』
「拭いとけ」
『ちょ、兵長…っ?』

伸びて来た手が白いハンカチを持っていてクロエの頬についた血を少し雑に拭う。その行動に驚きはしたが汚いのが嫌なんだろうとされるがままでいると少しだけ表情を歪めたリヴァイが口を開く。

「…怖かったか?」
『え?』

思いがけない問いかけにきょとんとするクロエ。いくら腕がいいと言え実戦となればそれだけではまかないきれない。リヴァイには少しだけ、剣を握るクロエの手が震えていたのが見えていたのだ。

『…す、少しだけ。でももう大丈夫です』
「小便チビらなかっただけ上等だな」
『やめて下さいよ。問題発言です』
「できるだけ補佐はしてやるが、無理はするなよ」
『はいっ。ありがとうございます』
「ああ」

ハンカチをしまい背を向けたいつもより優しいリヴァイにさすがは兵士長だと感心する。こんな状況でも部下の心配をし気を遣ってくれるなんてと。

「オイ、負傷者はいねぇな」
「私達の方は大丈夫です!」
「クロエ!無事か!?」
『はい、大丈夫ですっ』
「ドニーってば、戦ってる間ずーっと君を心配してたよ」
『え?そうなんですか?』
「あ、当たり前だ!クロエは新兵だからな!」

馬に乗りながら自分の愛馬を連れて来てくれたヘイズにお礼を言い鐙に足をかけ跨る。走り去って行かなくて良かったと思いたてがみを撫でた。
その間も巨人を倒したばかりだというのにドニーを茶化すオリヴィアとヘイズの姿には、自然と笑みがこぼれる。リヴァイは相変わらず無表情のままだが。

「行くぞ。先へ進む」
「は、はいっ…!」
『はいっ』

再び先頭を走るリヴァイの後につき手綱を持ち上げようとしたその時だった。
ドシュッ!という聞き慣れた信煙弾が撃ち上がる音が微かに聞こえ、その場にいた全員の視線が一箇所に集中する。位置的には自分たちとほぼ同じ、別の初列索敵班が撃ったもので間違いはなさそうだ。が、その煙弾の色が視界に入った瞬間にクロエたちの表情がみるみるうちに曇り驚愕へと変わっていく。

「兵長っ……あれっ…!」
「そんな、まさかっ」
「…黒の…煙弾…」

青ざめた表情で撃ち上げられた黒い信煙弾を見つめる4人。それは通常の巨人との遭遇ではなく、行動パターンが異なる奇行種と呼ばれる個体の出現を知らせるものだった。リヴァイが眉間のシワをより一層深め舌打ちをすると、嫌な記憶が蘇るのを感じる。

「…こんな時に奇行種か」
『あの位置って、団長やハンジさんたちが居る場所ですよね!?マズイんじゃっ…』
「団長が機能しなくなったら陣形が崩れて大変なことになりますよ!」

ヘイズが叫ぶような声でそう言ったのとほぼ同時に、少し離れた場所からドスンドスンと地鳴りが聞こえクロエがはっとし振り向くと、視線の先に15m級の巨人がこちらに向かって走って来ているのが確認できた。『兵長!』と焦りながら声をかけるとリヴァイはすでに気づいていたらしく、走れ!と力強く言い放つと5人の馬は一斉に走り出した。

「兵長!団長の応援に向かうべきではっ!?」
「ドニーの言う通りですっ!」
「ダメよ!後ろの巨人を倒してからじゃなきゃ!」
「そんな余裕はないよっ」

ドニーとヘイズ、そしてオリヴィアが口々に意見を交わし合う間も背後から追いかけてくる巨人は速度を落とすことはない。クロエのこめかみに冷や汗が伝い緊張が高まる。エルヴィンやハンジたちは無事なのかとか、後ろの巨人が怖いとか、もういろいろな感情が入り混じり気を抜いたらパニックを起こしそうだった。

「クロエ、オレと来い!」
『えっ!?私ですか!?』
「後ろの巨人を先に殺る。撒くのは無理そうだからな」
『で、でもっ…平地ですよここっ!』
「だからなんだ。喰われて死にてぇのか」
『…っ…』
「他の奴らはこのまま進め。すぐに後を追う」

リヴァイの指示に誰も逆らうことができず「はい!」と返事を返す。ドニーは内心クロエを心配していたが今は私情を挟んでいる状況ではなく悔しそうに前を向くと、速度を落とし離脱していく二人の無事を祈った。
リヴァイがなぜ生存率の高いオリヴィア達でなく自分について来いと言ったのかは分からないが、今はそんなことを問いただしている場合ではない。すぐさま馬の進行方向を変えリヴァイの後に続くと思いの外巨人との距離が縮まっていて恐怖が増した。

『(落ち着け…大丈夫…大丈夫だっ…)』

心臓がどくんどくんと痛いくらいに脈打っていて呼吸が苦しくなる。15m級の巨人はニタニタとだらしのない表情を浮かべながら迫り来るリヴァイたちを視界に捉えると、捕食のためにその長い手をぐっと伸ばしてウォォと唸り声を発した。

「クロエ!オレがコイツを引きつけてる間に頸を狙え!」
『え、あっ…は、はい!!』
「しくじるなよっ」
『兵長!』

わざと巨人に捕まるギリギリのところを馬で駆け抜け注意をクロエから逸らすリヴァイ。一歩間違えばあっという間に捕まり命はないと言うのに、自らか囮役をかって出た。それだけクロエを信頼しているのだろうが、あの大きな手がリヴァイを掴もうとする度に口から心臓が飛び出してしまうんじゃないかと感じる。

『(今だっ…)』

ちょこまかと不規則に動き回るリヴァイとの間合いを詰めるため巨人が中腰になったその瞬間、クロエは巨人の頸辺りにアンカーを突き刺し高々と飛び上がった。そして体を回転させながら勢いよく肉を削ぎ落とすことに成功すると、巨人の体が地面へと倒れ込んていく。あまりにも上手くいきすぎたせいか実感が湧かず、地面に着地した時には手がカタカタと震えていた。

『…っ……』
「よくやったな」
『へ、兵長…』
「早く馬に乗れ。あいつらに追いつくぞ」
『あ、は…はいっ』

一分一秒息つく暇はなく、次から次へとクリアすべき課題が湧いて出てくる。クロエは急いで近くにいる愛馬に跨るとリヴァイの後を追うべく走り出した。

『あの、リヴァイ兵長っ』
「なんだ」
『ハンジさんたちは無事でしょうか!?』
「……」
『さっきの黒い煙弾は、奇行種なんですよねっ』
「ああ。そうだ」

ちらりとクロエを盗み見ると表情は青ざめ苦しそうだった。本気で心配しているのが分かる。

『兵長が、援護に向かうべきじゃないんですか?』
「ああ?」
『…すみませんっ…でも、あのっ…』
「オレに部下を置いて奇行種の討伐に行けってのか」
『だって、もしエルヴィン団長に何かあったらっ』
「そうならねぇよう組まれた布陣だ。余計なことを考えるな」
『…でもっ』
「クロエ!」

少しばかり強い口調で名前を呼べばクロエは唇を噛み締め『すみません』と小さく呟いた。

「…ハンジはアホだがやる時はやる奴だ」
『はい…』
「今は自分がすべき事をやれ。いいな」
『……分かりました』

きっと、仲間思いなリヴァイの事だから自分なんかよりも倍心配しているはずだろう。それを態度に出さず冷静でいるのは部下を導き命を繋ぐため。自分の強さを理解しているのだから今すぐにでも援護に行きたいと一番強く思っているのはリヴァイだと、クロエの憶測が頭をよぎり申し訳ない気持ちになった。

「リヴァイ兵長ーーっ!!!」
「あ?」
『兵長、あそこ』

左翼側から聞こえて来たリヴァイの名を呼ぶ声に視線を向けると血相を変えた一人の兵士がこちらに向かって馬を走らせてくる。恐らく伝達係で来た方向を考えると嫌な予感しかしなかった。

「どうした。何かあったのか」
「す、すぐに団長の元へ向かって下さい!」
『!!!』
「それはどういう意味だ」

リヴァイの表情に影がさす。

「先程出現した奇行種により中央初列索敵班が全滅したとの報告が入りました!エルヴィン団長の元へ到達するまでにそう時間はかかりません!急いで救援に向かって下さい!!」
『進行方向の変更は!?』
「逸れた先にも巨人がいて奇行種との接触は避けられそうにないんだっ」
『そんなっ…』
「ちっ」

馬を走らせながら選択の余地すらない状況に舌打ちをし苛立つリヴァイ。今自分がクロエたちから離れれば、その分右翼の初列索敵に穴が空く。かと言って組織の要を失うわけにもいかない。なんて最悪な状況だと答えに迷っていると、クロエが自分の名を呼び視線が重なった。

『行ってください』
「…お前」
『オリヴィアさん達とならすぐに合流できますし、最悪巨人と遭遇しても4人いればなんとか応戦できます』
「………」
『今エルヴィン団長やハンジさん達を失うことは、調査兵団にとっていい選択だとは思えませんっ。…だから兵長。早く行ってください』

真剣で迷いのない真っ直ぐな視線が射抜くように見つめて来る。リヴァイは不安に駆られる気持ちをなんとか押し殺し表情を歪め一瞬視線を落とした。

「いいか、オレが戻るまで戦闘は避けろ」
『はいっ』
「…すぐに戻る。…クロエ」
『なんですか?』

隣を走るリヴァイが呟くようにクロエの名を口にし再び視線を重ねた。そして…、

「絶対に死なないと、そう約束しろ」
『……』

空を見れば灰色の雲が雨を呼んで来そうで、仲間と親友を失った時とよく似ていた。だから今度はもう、絶対に失いたくないと強く思ったのだ。

『兵長、大丈夫です。私たちを、信じて下さい』


悔いなき選択
(その言葉に、オレはまた…)


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