ザァァッ…
降りしきる雨に、立ち込める霧と蒸気。

「あれが…あのクロエ…なの」
「………」

唖然とした表情で目の前で繰り広げられた戦いの終わりを見届けているハンジ。その胸の内は様々な感情が複雑に入り混じっていた。
赤い血が大地を染め上げ、巨大な体が地面へと音を立てて倒れる。それと同時にクロエの体も血溜まりの中へと投げ出され、その姿を捉えていたリヴァイがすかさず馬から降り何かの気配を探る様に目を凝らし歩き始める。

「リヴァイ、私も行っ」
「…もう一体いる」
「へっ!?」
「馬を見てろ」
「あ、ちょっと…!」

リヴァイの歩みは次第に駆け足になり、その場にハンジを残して霧の中に姿を消して行った。

『う"っ…』

朦朧とする意識の中、立ち上がろうとするが無理だった。目の前にいる子供の姿をした巨人はなんとも嬉しそうな表情を浮かべている様に見え、早く自分のことを捕食したいんだろうとクロエは思った。もっと調査兵団に尽力するつもりでいた。兄の分までより多くの巨人を駆逐するんだと…。
しかし、その思いがこんなにも早く潰えるとは思っても見なかった。死を覚悟するなんて口だけで、実際はこんなにも恐ろしくて本能が生きたいと叫んでいる。

『リヴァイ…兵長っ…』

伸びてくる巨大な手がクロエの横たわる体を掴むか掴まないかという瞬間。

『助け…てっ…、兵長っ…』

もうダメだと、目をキツく閉じた。

「オイ…」
『…!!』

ザンッ!!!
という刃が肉を削ぎ落とした生々しい音の後に聞こえて来た不機嫌な声。すぐに目を見開き顔を上げると、そこには巨人の返り血を浴び心底不快な表情を浮かべたリヴァイがクロエを見下ろしていた。

「汚ねぇ手で、オレの部下に触るんじゃねぇよ」
『兵……長…』

信じられなかった。

「クロエ…」
『リヴァイ、兵長っ…』

本当に救ってもらえるなんて考えても見なかった。ただ生きたいと強く願った瞬間、リヴァイに言われた言葉を思い出していた。吹き上がる蒸気の中、巨人の頭の上から飛び降り近づいて来たリヴァイがクロエの体を少しだけ起き上がらせ安否を確認する。血だらけだが、自分を見つめてくる大きな瞳は間違いなくリヴァイを映し生きている。それが分かり自然と体中の緊張が解けていく感じがした。

「…汚ねぇな。いつにも増して」
『………兵…長…』
「おまけに、なんて顔してやがる」
『…っ』

ポケットから取り出された白いハンカチがクロエの涙と顔に付いた血を拭う。その手がいつもは粗暴で冷酷なリヴァイとは思えないほど優しくて温かくて、自分は生きているんだと改めて強く実感する。

『…兵長っ…』
「あ?」
『…っ私……みんなをっ……』
「………」
『…守れ、ませんでしたっ…』
「…クロエ」
『ごめん、なさいっ…兵長っ…ごめっ…なさいっ』

ゆっくりと上半身だけを起こし、震える両手でリヴァイの腕を力一杯掴みながら悲しみと悔しさをあらわにするクロエ。リヴァイは自分の胸板辺りで俯き肩を揺らし泣いている部下の血に汚れた手を振り解くことなく、切れ長の目を少しだけ悔しそうに細めた。

『…うっ…ひくっ…』
「クロエ…」
『…っ……』
「お前は一人で、十分過ぎるほど戦った」
『でもっ…守れなかったっ……!』
「……」
『私が弱いせいでっ…みんなを、死なせた…!』
「おい…」
『私がもっと…もっと…う"っ…ひくっ…』

リヴァイの言葉に非力な自分が許せなくて、反発するようにその胸板に拳をぶつけるクロエ。慰めが欲しいわけではなく、むしろその逆に咎めて欲しかったのだ。どうして仲間を守れなかったんだと…。リヴァイからかけられる言葉を素直に受け入れることが出来ない。気持ちのやり場を失い情けなく俯きながら、何度も何度も彼の胸板を叩き泣きじゃくるしかなかった。

『兵長みたいにっ……力があればっ……』
「………」
『…失わずに、みんなを守れたっ…』
「もうやめろ、クロエ」
『…っ…』

痛くはなかったが、自分の胸板を叩いていたクロエの両腕を掴み動きを制止するリヴァイ。悲しみや悔しさ、辛さと恐怖が複雑に入り混じった大きな瞳と目が合うと、抱いてはいけない感情が顔を出し表情を歪めながらクロエの後頭部に手を回し自分の胸板に引き寄せた。

『…ひくっ…ふっ…』
「オレにも、救えない命は山ほどある」
『……っ…』
「自分の力を信じても、信頼にたる仲間の選択を信じても…。結果は誰にも分からない」

自分の胸の中で肩を震わせ泣き続けるクロエ。仲間ができ、いつか必ず通ることになるであろう茨の道がこんなにも早く来てしまったかと冷静にそんな風に思う。自分そうだった。地下街で共に生きて来たファーランやイザベルを、悪友であったエクトルを…たくさんの仲間を守ることができなかった。どんなに自分の力を信じても、仲間を信じても、その先の結末までを変える事はできないとリヴァイは知っている。

『うぅぅっ…』
「よく、生きていてくれた。…クロエ」


その雨がを拭って
(今はもう、それだけで十分だ…)
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