「最近クロエの笑った顔、見なくなったね」
「そう、ですね…」

壁外調査から数週間。
奇行種との戦いで負傷した右足も治り、明日からリヴァイとの実戦訓練再開に許可が降りた。しかしあの日…オリヴィアたちを失ったあの日から、明るく前向きだったクロエの姿を見ることはなくなった。周囲もその変化を不安視するほどで、いつも笑顔だった彼女は今、この世界の現実を目の当たりにし、何かを悟り、深い悲しみと自責に取り憑かれ、苛まれているようだった。

「いっつも遠くばかりを見つめて、心ここに在らずって感じ」
「彼らを守れなかった自分を、責めているんでしょうか…」
「優しい子だからねぇ、クロエは」

書類に目を通しながら、思い出される無邪気な笑顔を恋しいと思った。それはハンジに限ったことではない。残酷な世界に抗い続けなければならない生活の中で、彼女の笑顔は希望その物のように見えていたから。
明るく素直な性格は、兄譲り。
この調査兵団において、根明なクロエはとても稀な存在といえた。

「見守ることしか、できないんでしょうか…」
「まあ…自分を納得させられるのは、結局自分しかいないからね」

それに…と紙の上を走らせていたペンを止めて顔を上げたハンジは、他の誰よりも彼女の身を案じているであろう粗暴な兵士長のことを思い浮かべながらモブリットにペン先を向けた。

「今回は、彼女の上官であるリヴァイに任せる」
「……分隊長…」
「まぁ、クロエが私を頼ってくれば別だけどさ」



シュウゥッ…っと音を立てて蒸発していく赤い血に濡れたクロエが壁上へと着地する。乱れた髪をかき上げて小さく溜息を吐くと、周りにいた兵士たちが少しばかり引きつった表情を浮かべているのが視界に入った。無理もない。病み上がりのクロエがものの数分で壁周に集まっていた巨人をほぼ一人で駆逐してしまったからだ。
今までであれば誰かしらが彼女の活躍を称賛し、気軽に声をかけていたのだが異様なまでに人を寄せ付けない雰囲気を放っている今のクロエに近づく者は居なかった。ただ一人、彼を除いては。

「オイ」
『……兵長』
「病み上がりが何してんだ。訓練再開は明日からだと言ったろ」
『…体は動くし、大丈夫です』
「そうゆうことを言ってんじゃねぇよ」

相変わらずの仏頂面を下げ、クロエの前に姿を見せたリヴァイに冷めた視線が突き刺さる。彼女らしくない、その冷ややかな瞳を心底似合わないと思った。周りにいた兵士たちは、二人の間に流れる不穏な空気に冷や汗を垂らし息を飲む。今までの、嬉しそうにリヴァイの後を追って戦い方の助言を求めていたクロエはどこに行ってしまったのか…と。

「勝手な行動を取るな」
『………』
「お前の鬱憤晴らしに狩っちまったら、新兵の訓練にならねぇだろ」
『ゆっくり構えて処理してたら、壁周が巨人で溢れ返ります』
「訓練の邪魔だと言ってんのが理解できねぇのか?」
『…こんな訓練したって…死ぬ時は何もできずに死にますよ』
「死んでんのは今のお前の腐った性根だ、クロエ」
『……は?』

一切の躊躇や隙を見せず、だがどこか余裕のある声色でリヴァイはそう言い放った。視線は逸らさず、ただクロエを見つめる。重なった視線の、冷ややかな瞳の奥にある彼女の本心を見透かすかのように。

「壁外調査で少しは成長するのかと期待したが、何だそのザマは」
『……っ…』
「自分は特別だとでも思ってたのか?オレの班に配属されて、実力は十分だと?…もしそうなら、とんだ過信だな。お前の兄貴も自意識過剰な奴だったが、あいつは仲間が死んでも悲劇のヒーローみてぇに腐ることはなかった。自責に駆られて勝手に引きこもって、あえて周りと距離を取るようなダセェ行動はしなかった」

リヴァイの言葉に、クロエの両手が拳に変わる。

「お前が調査兵団にいる限り、仲間の屍を踏み台にしなきゃならない状況は当たり前のようにやって来る。その度にそうやって腐って、塞ぎ込んで、逃げて、生き急ぐ馬鹿になるならオレの班にお前は必要ない。…いや、それ以前の問題だ」
『……っ…るさいっ…』
「仲間の死を超えられない奴に、調査兵団を名乗る資格はねぇよ」

刹那…。
リヴァイの頬に、クロエの拳が打ち込まれた。

「うわぁぁぁぁぁっ!クロエが、リヴァイ兵長をっ…」
「殴ったぁぁぁぁぁあ!!??」
「クロエーー!!!お前何やってんだっ」
「相手はリヴァイ兵長だぞ!!!」
『うるさい黙れ!!!何が人類最強だ!何が兵士長だ!』

絶望的な表情を浮かべ、この世の終わりだと震え上がる他の兵士たちを意に返さず、鋭い眼光を向け切れた唇から滲んだ血を拭うリヴァイの隊服を力強く鷲掴んだクロエ。ここ数週間抑え込んでいた感情が、一気に爆発した。

『黙って聞いてれば好き勝手言いやがって!誰しもが、アンタらみたいに強いわけじゃないしっ、仲間の死を割り切れるわけじゃないっ!一生懸命頑張ったって、オリヴィアさんたちが死んだのは一瞬だった…!守れなかったことに責任感じて何が悪いのっ!』
「………へ、兵長っ…!」
「いい。構うな」

人類最強の胸ぐらを掴み、悔しそうに感情をぶつけるクロエ。兵士の一人が声をかけるが、リヴァイは片手でそれを静止し今にも泣き出してしまいそうなクロエのそれをしっかりと受け止める。

『リヴァイ兵長みたいに強くないからっ…塞ぎ込むし、悲しいし、辛いし、痛いんだよっ。葛藤くらいさせてくれたっていいだろバカ兵長!!!』
「あ…?」
『久しぶりに声かけてくれたと思ったらオレの班には要らねぇだの、辞めろだの何なんですか!!!仲間を守れないのはアンタだって同じじゃないか!強いからって偉そうにっ!謝れチビ!!!』
「「「「クロエーーーー!!!!」」」」

それは絶対に言ってはいけない一言だと、周りの声が綺麗に重なる。

「いい度胸だなガキ」
『リヴァイ班なんてこっちから願い下げだ!』
「こっちもお前みたいな騒ぐしか脳のねぇ奴要らねぇよ」

リヴァイはクロエを見下し、クロエはリヴァイを睨みつける。互いの視線がバチバチと火花を散らし始めたその時だった。

「ちょっと!!!何してんの二人ともー!!」

騒ぎを聞きつけやって来たハンジが、二人の間に割って入り仲裁役をかって出たのは。

「夫婦喧嘩なら他所でやってよ!」
『「黙れクソメガネッ!」』
「…え…クロエにまで言われた……」
「分隊長!あなたが空気読まないからです!」


There is always a better way.
(ほらね。やっぱり任せてよかっただろ?)
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