「処分は無しだ、クロエ」
『……え?』
「もう下がっていいぞ」
『えっ、ちょ、ちょっと待ってください!』
壁外調査から数週間後に起きた兵団内での小さな事件。
団長であるエルヴィン・スミスは直属の上官であるリヴァイの命令を無視したあげく、新兵を含む大勢の兵士の前で彼を罵倒しさらには右頬を殴るという誰がどう見ても軍規違反に当たる行動をしたクロエを前に、冷静な態度を崩さずそう告げた。
「何か不服か?」
『いえっ!まさかそんなっ…』
「なら話しは以上だ」
『でもあのっ、私はリヴァイ兵長をっ…殴って、しまったわけで…なので、その…一階の兵士がなんの処分も受けないなんて兵団の規律に関わると言いますか…示しがつかないのではないかと思うのですが…』
愚かな自分への罪悪感を抱えながら胸の前で両手を組み、恐る恐るエルヴィンに意見を投げかけるクロエ。その怯えた様子からはあの人類最強に立ち向かったほどの勇猛果断さは感じられず、思わず笑みがこぼれた。
「リヴァイがそう判断したのだから、これ以上この件について追及することない。意見の相違は多々あることだ。気にするな」
本当にそれでいいのだろうかと疑心暗鬼になりながらも、固い表情を緩め労わるような声色でそう言ってくれたエルヴィンの言葉を受け入れる。さすがは調査兵団団長。何気ない言葉にも、妙な説得力が宿っている。
『エルヴィン団長…』
「なんだ?」
『私は兄のように強く…勇敢な兵士になれるでしょうか?』
瞳を伏せ、弱々しい面持ちで問いかける。
「リヴァイに何か言われたのか?」
『…!』
二度も壁外調査を生き抜いた新兵にしては、随分と弱気な発言だった。リヴァイ班への引き抜きが決まったあの日から、クロエは自分の力を過信し浮かれていたのかもしれない。
目標であった兄エクトルに、一歩近づけたような気がして…。
しかし現実は彼女の自信を打ち砕き、弱さを晒した。
一歩壁の外に出た自分は、仲間一人すら守ることのできないただの新兵で、特別でもなんでもないのだと。
そんな自分の弱さに嫌気がさし、塞ぎ込み、他者を寄せ付けず、命を救ってくれたリヴァイに対して身勝手な行動をとった。
『…"仲間の死を超えられない奴に、調査兵団を名乗る資格はない。"と…。もっともな指摘を受けました』
「…そうか。それで腹を立てたのだな」
『すみません…』
バツが悪そうに視線をそらしたクロエを見つめ、微笑するエルヴィン。リヴァイに図星を突かれさぞ悔しかっただろうと察しがつく。
「調査兵団は、多くの命の犠牲の上に成り立っている。仲間の死を嘆き悲しむことは、決して悪いことではない」
『…はい』
「だが、己の下した決断に後悔だけはするな」
穏やかな口調で言われたその一言が、クロエの心を強く打つ。思い返せばここ数週間、後悔ばかりを繰り返している。オリヴィアたちの最後を何度も何度も思い返しながら、自分の行動を悔やみ続けている。
エルヴィンは悔恨に苦しむ部下の心の内を見透かすような視線をむけ、再び口を開いた。
「後悔の記憶は、次の決断を鈍らせる。そして決断を他人に委ねようとするだろう。そうなればあとは死ぬだけだ。結果など誰にも分からない。残酷なように聞こえてしまうかもしれないが、仲間の死を無駄にするかしないかは、君の次の決断次第だ。クロエ」
『……っ…』
ロイヤルブルーの瞳にたまった涙が溢れないよう、必死で唇を噛み締めるクロエ。なぜか心の薄曇りが晴れたような感覚を覚え、左手を心臓に押し当てた。
「君はリヴァイが認めた優秀な兵士だ」
『……はいっ』
「今後は彼の右腕が勤まるほどに励めよ、クロエ」
『…はい!エルヴィン団長っ』
瞳からこぼれ落ちた一粒の涙が、頬を伝った。
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