ああ憂鬱だ。非常に憂鬱だ。
今まで聞いていた話とはまるで別世界。
兄の背中を追うようにして調査兵団を志していた頃から、やはりリヴァイの名前は飛び交っていて兵士を目指す少年少女たちからは特に羨望の眼差しが向けられいた。もちろん自分もその中の一人で、壁外調査へ赴く兄を送り出すのがとても誇らしかった。
多くの犠牲者を出しながらも無事に帰って来る兄のエクトルはあまり兵団の話をしてくれなかったけれど、隊長たちは皆いい人ばかりだといつも笑顔で言っていたのを今でも覚えている。どこの隊に所属していたのかも、誰と親しかったのかも分からないが確かに兄はいつも笑顔だった。
『きっと兄さんは、リヴァイ兵士長の下には付かなかったんだ…。だからあんなに笑っていられたんだ』
「お前はオレの部下になるのがそんなに不服か?」
『!!!!』
箒を手に朝の清掃をしている最中、一人だから大丈夫だという気構えが甘かった。いつからそこに居たのか気配すら感じることができず、とてつもなく不機嫌全開のリヴァイが目の前まで歩み寄って来る。急いで敬礼をして姿勢を正すが冷や汗ザーザー、心臓を捧げる前に吐き出してしまいそうな気分になった。
「オイ…不服なのかと聞いている」
『い、いえ!滅相もない!むしろ、光栄です』
「ほぉ…。そうか」
『う…』
「ならてめぇは死ぬまでオレの部下決定だ。実戦に慣れて来たらハンジの所にくれてやれとエルヴィンに言われてたがな、可愛い部下の希望を汲むとしよう。なぁ、クロエよ」
『(最悪な人生コースに踏み外したっ!)』
まさに確信犯的な恐ろしい笑みを浮かべ有無を言わせない威圧感をバンバン放出させて来るリヴァイを前に、クロエは人生終わったと顔面蒼白で『…光栄の極みです…』と思ってもいないことを口にするしかなかった。
『(何も言わなければハンジ分隊長の所に行けたかもしれないのにっ…。私の大バカ者!!)』
「それはそうと」
『は、はい』
「掃除が済んだら訓練場に来い」
『え、今日は野外訓練ですか?』
「いや。お前がオレの部下に相応しいか確認する」
『………』
「立体起動装置の準備をして来いよ」
「あと、洗っとけ」そう言いながらまた投げつけられた清掃用のマスクと布巾を手に、クロエは唖然としながら部屋から出て行ったリヴァイを見つめていた。昨日と同じ様な場面に舌打ちをしながら布巾を床に叩きつけた。
*
『あ、あれっ…ハンジ分隊長?それに…』
「副官のモブリットです。宜しく、クロエ」
『は、はいっ。こちらこそ』
立体起動装置を付け訓練場に向かうと、リヴァイより先に二人を見つけたものだから少しだけ驚いた。会うのは初めてではないのにろくに会話もしたことが無かったからだろう、にこやかに握手を求め挨拶をして来てくれたモブリットの優しさかつ超常識的な感覚にクロエは心の底から黒いものが浄化されていく気がして癒される。
差し出された手を両手で握りしめ、ひしひしとオアシス的存在のありがたみを噛み締めていると目の前にいるモブリットの表情が真っ青になるのが分かった。一体何事だろうと首を傾げたと同時に、首根っこを勢いよく掴まれて引き離されてしまった。
「…呑気に挨拶なんてしてんじゃねぇよ」
『(出たっ!)す、すみませんっ』
「ちっ」
「ひぃ…っ」
借りて来た猫の様に身を縮めるクロエを片手にモブリットを睨みつけて舌打ちをすると、小さな悲鳴が聞こえて来た。そんな様子を近くで見ていたハンジが助け舟を出す。
「私のかわいい部下を睨みつけるなよリヴァイ」
「ハンジ、見学はいいが邪魔はすんなよ」
「私がいつ邪魔をしたって?」
「今ここにいることが、だ。行くぞクロエ」
『え、あ…行くぞって言うか、引きずられているんですが…いてててっ』
「ああ?」
『いえ!支障ありませんっ』
時折転びそうになりながらもリヴァイに連れ去られていくクロエを見つめながら、ハンジはやれやれと呆れながらも楽しそうな表情を浮かべた。
「余計なことをしたでしょうか?」
「いや全然?むしろクロエは嬉しそうだった」
「は、はぁ…」
「四六時中リヴァイと一緒にいれば、君の様な存在が神様に見えるんだろうね。新兵のあの子にはさ」
二人の後を追いかけるため歩き出したハンジの後ろを、モブリットも着いていく。クロエの兄のエクトルが、調査兵団の中でも腕利きでリヴァイやミケに次ぐ実力の持ち主だったことは知っている。自分自身も何度か会話をした事があるが、気さくで話しやすい人物だった。
兵団の中でもエクトルとリヴァイはよく行動を共にしていた様だったし、彼の死後妹のクロエを気にかけているのは分かっていた。
「本人はそうじゃないと言ってるけれど…」
「??」
「自分を守って犠牲になった戦友から妹を頼むなんて言われたら…彼でなくても気にかけてしまうよね」
あの日の約束が今日を繋ぐ
(しかもあんなに可愛いだなんてさっ!)
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