「んぅ〜っ……」
『さあ炭治郎!もう一本!』
「は、はいっ…!うおぉぉぉっ!」
「……?」
木刀同士がぶつかり合う音が響く中、まだ覚醒しきらない感覚のままぼんやりと天井を見つめる。耳の良い彼の聴覚を刺激して来るのは、炭治郎の気合いに満ちた声と、彼に稽古をつけているであろう細やかな指示を飛ばす女性の声。
ここ何処だっけ?俺何してたんだっけ?と懸命に思考を巡らせながら声のする方へ首を傾けた、次の瞬間。
「いぎゃあぁァァァっ!憂凪さあああんっ!」
『えっ……?』
夢にまで見る憧れの人の姿を捉え、善逸は閃光の如く彼女のもとへ突撃を開始した。無論、木刀の打ち合いが行われている最中だ。
「うわぁぁ!?善逸!危ないだろっ!!稽古中だぞっ」
「憂凪さんだ!女神だ!天女が来たァァッ」
「お、おい!くっつくなよ!離れろ!」
「俺のことが心配で来てくれたんですよねぇ!?」
『善逸君目が覚めたんだね』
ここは蝶屋敷の道場。
炭治郎の稽古をつけていた憂凪の腰回りに飛び付き、だらしない表情を浮かべ頬擦りをする善逸。そんな彼を必死で引き剥がそうと試みるも、何故かびくともしなかった。目上の人間…しかも女性に対してかなり無礼であろう態度をかましているにも関わらず、憂凪は優しい笑顔を浮かべて善逸の頭にぽんっと軽く手を置いた。
『軽い脳震盪って聞いたけど、もう大丈夫なの?』
「憂凪さんに会えたからもう治りましたっ」
『うんうん。炭治郎も善逸君も、稽古頑張ってるね』
偉い、偉いと言いながら二人の頭を優しく撫でた憂凪の笑顔が可愛くて、善逸と炭治郎の頬がほんのりと赤く染まった。
「可愛い!(憂凪さんに頭撫でられた!今生に悔い無いよ俺!)」
『そう言えば、伊之助くんは?』
「えっと、伊之助なら…」
善逸を引き剥がそうとする動きを一旦止めて、憂凪の問いに答えようとしたその瞬間、道場の入り口の戸が外れそうなくらい勢いよく開き、もう見慣れた猪頭が姿を現した。何という間の良さなんだと思いながらも元気そうな姿に手を振ると、鼻息を荒くした伊之助が「猪突猛進ー!」と叫びながら突進して来たではないか。
「来たな半々羽織弟子!俺も混ぜろ!!」
「来んなよバカ!!憂凪さんにバカがうつるだろうが!」
「お前も離れろ善逸!いつまでくっついてる気なんだ!」
『みんな元気そうで良かったっ』
「「「…!」」」
善逸の腕の力が一瞬緩んだ隙に身を離し、矢の様に飛んでくる伊之助の背中にタンっと手を付きながら宙返りをしてひらりと何食わぬ顔で避けて見せた憂凪。
軽い身のこなしは刹那のことで、三人は唖然としながら少し距離を空けて着地した憂凪を羨望の眼差しで見つめた。
『怪我はだいぶ良くなってるねっ。このまま訓練を続ければっ…』
「続ければ、お前の様にならなくて済むのか?」
刹那、炭治郎と善逸の顔から血の気が引いていく。
『…え?』
「憂凪」
笑顔で炭治郎たちの経過が良好であることを伝えていると、突然背後から首根っこを掴まれ声を低くした不機嫌な水柱が顔を覗き込んで来る。研ぎ澄まされた気配に誰も気づくことができず、炭治郎たちはもちろんのこと、継子である憂凪ですら身を震わせ情けない表情を浮かべた。
『(ガクブルガクブルッ…)』
「と、冨岡さん…憂凪さんは俺たちを心配して…」
「俺の継子が気にすることじゃない。帰るぞ」
『え、あ、えぇぇっ…。みんなぁ〜っ!』
炭治郎の助け舟をぴしゃりと叩き落とし、服の襟を掴みずるずると憂凪を連行していく冨岡。一生の別れではないというのに、大袈裟に「憂凪さんがァァッ」と泣きじゃくる善逸。
必死で三人に手を振る憂凪。
二人の姿が見えなくなると、善逸が炭治郎の目の前に立ち慌てた様子で口を開いた。
「なあ炭治郎〜!あの人って憂凪さんの師範だよな!」
「あ、ああ。そうだけど…」
「憂凪さんと四六時中一緒ってことだよな!?」
「カナヲとしのぶさんみたいな感じじゃないか?継子なわけだし」
「…え、なに、じゃあなに!?一つ屋根の下で憂凪さんとご飯食べたり、縁側でお茶したり、あんな事やこんなことが許されるような稽古してるってこと!?いぃやぁぁあァァアッ!俺の憂凪さんがぁ〜っっ」
「お、おい善逸…っ」
一人声を上げて暴走する善逸を宥めるのは大変だ。
何せ彼は冨岡の継子である憂凪に憧れを抱いているから。
そんな二人を無視しながら入り口に視線を向けたままの伊之助が、「また勝負できなかった!」と地団駄を踏んだ。
2
*前次#