別に足が速くなる必要はないし、効率を考えても本当はプールに行きたかったけど、流石に4月は寒い。
心操くんは、あの後もいつも通り私に話しかけてくれた。私が勝手に気まずく思ってただけ。私は彼に同情しているのかもしれない。なんて上から目線なんだろう。
彼はとてもよく気のつく人だから、そんな私の同情心なんて見透かしていただろうけど、何も言わずに私に笑ってくれた。彼は本当にいい人だ。
***
「木空! ちゃんと学生証持った?!」
「持っ……てない!」
たいへん、忘れるところだった。これじゃあ早起きした意味がなくなってしまう。
雄英高校はセキュリティ万全で、学生証がなければそのゲートをくぐることができない。なんでこう、私はいつも何か足りないんだろう。
「朝からじめじめしてないで、せっかくの雄英の制服が台無しじゃないの」
緑ラインのグレージャケット、赤が目を引くプリーツスカートとネクタイ。まだ型の崩れていない制服は、私の肩に期待とプレッシャーを乗せた。
「ありがとうお母さん。いってきます!」
珍しく玄関先まで見送ってくれたお母さんは、微笑ましそうに私を見送ってくれた。
そわそわしながら歩く桜並木。今日は雄英高校の入学式。
人見知りで友人と呼べる友人の少なかった中学校生活。別に不満はなかったけれど、今日から私が所属するヒーロー科は学年41人しかいない上に、万年女子が少ない傾向にある。
普通科には心操くんがいるけど、カリキュラムが違うから中学生だったひと月前までと同じようにはいかないだろう。友達、できるといいなぁ。
受験以来の雄英高校。やっぱり校門前で少し見上げてしまったけど、そのうち何も思わなくなる日がくるのだと思うと少し寂しい。
やたら幅の広い廊下や階段、度々視界に入るこの馬鹿でかい扉は、多種多様な個性のためのバリアフリーだろうか。校舎に入ったばかりの頃は周りにいた人たちも、途中で目的地が逸れてしまって、今廊下に響く足音は私のものしか聞こえない。
しばらく歩いて、私の足は1−Aと書かれた相変わらず大きなドアの前で止まった。
ここが、私のクラス。せめて誰かと一緒なら、ドアを開けるのも緊張しなかったのに。
自分を落ち着かせるために深呼吸をした。どうか、クラスメイトに恵まれますように!
意を決してドアを開けると、視線が私に集まるのを感じた。それだけで緊張してもつれそうになる足をなんとか動かして、指定された自分の席へ向かう。
「……っ!!」ガタガタガタ
席にたどり着く前に、“何か”に肩を叩かれて、派手に音を立てて転んだ。
「! …………??」
慌てて振り向く。すぐに目に入ったのは私が着ているのと同じ雄英の制服。その制服だけが宙に浮かんでいて、肝心のそれを着ているはずの“人”はもぬけの殻だ。
ま、まさかこんな昼間から幽霊!?!? 私は驚くと声が出ないタイプなので、目をぱちぱちさせて、ただうずくまっていることしかできない。
「あはは! 面白い反応するねぇ!」
「と、透明……?」
「そうだよ〜。私、葉隠透っていうの! そんなに驚くとは思わなかったよ、ごめんね!」
ケラケラと笑い続ける葉隠透ちゃん。透明人間、そんなのありかぁ……。
「ぷっ、すごい盛大に転んだね。大丈夫?」
私が座り込んでいる横の席から黒いショートヘアの、前髪アシメが特徴的な女の子が笑って手を差し伸べてくれた。
「ごめんね、ありがとう……」
「ん、耳郎響香。よろしくね」
「清浄木空、です。よ、よろしくね、透ちゃん、響香ちゃん……!」
二人ともとても親しみやすくって、声をかけてもらって嬉しくって。思わず顔が綻んでしまう。
「うっ、ピュア可愛いよ〜。お花が飛んでるみたい!」
「なんか浄化されてく気分。心なしか空気も綺麗に感じる……」
「? ……! あ、えっと、空気が綺麗なのは私の、」
私の個性。そう言い切る前に、近づいてきた人の気配が私たちの会話を遮った。
「俺は市立聡明中学出身の飯田天哉だ。入学そうそう仲良くなるのはとてもいいことだと思うが、もうそろそろ席に着いておいた方がいいんじゃないか?」
受験の時の眼鏡の人、同じクラスだったんだ。直線的な手の動きが独特だな、と思った。
「ご、ごめんね、そうします……!」
そしたら響香ちゃんと透ちゃんが、また後でね、と言ってくれた。それだけで幸せになる私はなんて単純なんだろう。
飯田くんは私の返事を聞くと、またすぐ他の人を注意しに行ってしまった。
ミルクティー色の綺麗な髪の、ちょっと目付きの怖い男の子。彼が机に足をあげていることを注意しているみたいだけど、指摘の仕方とか、真面目なんだろうなぁって感じ。聡明、エリート私立だしね。
ぼーっとそんなことを考えていると、教室のドアが大きく開いて、“それ”は私の目を釘付けにした。
緑谷くん、緑谷くんがいる。彼もこのクラスだったなんて。
彼に気がついた飯田くんは、また自己紹介をしに行った。彼は何度自己紹介するんだろう。
それにしても、受験の時に彼に苦手意識を持ったのは間違いだった。きっと彼は、ただただ、まっすぐなんだろうな。
緑谷くんはまだ教室の入口にいて、見覚えのある女の子と話している。もしかして彼女、あの0Pヴィランの時の……? そういえばこのクラス、金髪のお腹からビームが出る人もいる。もしかすると、私の割り振られていた演習場Bはなかなかに激戦地だったのかもしれない。
緑谷くんと彼女の後ろに何か別のものが見えた気がした。あれは……人? 寝袋にくるまって、栄養補助のゼリーをずびっと吸い込んだ。
「ハイ、静かになるまで8秒かかりました。時間は有限、君たちは合理性に欠くね。担任の相澤消太だ、よろしくね」
担任の先生……ということは、プロヒーローなんだろうけど、とてもそうは見えない。あんなヒーローいただろうか。
「早速だが、コレ着てグラウンドに出ろ」
雄英特有の青い体操服。こんなに早く着ることになるなんて。
先生から手渡されたそれを見て、湧き上がるのは感動ではなかった。