#08・09
(side赤羽業)
「通報してもすぐ解決はしないだろうね。……ていうか、俺に直接処刑させて欲しいんだけど」
頭にまだズキズキと痛みが残っている。
意識が戻って一番に確認したのは若葉さんの安全だった。後頭部に手を置いて首を回して視線を巡らせた。予想していた通り、若葉さん、それから茅野ちゃんと神崎さんの姿は見当たらなかった。
頭に血が上って、再び鋭い傷みが走る。
意識を失う直前に見た、若葉さんの顔が忘れられない。あの瞬間、彼女の瞳には何も映っていなかったのではないかと思う。危険な状況だというのに、ただ呆然と立ち尽くしていた。諦めて傍観する事で身を守る彼女を、俺が助けてやらないとだめだと思った。
渚君の持っていたしおりを頼りに潜伏先を突き止めた。床に転がっている若葉さんが男に髪を掴み上げられていたのが網膜に残像を残している。
「……で、どーすんの? お兄さん等。こんだけの事してくれたんだ。あんた等の修学旅行はこの後全部入院だよ」
「………………。……フン、チューボーがイキがんな」
コンクリートの壁の向こうからドカドカと足音が聞こえてくる。
「呼んどいたツレ共だ。これでこっちは10人。おまえらみたいな良い子ちゃんはな、見た事も無い不良共だ」
男の言葉と同時に金属の擦れる音がして、後ろの扉を振り返った。
「不良などいませんねぇ。先生が全員手入れしてしまったので」
先生に新しく配られた重いしおりで男達を殴りつけて、そいつ等が意識を失っている事を確認する。そしてすぐに振り返って若葉さんに駆け寄った。
「っ、若葉さん大丈夫、?」
「ありがとう、赤羽君」
ロープを解きながら彼女の声を聞く。
素直にお礼を口にする彼女の目が見れない。俺が油断せずにあそこで男を倒せていれば彼女達はこんな目に遭わなかったのだ。
「……痛かったでしょ」
彼女の側頭部に手をやる。手が伸びたのは無意識だったけど、それでもいいかと身を任せた。彼女の傍観者じみた無表情を少しでも崩してやりたいと思っていた。でもそれはあんな風に痛みで顔を歪める事じゃない。
「守ってあげられなくてごめん。……怖かった?」
「……ううん。来てくれると思ってたから」
その言葉に俺はついに彼女の目を見た。彼女はこんな場所だというのに穏やかな色をその目に映している。思わずその色に見とれた。でもすぐに彼女が目を逸らして挙動不審になった事で、その場の張り詰めた空気が霧散する。
「だってほら、こ、殺せんせーのしおりに対策、書いてあったし」
「……もしかして若葉さん、あれ全部読んだの?」
「読んだ……」
そういえばしおりを持って来ていると殺せんせーに言っていたのを思い出す。あんな何千ページもあるようなものを全部読むなんて普通しない。俺なんて配られたその日に寺坂に押し付けてしまった。
「若葉さんって結構真面目だよね」
「普通だと思う」
ずっと思っていた事を口に出すと予想外に即答される。息を一つ吐くと肩の力が抜けてしまい、コンクリートの冷たい床に腰を下ろして膝に手を乗せた。
捕まってしまう前と何ら変わらない彼女に呆れてしまう。顔を上げて彼女の方を見た。
「! ……今笑った?」
「、笑って、ない」
幻だったのかと思うほどに、瞬きをした次の瞬間にはいつもの無表情だった。でも今確かに彼女の瞳は笑っていた。
「……まぁ、今日は無事だっただけでいいか」
彼女が認めるくらい笑顔にする。それが俺と若葉さんが最初に交わした約束だ。それに俺が彼女の笑顔を見たい場所はこんな所じゃない。彼女があの椚ヶ丘で笑えなければ意味が無いんだ。
彼女と一緒に廃墟を後にする。後ろで手を引かれていた彼女が俺の手を解いた。鞄からあの分厚いしおりを取り出したかと思うと、その様子を彼女の頭越しに覗き込んでいた俺を抜かして走っていった。
「神崎さん……!」
彼女の中で何の葛藤があるのかはわからない。神崎さんは何かが吹っ切れたような顔をしているのに、若葉さんはまだ自分の足場でうずくまっているように見える。
若葉さんと神崎さんが話し終わると様子を見守っていた殺せんせーや渚君達が再び歩き出した。安堵の息をついた彼女の隣に立って彼女を見下ろす。見上げた彼女の目の奥が揺れていた。
「ねぇ、俺とも写真撮ってよ」
若葉さんを女子の大部屋まで送り届けた後、先程購入したばかりのレモン煮オレの缶を開ける。ジュースを煽って熱を冷ました。
湯上りの彼女の白い肌は少し目に毒だ。岡島や前原ほどそういう事を気にするわけでは無いが、いつもより彼女の方を見れなかったのは所詮俺も中学生だという事だ。
「お。面白そうな事してんじゃん」
声のよく漏れる襖を開けると木の枠の傾く音が鳴った。中では男子が輪になって一枚の紙を囲んでいる。ちらっと見えたその紙の上には『気になる女子ランキング』と書かれていた。
「カルマ良いとこ来た」
「おまえクラスで気になる娘いる?」
「みんな言ってんだ逃げらんねーぞ」
女子のいないところでする話題といえばやはりこんなものなのだろうか。俺も“面白そう”と声をかけた手前そこに口を出せる立場ではない。
そんな思考を端に追いやり、クラスの女子を順に思い浮かべる。
「……うーん。奥田さんかな」
本当は一番に思い浮かんだのはさっきまで談笑を交していた彼女だった。でもこいつ等のように素直に“女子として”気になる娘の名前を上げるのは癪だったから、文字通り“人として”気になる娘の名前を口にする。
「お、意外。なんで?」
「だって彼女、怪しげな薬とかクロロホルムとか作れそーだし、俺のイタズラの幅が広がるじゃん」
「………………絶対くっつかせたくない二人だな」
今度奥田さんに頼んで、寺坂あたりにでも試してみようか。冗談でもなんでもなく本当にそう考えながら、畳の上に置かれていた紙を拾い上げた。眉間にシワが寄ったのが自分でもすぐにわかる。
「……ねぇ、若葉さんに3票も入ってんだけど」
露骨に態度に出た自覚はあるけれど気分が良くないのだから仕方がない。
「カルマ顔こえーよ!!」
引きつった顔でそう言った前原を少し睨みつけた。そして3票のうちの1票は前原だという確信を得る。
「でも実際、若葉さんいいよなー。クールで取っ付き難いところも高嶺の花って感じで結構人気あんだぜ」
観念したように頭の後ろで両手を組んだ前原が天井に言葉を投げかける。クールで取っ付き難い高嶺の花。ほら、若葉さんがそんな無表情でいるからこんな風に思われるんだよ。ここにいない彼女に向かって心中で呆れをぶつけた。喉の奥に溜まった息を捨てて眉間の力を緩める。
「若葉さんは、全然クールなんかじゃないよ。ちょっと怖がりなだけで」
前原と杉野が目を丸くして俺を見た。そんなこいつ等を心のどこかで笑ってやる。
「つーかカルマこそどうなんだよ若葉さんとは!」
「は?」
「おまえ最近若葉さんにちょっかいかけてんだろーが!」
そう迫ってくる前原を適当にあしらって明言を避ける。
笑顔にする、と宣言したもののまずは彼女の抱える不安を取り除かなければ先には進めない。彼女にはそれと正面から向き合ってもらわなければ。
「皆、この投票結果は男子の秘密な。知られたくない奴が大半だろーし。女子や先生に絶対に……」
磯貝の言葉が途中で途切れる。その視線の先ではデカい図体の殺せんせーが窓にぴったり張り付いていた。だらしなく顔を緩めて紙にペンを走らせている。
「メモって逃げやがった!! 殺せ!!」
前原の声を合図にそれぞれナイフと銃を手に部屋を飛び出す。俺は見られたところで困る要素は無いからゆっくりと後に続いて部屋を出た。
ドタドタと揺れる床の振動をのんびりと追いかける。しばらく歩いたところで俺より後ろに気配を感じた。
「若葉さん」
「赤羽君は殺しに行かなくていいの?」
立ち止まって彼女が隣まで来るのを待つ。
「今はいいかな」
「私も。疲れたしそろそろ眠い」
本人はそんな風に言うけれど若葉さんに殺る気が無いのは今に始まった話じゃない。若葉さんはきっと、本気になった代償に得られるものの価値を測りかねているのだ。勉強も対人も暗殺も。だからそれに見合う労力をも推し量れない。一歩踏み出せば見えてくる事もあるのにその一歩が重いと諦めている。
足を止めて彼女に向き直った。彼女の顔に手を伸ばす。
「え、ちょ、赤羽君……!」
不意打ちで頬を掴んで引っ張ってやれば、狼狽えたように俺の服を掴んで抗議の意思を訴えてくる。喉の奥で笑ったはずがつい音になって漏れてしまった。
じっ、と彼女の目を見れば、顔を僅かに赤らめて目を泳がせ始める。目を直視されるのが苦手なんだろう、ってのは彼女に構うようになってわかった事だ。
若葉さんは表情が顔に出にくいけれど、感情が無いわけではない。無表情ながらにすぐ驚くし、簡単に顔色を変える。
──クールで取っ付き難いところも高嶺の花って感じで……
いいんだよ、若葉さんの事なんか知らなくて。おまえ等は俺が踏み込んだ後の彼女の心に触れればいい。
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