裏切りは僕に残された最後の忠誠だった
「もう来られなくて結構です」
その言葉だけなら発言した女性が心冷たく非道な女かオレが迷惑を掛けて愛想を尽かした不憫な女に見えるだろう。しかし、実際には女性もとい義母は目を真っ赤にして今もなお流れ続ける涙をハンカチで押さえていた。
今日はアイツの命日だった。去年と同じように上品な白百合の花束を手に義母の家を訪ね、長い時間をかけてアイツの遺影に手を合わせ終わったとき、ずっと無言だった義母にそう切り出されたのだった。
もう赦してやってくれと言われた。自分を責めるのをやめてほしい。貴方は過去に縛られる必要はもうないのだと。なによりオレが来る度に幸せそうに笑っていたアイツの顔が浮かんで消えずに残るそうで、どちらかといえば義母が限界のようだった。
今までありがとうございましたと深々頭を下げて早々に家を出る。空は憎たらしいほど青くて澄んでいて、からりとした爽やかな風が髪を巻き上げながら耳の横を通り抜けた。
「……明日からどうやって生きよう」
目を閉じれば一番穏やかだったあの日々が今も浮かび上がる。しかし、アイツの頬の赤らみや背景の鮮明さは日に日に色褪せていく。過去の幸せにすがるだけの生活に限界なのはオレの方だった。
紅葉は色んなものをオレに与えてくれた。肩の力が抜ける場所。微睡める時間。揃いのキーホルダー。驚くほどうまい珈琲。人の暖かさ。いとしいという気持ち。ああ、柄じゃないさ。こいつの隣ならこんな人生も悪かないなんて我ながら気持ち悪かった。でも、それでも幸せだと思ったのだ。目の前の光景すべてが大切なものに見えて仕方なかったのだ。二人暮らしには少し窮屈に感じるアパートの一室。リビング兼ダイニングの一番広い部屋。最近よく見る芸人が出てるテレビを見ながらソファにもたれ掛かってたアイツが顔を上げて「おかえり千尋」とうっすら微笑みを浮かべてるのを見たら何故か帰り道心の中でぐちぐち呟いてた不満が一気にどうでもよくなってするりと溢れたただいまが自分でとりはだが立つぐらい穏やかでオレはあのとき確かに幸せだった。
もうあの光景は戻ってこないけど。
つーかなんでオレ今まで生きてきたんだろ。もういいじゃないか。アイツが死んでからの人生はただ食って寝て働いただけ。人として生きていたのはアイツが隣にいたときで止まっていた。親には申し訳ないが、それはオレの貯金で手を打って貰おう。ラノベも全部売ればそれなりの金額になるだろう。あの世とかラノベじゃよくあるけど、きっとアイツは怒るだろう。そして泣く。でも、隣にいないよりはましだ。地獄の釜に茹でられても、アイツが側にいてくれたらオレは何万年でも耐えるよ。その間色んな話をしよう。手を握ろう。愛してるって叫んでやってもいい。
もう限界だ。
紅葉。会いたい。
限界だ。
もう無理だ。耐えきれない。あいつが死んでから約五年。よくもまあそこまでダラダラと生き延びたものだ。辛い。寂しい。寒い。目に写る有象無象全てがあいつとの思い出を脳みそから引っ張り出してきて、いつもナイフで胸を引き裂かれたような痛みが走る。心が崩れる。目の前がぼやける。死んでもいいからあいつに会いたかった。触れたい。話したい。側にいたい。それが出来るなら死んだって構わない。ずっとオレを育ててくれた親とかいつも連絡を寄越す後輩とかのことは頭から吹っ飛んでいた。死のう。でも、その前にあれだけは。社会人になって貯めた給料三ヶ月分の指輪。買ったのはいいものの、一度もケースから出してないあれを付けよう。一人ぼっちのプロポーズ。少し遅れてしまったけど、あいつはあの世で待っててくれているだろうか。
真っ暗の空には一等星が数個浮かんでいるだけで月すら浮かんでいなかった。ああ、あいつの瞳と同じ色だなんて思ってしまう思考が我ながら気持ち悪い。
「鍵……チッ、奥に沈んだか」
バッグの中身を避けながら腕を突っ込んで探り回す。と、廊下の奥からカンカンと誰かの足音が響いてきた。まあこの階の住民だろう。気にする価値なしと早々に判断して鍵探しに戻った。ようやく指先で鍵に取り付けたリングを引っ掻けてバッグから掘り起こす。きらきら光るそれを無造作に鍵穴に突っ込んで一回転。がチャリと手応えを感じたので鍵を引っこ抜いてドアノブを回そうとしたその時だった。
「あの、すいません」
ああ、あいつの声が聞こえるなんて相当キてるな。さっさと死のう。
「その、少し退いてもらえると助かるんですけど」
うるさいな。そう急かすなよ。もうすぐ会えるんだから大人しくあの世で待っていればいいものを。ここでお前の声を聞こえるなんて、この世に未練を残すような真似やめろ。
「……お兄さん、聞こえてます?」
「わかってるよ。さっさと退けばいいん、だ………」
『千尋』
ああ、紅葉。
お前、かえってきてくれたんだな。
ったく、帰るならそう言やいいのに……何故言わなかった?あ?サプライズのつもりか。ふざけるなよこの数年間ラノベに費やした金返せ。いやりんごに費やすのはまだいいけどさ、マジでよく書籍化出来たなってやつも衝動買いしたんだぞ。取り敢えず目に写ったら買ったみたいなバカな理由で。しかも最後まで読んだし。意外に面白かったりして1人むなしく悔しがったんだからな。わかってんのか本当に。ほんとさぁ、間に合ったからよかったもののあと一分遅かったら俺死んでたんだぞ。ほんと、ほんと、まじいい加減にしろよ………
……まあいい。この数年で俺は立派なサラリーマンだ。業績も意外といい。この前ボーナス貰った。お前がいなかったからな。仕事とラノベ以外打ち込むものがなかった。ふふん。どうだ。俺だってやるときゃやるんだ。すごいだろ?まあ赤司はもう社長だけどさ、お前1人ぐらい養うぐらいの甲斐性はあるんだよ俺にだって。
この数年間色んな奴に忘れろだの現実を見ろだの好き勝手言われたんだぜ?俺の人生は俺が決めるし大体誰の迷惑もかけてないのにな?マジうざかった。赤司の奴、知ってるか?「こんなこと、彼女も望んでいませんよ」だってよ。な?ひどくないか?現にこうして帰ってきたっていうのに。ざまぁみろって感じだ。エンペラーアイの性能落ちてますよって言ってやりたい。ああそうだ。指輪も買ったんだ。あとはお前に嵌めてやるだけなんだよ。でもお前の指、案外細かったんだなぁ。これじゃガバガバかもな。チェーンでも買うか。なくされちゃ困る。
俺さ、ずっと待ってたんだ。俺のところに帰ってきたってことはそういうことだろ?今更他に男が出来たって言ったら流石にぶちギレるからな。ほんと、この数年間地獄みたいだったし生きてる意味がわからなかったけど、この瞬間の為だったんだな。俺頑張って生きててよかったよ。やりたいことが一杯あるんだ。まず籍入れるだろ?あとお義母さんに挨拶して、馬鹿どもにギャフンって言わせて、ああそうだ。引っ越しもしたい。静かな住宅街とかいいよな。デカイ本屋が近くにあるとなおいい。家具とか服とかも一から買い直して、あとは、そうだな…………でもお前がいればなんでもいいや。
よくやくよく眠れそうなんだ。ずっと不眠症で隈がとれなかったんだ。でも、お前と寝るとな、気持ち悪いぐらいよく寝れるんだ。ほんとだぞ。嘘じゃねぇからな。
………紅葉、紅葉。嘘じゃないよな?夢オチとかじゃないよな?現実だよな?本当に、ここに、生きてるんだよな?………あはは。そうか、ほんとうに、かえって、きて………
もうこの際悪霊でもドッペルゲンガーでもいいさ。科学的に証明されなくったってオレが、オレだけは信じる。だから、だから、紅葉。だめだ。オレもう、紅葉、頼む、側にいてくれ。
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