閃光


恋は怪物@


恋をした。
業火の如く、しかし、蝋燭のように儚い恋だった。そっと息を吹き掛けるだけで揺らめいて消えてしまいそうなのに、その熱は何もかも燃え尽きてしまいそうなほど熱かった。
苦しくも、幸せな恋だった。

あの日のことを、私は1日足りとも忘れたことはない。
中学校の帰り道、雑貨屋に寄ったのはなんとなくと一言に尽きた。たまたま先日にお小遣いを貰えたから。塾が休みだったから。そんな些細な理由だった。しかし、あの気まぐれのお陰で私は彼に出会えたのだ。
十五分も店にいないのに、いつの間にか外はどしゃ降りの大雨。慌てて傘を買ったものの、よく見たら鞄の底にポツンと折り畳み傘が詰め込まれていて、数百円無駄にしたと落ち込んだ。ビニール傘とはいえ、傘は安くない。はぁと店先でため息を付いたそのときだった。

ばちゃんと水が跳ねる音がしたと思いきや、私の左隣に誰かがやって来た。背が高い。男の人だろうか。視界の端に映る洋服はポタポタ水が滴り落ちている。雨宿りしに来たのだろうか。何気なく顔をふっと上げて、彼の横顔を目にした途端、世界から音が消えた。

大粒の雨がコンクリートを叩きつける音も、車のエンジン音も、何一つ聞こえない。私の五感の全ては、白い肌にポツンと浮かぶ涙黒子に奪われていた。
垂れ目にそれはよく似合い、果てしなく魅力的だった。おでこから顎までのすっと通ったラインは芸術作品のように洗練されていた。緩くウェーブを描く黒髪は雨水に濡れて若干潰れているけれど、寧ろ彼の魅力を輝かせる材料と化している。

「参ったな……」

きゅんと彼の声は私の心を刺激した。低すぎないバリトンボイスはそこらの声優に引けをとらない。困ったように眉を八の字にする様子も、湿った髪を書き上げる仕草も、全てが全て、私の胸を高鳴らせる。

手に持っていた傘を差し出したのは、ほとんど無意識のうちだった。

「あの、これ、使ってください」

頭を深く下げ、一直線に傘を掲げる姿に、姿は見えなくても彼は大層驚いているのがわかった。

「し、しかし、それでは貴女が濡れてしまう」
「私、傘もう一本あるんです」
「そうなのか…?だが……」

煮え切らない態度の彼に、とうとう押し付けるようにして傘を渡し、素早く折り畳みを開くと挨拶もそこそこにその場から駆け出した。待ってくれと後ろから静止を求める声がしたが聞こえないふりをした。ぎゅっとヘッドフォンを強く耳に押さえつけ、彼の声を雨音に交じらせた。

あのままずっとあそこにいたら、彼と話していたら、きっと私は爆発してしまう。全身に熱が帯び、体に叩きつけられる冷たい風すら温めてしまいそうなほどだった。

名前の知らない、涙黒子の美しい人。

私は、そんな彼に恋をした。

それからというもの、何かある度に涙黒子の彼を思い出すようになった。いや、思い出すという表現は正しくない。彼はいつも私の頭にあった。学校の傘おき、ローファーを汚しながら掛けた横断歩道。それらを見ると、あの熱が甦る。何よりあの雑貨屋は何度も足を運んだ。また、彼に出会えるかもしれないと希望を込めて店先を覗くが望みの人は現れない。

今日も今日とて、例の雑貨屋に向かっていた。今日は塾があるから本当に寄るだけだが、彼がいないか確認しないとなんだか落ち着かない。始めてだ、こんな気持ち。
夏の生温い風が頬を撫でる。あの曲がり角を曲がればあの雑貨屋だ。しかし、なんだか妙に騒がしい。いつもなら散歩中の老人か、野良猫しかいないのに。と、すれ違った女二人組の会話に耳を疑った。

「ねえ見た!?」
「見た見た!!雑貨屋の前にいた人でしょ!?チョーイケメンじゃなかった!!」
「やっぱりー!?モデルかなぁ?でも見たことないよね?」
「うん。あんな涙黒子のイケメン、絶対話題になってるって」

雑貨屋の前。涙黒子のイケメン。

そのワードを聞くや否や、コンクリートを蹴った。

もしかしたら、いや、きっとあの人だ!

僅か十数メートルの距離が果てしなく長く感じる。やっとの思いで角を曲がると、まず目にしたのは、艶やかな黒髪、そして涙黒子。店の前のベンチに腰掛け、優雅に本を読んでいるのは、紛れもなく恋い焦がれた彼だった。垂れ目を縁取る長いまつげが僅かに影をつくり、すっと伸びた指はゆっくりと本を捲る。日常的な光景なのに、一枚の絵になりそうなほど様になっていた。彼の横には晴れだというのに、一本のビニール傘が掛けられていた。もしかしたら、彼は──

と、彼の顔が上がった。キョロキョロ誰かを探すように周囲を見渡し、私を見つけると花が咲いたように笑みを浮かべた。どきんと心臓が跳ねるのも束の間、彼は本を閉じると傘を片手にこちらに向かってくるではないか!

「そこの貴女!お待ちしていた!」
「は、はいぃ」
「私を覚えているだろうか?先の雨日、貴女に傘を借りたものだが」
「も、勿論です!覚えています!」
「なら話は早い。傘を返しに来た」

と、きっちり巻かれたそれを差し出してきたので、放心状態で受け取った。その際僅かに触れた指先の感触といったら!赤く染まった頬を見られないようにうつむきながらゴニョゴニョ礼を言う。

「何を。礼を申し上げたいのはこちらの方だ。あの暴雨では、折角買ったものが台無しになっていた。貴方の優しさのお陰だ」
「そんな、優しさなんて、」
「そうだ。甘いものは好みか?」
「は、はい。好きです」
「ならよかった。これを」

そう言ってもう片方の手に持っていた物を取り出した。僅かに香る甘い匂いを放つケーキ箱だった。白い台紙書かれた店舗名は、予約を取ることすら難しいと噂される超有名店のものだった。

「若い女性はこういうのが好みと聞いた。気に召さなかったか?」
「いえ全然!というか、こんな高級なもの頂いていいのかどうか…」
「気にするな。知りあいのツテで買ったものだ。種類は独断で選ばせて貰ったのが恐縮だが…」
「あ、ありがとうございます…」

恐る恐るケーキを受けとると、目の前の彼は安心したようにほっと息を吐いたのがわかった。周囲の女性が羨ましそうに私を見つめてる。彼はそれに気づかないようで、「では私はここで」と踵を返そうとした。行ってしまう。そう思った瞬間、口が開いていた。

「待って!」
「……なにか?」
「あ、えっと、その、名前は?」
「これは挨拶が遅れました。私は…そうですね。ランサーとでもお呼びください」
「ランサー、さん…」
「お嬢さんは?」
「あ、##NAME2####NAME1##と言います!」
「では##NAME2##殿、また会える日を心待にしている」
「はい!こちらこそ!」

ランサーさんはにこやかに笑うと、背筋をピント伸ばして颯爽と去っていった。

ランサーさん。音には出さずに口のなかで反復する。馴染みのない音。外国の人だろうか。ランサーさんがいなくなったのか、いつの間にかにざわつきは消え、いつもの風景に戻ったが、どうしてこんなに心が熱い。瞼を閉じても浮かぶのはランサーさんの美貌。麗しい声で私の名前を呼んでくれた。

ぎゅっと傘を握りしめ、ランサーさんが去っていった方を見たが、彼は既にどこかへ消えてしまった。残るのは、私と傘とケーキ。

また会いたい。そう思うのは間違いなのだろうか。

ランサーさんに出会ってから、私の人生観がガラリと変わってしまったように思えた。眼下に広がるもの全てがきらきら輝いてるように思える。逆に、今までオシャレとか全く気にならなかったのに、枝毛の目立つ髪やカサカサの肌が気になって仕方ない。モノトーンばかりの私服に少し落胆してしまう。スカートすらないなんて。
せめて色物の服が欲しいと母に頼んだところ、「アンタが服に注文つけるなんて…!」と仰天していた。伸ばしっぱなしだった髪も切り揃えて貰い、少しさっぱりした。私の変わりように姉は驚いたものの、「女子力アップファイト!」と小さな人形のストラップをくれたので、それは通学バックに付けた。
それは姉だけではない。友達にも「最近変わったね!」「うんうん!なんか可愛くなったというか、きらきらしてる!」と手放しで褒められた。中には「もしかして、恋しちゃったとか!?」と勘の鋭い友人もいたが、軽く受け流した。なんとなく、彼のことは私だけの秘密にしておきたかったのだ。

ランサーさんと別れた後調べてみたが、彼のようなヒーローやモデル、芸能人は見つからなかった。あの美貌ならきっとすぐナンバーワンになれるのに。きっと謙虚な人なんだろう。思えば、ランサーさんの着ていた服は、オシャレで多分どこかのブランドものだろうけど、決して派手ではなく、逆にシンプルだった。それでも似合ってしまうのは素材の良さがあるのだろうけど、自分の美しさをアピールしてるとかそういうのは一切なかった。

頂いたケーキはとても美味しかった。姉いわく、ここのケーキ屋は最近日本に上陸したばかりだが、ヨーロッパの方ではかなり有名なお店らしい。フランス発祥で、ロゴマークである王冠は数百年前のフランス王室をイメージさせ、フランス国民に絶大な支持を得てるそう。王冠の下には「Vive La France!」と流暢なフランス語が準えている。お菓子のレベルとしては最高クラスだそうで、傘を貸した程度のお礼では到底釣り合わないという。ランサーさんはお金持ちなのかもしれない。

ここ数日は、ぼーとランサーさんのことばかり考えていたが、意識を現実に呼び戻したのは、学校から配られた一枚のプリントだった。「進路希望調査書」高校の志望校決めだ。クラスの大半はヒーロー志望であり、かくいう私もそうだった。
しかし、問題はどこの学校にするかということだった。このご時世、ヒーロー科のある学校なんて山ほどある。しかし、だからといって安易に決めてはいけない。ヒーロー科を修学すると、そのままプロヒーロー入りすることが出来るが、このとき、学校にどれだけツテがあるかが鍵となる。最高峰の雄英はそこに関しては絶大な信用を得ている。雄英体育祭とか、正直ずるいと思うし、今を輝くヒーローのほとんどは雄英だ。オールマイトもそうだ。しかし、当然人気は高く、去年の倍率は200を越えたらしい。しかも、授業内容も他にひけをとらない厳しさで、脱落者─つまり中退も出ている。
普通にヒーローになりたいなら近くの高校でも十分事足りる。

でも、

『貴女の優しさのお陰だ』

『また会える日を心待にしている』

『##NAME2##殿』

ランサーさんにまた会えたときの私はそれで良いのだろうか?

私の個性は『地獄耳』だ。端的に言うと、とても耳がいい。頑張れば半径二百メートルの範囲ならばっちり聞こえるし、範囲を狭めると比例して精度が上がる。しかし、オンオフができず、なにもしていなくても半径五十メートルはなんでも聞き取れてしまうので、普段は専用のヘッドフォンを着けている。
戦闘的ではないけど、探索や感知に特化したこの個性。雄英に進むと言ったときの担任の反応は微妙だった。

「雄英ぃ?本気?」
「本気です」
「あのね、わかってる?雄英だよ?最難関だよ?まあ確かに##NAME2##の成績だったら可能性はあるけどね、やっぱりネックは個性だよ」
「鍛えます」

ネチネチ言ってくる担任にイラつきを感じながらも冷静に言葉を返す。はあとわざとらしくため息を付かれてふざけるなと言いたくなるところをぐっと我慢した。

「鍛えるってもねぇ…雄英のヒーロー科の入試制度わかってる?まあ年度ごとに違うけど、大概は戦闘力を求められる。##NAME2##の個性じゃ不向きなわけよ」
「知ってます」
「ならどーして雄英にするの?」
「……恥じない人間になりたいからです」

ランサーさんの隣とはいわない。でも、きっと側にいるなら雄英ぐらい入れないと駄目なんだ。体は今から鍛えればいい。勉強もがむしゃらにすればなんとかなる。ここで諦めたら、もう彼には会えない気がするのだ。

全く引く様子のない私に、担任は再度ため息をつくと、雄英と書かれた調査書に判を押した。それを無造作に私に寄越すと、「滑り止めも考えとくように」とぶっきらぼうに部屋から摘まみ出された。

承認の文字の上に押された赤印。ヘッドフォンを取って今でた部屋の中の様子を探ると、ペラペラ紙を捲りながら「落ちると処理が大変なんだよなぁ」と愚痴を溢す担任の声がした。ランサーさんのより、ずっと濁って聞こえた。

雄英に行くと告げると、友達も皆あわてふためいて「止めときなよ」とか「雄英は無理だよ」とほとんどの人が引き留めた。しかし、私の知ったことではない。私は私の精一杯をするだけだ。

ランニングから筋トレまでなんでもやった。ギリギリまで睡眠時間を削って、寝惚け眼を叱咤させながら勉強する私に、反対していた友人も徐々に協力してくれるようになった。担任も何も言わなくなり、家族も出来るだけサポートしてくれた。

本番は晴れていたが、お守りとしてあのビニール傘を持っていった。彼を雨から守ってくれたこれとなら、きっと乗り越えられる。そう信じて試験に臨んだ。

結果は、合格だった。

ネズミの校長先生からそう言われたとき、私は泣き崩れてしまった。視界が滲んで何も見えない。個性のお陰でなんとか根図先生の声は聞き取れるが、理解はできていない。母も姉も泣いていた。合格だと伝えると、友達も手放しで喜んでくれた。担任は信じられないと言わんばかりに驚いていた。しかし、合格の文字が見えたとき、真っ先に思ったのは、支えてくれた家族や励ましてくれた友人でもなかった。

ランサーさんに伝えたい。

泣きながら、私はそればっかり考えていた。

ランサーさんに会いたい。

雄英に受かったのだと。また一歩貴方に近づけた気がすると。そう伝えたい。しかし、彼と私はほとんど赤の他人だ。そんな人に合格報告するのは、なんだか怪しい。それでも、思えば思うほど、ランサーさんに会いたくて仕方ない。

合格発表がされたのは、二月の中旬。三月は進学の準備やらで休んでいる暇なんてないだろう。今しかチャンスはない。あの雑貨屋の前で待ってるだけではだめだ。行動しないと。私から会いに行かないと。

肝心のランサーさんの居場所だが、正直わからない。しかし、宛もなくさ迷うわけでもない。ネットを駆使して情報を探していると、とあるブログに気になる記事を見つけた。

《こんにちは!今日は巷で噂されてるお屋敷にやってきました!ここは桜岡町、正直ド田舎ですね。スタバもなければマックもない!四方が山に囲まれてて電車バスは一時間に一本だけ!当然各駅しか止まりません(笑)》
《でも、ここに噂のお屋敷があるんですよ~!お屋敷というか、もはやお城ってレベルに大きくて装飾も凝ってて。写真を撮ろうとしたら通りかかったお爺さんにめちゃくちゃ怒られました(笑)見せ物じゃないとかなんとか(笑)》
《それでですねー、お屋敷も大きいんですけど、敷地もめっちゃ広いんですね!東京ドーム何個分?って感じ。お屋敷以外にも図書館みたいな建物とかグラウンドみたいなのも見えるんですよね。どんだけ金持ちなんでしょうか((( ;゚Д゚)))》
《さらに!一番収穫だったのは、めちゃくちゃかっこいいイケメンに会ったんですよ!しかも何人も!最初に会ったのは白い髪をしたV系のお兄さんでしたね。もうやばい。神々しいぐらいイケメン。あと、正統派王子様や`涙黒子´のイケメンもいましたね。他には───》

涙黒子。その町に足を運ぶ理由はそれだけで十分だった。そのブログはいつの間にか削除されていたけど、その町の名は「桜岡町」だった。少し遠いけど行けない距離ではない。
今日の学校は午前中で終わった。パスモのお財布は持っている。
ぐっと歯を食いしばって電車に乗り込んだ。

電車の旅は一時間半にも及んだ。乗り換えをするごとに下りる人数が増え、逆に乗る人数は減っていく。目的の駅に付いた頃には、私一人だけ。太陽は大分傾き、この町には居られても二時間ほどだ。

しかし、ブログの通り本当に田舎なのだと痛感させられる。自動改札のない改札なんて始めて見たし、ホームから駅の入り口までが十歩なんて笑えない。街に出たものの、申し分程度にコンビニとスーパーがあるだけで他には田んぼだけだ。

しかし、そんな長閑な風景の中でも一際異彩を放つのは、例の屋敷だった。ここから見てもはっきりその存在が確認できる。高さからして、二三階どころではないだろう。駅の地図を見ると、あの屋敷一体の土地と山は私有地なのだそう。どんでもない広さだ。あの主はかなりの富豪に違いない。

とりあえず、屋敷に向かうべきだろう。ヘッドフォンを外し鞄を持ち直して、平坦な道をひたすら歩く。途中住民らしき人々とすれ違うが、ブログであったイケメンらしき人物は会っていない。
やっとの思いで屋敷に着いたが、目の前に立ちはだかるのは身長の倍はある鉄格子。左右に伸びる柵はそこまで高くないが、侵入者を一歩たりとも通さない頑丈さがあった。ここからでも屋敷は遠い。どうしようと視線を反らした先に、鉄格子を繋ぐレンガにインターホンが付いているのに気づいた。

ごくんと唾を飲む。
私は疚しい理由なんてない。あのブログの人のように失礼なんてしていないし、私は、そう!お礼を言いに来たのだ。高価なお菓子をくれたお礼を───

──果たして、それだけ? 

「えーと、どちら様?」

突然掛けられたにハッと意識が覚醒した。バッと声をした方を見ると、長い黒髪を後ろでゆったり結んだ青年が、怪訝そうにこちらを見ていた。よく見ると、彼も端正な顔立ちをしている。足元には、顔に傷のある白髪の女の子がひょっこり顔を出している。

いいや、そんなことはどうでもいい。  

問題は、ヘッドフォンを取っているのに何故彼らの存在に気づけなかったことだ。

「え、えっと、その……」
「うちのやつに用でもあんなら呼ぶけど」
「あの、なんというか、あ…」
「おねーさん、おかーさんのお友達?」
「あ……う……ご、ごめんなさい!!」

お兄さんの明らかに警戒しているとわかる声や女の子の無垢の眼差しに堪えきれなくて、咄嗟にバッと駆け出した。「あ、待って!」と女の子は私を引き留めようとしたが、お兄さんは何も言わなかったのが、逆に泣きそうになる。情けない。恥ずかしくて死にそうだ。
とにかく宛もなく走って走って、足がガクガクになるまで駆けた。少し落ち着いて駅に着く頃には、空に夜が訪れ始め、烏がカァカァ舞っていた。タイムミリットだ。次の電車に乗らないと門限に間に合わない。

あのお兄さんの視線でやっと気づけた。いや、気づいていたけど無視していたのだ。お菓子のお礼とか合格報告とか、全て建前でただ私はランサーさんに会いたかったのだ。あの美貌をまた見たくて、名前を呼ばれたくて、動機はブログの人と何も変わらない。
なんて浅ましいんだろう。何が人を救いたいだ。ヒーロー失格だ。

ポタポタと涙が零れた。冷たい風は頬を撫で、もっと虚しくなる。駅のホームには私以外誰もいない。電車が来るまでまだ時間はある。ヘッドフォンを着けてただひたすら泣いた。

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