閃光


恋は怪物A


ヘッドフォン越しにアナウンスが流れる。電車が来たようだ。

涙はすっかり乾いてしまっている。きっと今の私の顔は酷いものだろう。折角姉に教えて貰ったお化粧が台無しだ。マフラーを巻き直してベンチを離れた。しかし、電車が来たのは向かい側のホーム。どうやら逆側の電車だったようだ。お目当ての電車はあと数分後に来るようだ。大人しくそのまま立っていると、電車を下りてきた女の子が目の前を通った。黒いセーラー服に赤いマフラーがよく映える、同じ年頃の女の子だった。階段をかけ下りるのをなんとなく耳を澄ませていた、その時だった。



「ランサー!」



ヒュッと息が止まった。生命維持の為の機能が全停止したかのように、頭が真っ白になる。息ができない。指が動かない。声を出せない。

「ああ、マスター!よくぞ戻られた!」

隠そうとしない喜色をたっぷり詰まったその声色は、私の名を呼んだあの人と同じだった。

タタンと軽やかに階段を下りきった音と共に、少しだけ呪縛から解き放たれる。急に覚醒した体はバランスが取れず、倒れそうなところをなんとか踏みとどまった。
疑問だけが脳内を飛び回る。真冬だというのに汗がどっと溢れ、この暗闇に溶けてしまいそうになる。
私は、音を立てないようそっとヘッドフォンを外した。

「待たせちゃった?ごめんね。寒かったでしょ?」
「いえ、この程度の寒さなら気にかける必要はありません」
「そっか」
「問題は私よりマスターの方です。こんな薄木では風邪を引いてしまいます。はやく帰りましょう」
「うんわかった」

ザッと靴が地面と擦れる音がして、どんどん離れていく。足音は二人分。両方とも同じペースでゆっくり歩いている。

「お勉強ですか?」
「まーね」
「それは立派なことです。こんな遅くまで勉学に励まれるとは、勤勉な主を持って私は嬉しいです!」
「そんなワッショイしないでよ…」
「ですが、もう既にご進学は確定なさってるのでしょう?日々の勉強は重要ですが、そこまで根を詰めなくても良いのでは?」
「ヒーロー科は時間がなくて大変なんだって。だからちょっとでも予習をしないと後々辛いらしくて」
「なるほど。そういうことなのですね」
「ダヴィンチちゃんの宿題も多いし…アハハ…」
「それは…申し訳ありません。鍛練なら多少のお力添えができますが、勉学となると……」
「まあ、適材適所というやつだよ。当然ヒーローには体力が必要不可欠だから、そのときはディルムッドに教えてもらおうかな」
「!有り難き光栄!このディルムッド、全身全霊をかけてご指導させて頂きます!」
「その為にはスカサハ師匠のお墨付きをもらわないとね」
「……………あの方は、ちょっと」
「頑張れよ麗しの光子」

背中を叩いたのか、バシッと渇いた音がした。「精進します……」となんとも情けない声のランサーさんだったが、どこか嬉しそうな、そんな印象があった。

その後、二人は可聴範囲内から抜けるまで他愛ない会話を続けた。

残ったのは、私だけ。

「ランサー、さん」

口から零れた声は、予想よりも低く掠れていた。

気がつくと、自宅の前に立っていた。ここまでの記憶が朧気だ。門限ギリギリに帰ってきたことに母は何か言おうとしたが、私を一目見ると開きかけた口を閉じた。小声でただいまと言うと、手荒いもご飯も抜きにして自室に駆け込んだ。
後ろ手で鍵を締める。そのままドアに寄り掛かってずるずる座り込んでしまった。

あの女の子と話していたとき、ランサーさんは慈愛に溢れていた。マスターと呼ばれた女の子は、ランサーさんをディルムッドと呼び、なんの抵抗もなく彼の横へ着いた。彼らの会話には絶対的な信頼と愛があった。

つぅと口角から生ぬるいものが流れる。無意識に唇を噛んでいたようだ。鞄の持ち手が軋む。ランサーさんと初めてあった時とは違う熱い激情が全身を駆け巡った。

それは、嫉妬だ。

失恋の痛みとは聞いていたのよりずっと痛くて辛いものだった。些細なことでも彼のことを思い出し、涙が溢れそうになる。それを堪えるように奥歯を噛み締める私はなんて哀れなんだろう。雄英に受かったのに浮かばない顔をする私に、家族や友人は大層心配してくれた。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたお陰で、なんとか立ち直れた気がする。

雄英に入ってからは、ズルズル失恋のことを引きずられるほどの余裕はなかった。最高峰の名に恥じぬ障害や壁を乗り越えさせるスタイルに、食らいつくだけで精一杯だった。USJのときのヴィラン襲撃や雄英体育祭、職場体験など、一学期だけでも色々なことが起きた。いつの間にか、ランサーさんのことを思う時間は減り、ズタズタになった心は徐々に治っていった。

彼のことは忘れられない。多分、まだ私はランサーさんのことを好きなんだろうし、未練がましいと思う。でも、それを過去として捨てるなんてことはしない。ほんの僅かな記憶だけど、あの雑貨屋での出来事は私の宝物なのだ。これからも大切に持ってようと思う。決して穢れることのない初恋の思い出。私の心の支えだ。






大きな敵と戦って、掴みとった勝利を手に私たちは二年生に進学した。オーバーホールに勝った私たちだが、まだ学生なのを忘れてはならない。まだ覚えることはたくさん残ってるし、更なる苦難が立ちはだかっている。
二年生になって今まで以上に過酷な訓練になってきた中で、私の弱点というのが浮かび上がってきた。

「##NAME2##、お前は思い込みが激しい」

そう言ったのは相澤先生だった。ボサボサの髪の毛も、ヨレヨレのオーバー服も、痛々しい目の下の傷も一年前から何も変わらない。そして、それは教師としての観察力も同じだった。

「思い込み、ですか?」
「ああ。察知能力に優れているからか、お前は接近する敵に真っ先に反応できる。これはいいことだが、近づく何かを敵か否か明確な情報がない前に行動している。さっきもそうだ。救難者役の芦戸を見つけるやいなや、確認する前に攻撃をしそうになっている。隠れる仕草をしたから敵だと思い込んだんだな」
「……そうです」
「今回じゃなくても、お前は情報に惑わされがちなところがある。思い込んだらそれが正しいと勝手に認識してしまうっつー癖がついてるぞ。ヒーローとしては致命的な癖だ。確実に治せ」
「………わかりました」

今日の訓練では、ヒーローとヴィランと救難者の三チームに別れて行った。ヒーローは迅速に救難者を救助しヴィランの捕獲をする。ヴィランは救難者を探しだし、人質として確保する。私はヒーロー役で、主に諜報係として緑谷くんと行動していた。みなちゃんを見つけたのは、終了五分前だった。不自然に草草が擦れる音がして、そちらに向かうと木の裏に人影が見えて、反射的に飛び込んでしまったのだ。緑谷くんのストップがなければ、みなちゃんを攻撃していただろう。
肩を落として寮に戻ると、A組のみんなが頭を寄せて今日の反省会をしていた。私に気づくと各々が手を振って迎えてくれた。

「##NAME2##ー、どうだったー?」
「思い込みが激しいってさ。もうちょっと考えてから行動しろって」
「なるほどー」
「確かに。今日の##NAME2##さんの行動は、早とちりすぎたかもね」

顎に手を置いてそう答えたのは緑谷くんだった。彼は鋭い観察力を持っているから、きっとそうなんだろう。

「うーん、どうしよう…」
「まあまあ!そう落ち込まない!」
「三奈ちゃん」
「##NAME1##は敵に気づくの速いから、その分考える時間あるじゃん?そんなんでいいよ!」

そう励ましてくれた三奈ちゃんは、私の肩をバシバシ叩いた。皆も「そうだよな」「気負いしては駄目ですわよ」と背中を押してくれる。

「みんな……」
「ハッ!そんなこともできねぇ方が悪ィだろ」

そんな声がすると思えば、みんなと離れたところのソファに腰かける爆豪くんが鼻を鳴らしていた。

「おいバクゴー!そういう言い方はねぇだろ!」
「るせぇ派手頭!本番で呑気に考え事する暇なんざねぇに決まってんだろ!」

確かに、爆豪くんの言ってることは正しかった。ヴィラン襲撃時や災害時のとき、たった一秒の判断が生死を分ける。少しの迷いや判断ミスがなければ救える命もあるはずだ。
早とちりという癖は、自分が思ってる以上に重大なことかもしれない。

それにしても、この癖はいつ付いたのだろうか。自分の記憶が正しければ、思い込みが激しいなんて今まで指摘されたことはない。そう、そう言われ出したのは高校に入ってからだった。

ランサーさんに出会ってからだった。

A組に新しい生徒がやってくる。

朝のホームルームで相澤先生がそう言った直後、「転校生来たぁああ!」と一斉に雄叫びを上げたが、先生が個性を発動させた途端、しゅんと口を閉じる。
先生によると、転校生ではなく、他校のヒーロー科の生徒が一ヶ月間雄英に来ることになるらしい。学校交流とかなんとかみたいな。女子生徒のようで、女子!?と峰田くんが興奮したように鼻息を荒くし、つゆちゃんにビンタされていた。

「え〜!どんな子だろうねデクくん」
「うん。会ってないからなんとも言えないけど、やっぱり学校代表として来るからには優秀な人だと思うよ」
「人を憶測で判断してしまうのはよくない。どんな人物であれ、雄英生として快く受け入れよう」
「仲良く出来たらいいなぁ。ね、##NAME1##ちゃん!」

突然話を振られビクッと肩が跳ねてしまった。今日も麗かなお茶子ちゃんはニコニコしながら腕を胸の前でブンブン振っていた。

「入ってこい」

相澤先生がドアに向かってそう言った。みんなの期待の視線が集まるなか、ドアがゆっくりスライドした。

ドアの隙間から垣間見えたその顔に、私は思考が停止した。

ああ、その姿は!マロンブラウンの髪、きゅっとしまった脚、凹凸の付いた体、そして、爛々と輝くはちみつ色の瞳。忘れもしない。彼を思い出す度に表れた人。

すぅと息を吸い込んで`女の子´は名前を告げた。

「始めまして。名字名前です。よろしくお願いします」

ランサーさんの隣にいた、女の子そのものだった。

ごぽりと、胸の奥で何かが溢れ出す音がした。肌の下の血液が沸騰したかのように熱く、高速で全身を駆け巡る。にこやかに笑うその顔が見てられず、咄嗟に顔を下げた。そんな私に誰も気づく訳もなく、女の子─名字さんは話を続けた。

「桜岡高校二年ヒーロー科に所属しています。個性は……え?言っちゃだめ?わ、わかりました。えっと、個性は内緒です。仮免許は持ってます。
あの雄英に一ヶ月も通えてとても嬉しいです。交流期間が実りのある時になるよう頑張ります。至らぬところはあると思いますが、その、仲良くしてくださると嬉しいです」

そう締め括ってペコリとお辞儀をすると、クラス中から一斉に歓迎の声が上がった。「おう、よろしくな!」「よろしくー!」「俺上鳴!」「私芦戸三奈!」「個性秘密ってなんだよー」「気ーにーなーるー!」「スリーサイぐはっ!」「蛙水梅雨。つゆちゃんと呼んで」ああ、私も何か言わないと。でも、何故か声が出ない。吐いた息は音にならず、すぅと空気に紛れてしまう。駄目だ。歓迎の意思を表さないと。でも、そう思うほど真逆の感情が増えていく。
思いがけない厚待遇に、名字さんはぱちくりと目を瞬かせていたが、受け入れられていることに気づくと気恥ずかしそうに、僅かに顔を染め、口許を緩めた。そして、一番後ろの窓際の横。要するに轟くんの隣の席へ向かっていく。その際、彼女が私の隣を通っていった。

嫌だ。来ないで。

はっきりとした言葉だった。さっきのように抽象的なアバウトな感情ではなく、簡潔でストレートな思い。すとんと心に落ち着いた。彼女のことが嫌いなのだと。
そう自覚した途端、彼女に対する嫌悪感と自己嫌悪が淀み合った。あの馬鹿みたいにへらへらしてるのが目障りと思う反面、ヒーローを志す自分が私怨を抱いている事実に無性に泣きたくなった。
周りは、まだ新しい仲間を歓迎するムードに溢れ、あの相澤先生まで怒らないことでそれを容認している。あの子が嫌いなのは私だけの。

ぎゅっと皺がつくほど強くスカートを握った。

歓迎ムードもそこそこに、私たちはヒーロー実習の時間になった。ユニフォームに着替えている間も、話題の中心は名字さんだった。専ら、次から次へと来る質問に答えているだけだったが、既にクラスに馴染めているように思えた。

「え!じゃあ名字さんは学校唯一のヒーロー科なのですか!?」
「うん。というかまず全生徒数が少ないからね。あと田舎だし、ヒーロー目指す子はみんな都会行っちゃって」
「名前ちゃんはどうしてその学校にしたのかしら?」
「個性の関係で長く家を離れられなくて。一番近い学校がそこだったの」
「へぇー」
「てゆーか名前の個性って何?すごく気になるんだけど!」
「ふっふっふー。私の個性見たらみんな驚くよ」
「えー!そう言われるともっと気になっちゃうよー!」

笑いが絶えない。既に何人かは名前呼びして、まるで旧知の友人みたいに話している。
会話を書く限り、名字さんはとてもいい子だとわかる。この短時間で人柄の良さが滲み出てるし、何よりとても会話が弾んでいる。だからみんなは既に打ち解けているのだ。
でも、それが逆に気に入らない。いい子ぶっちゃって生意気とどこか考えてしまう。ランサーさんと親密な関係というだけで憎たらしさを感じてしまう。終始無言でユニフォームに着替え、誰よりも早く外に出た。









実習訓練で名字さんはヴィラン役だった。先生は、ヴィランの個性がわからないのは当たり前のことであり、ヒーローには、脅威未知数の相手にどう対応していくかが求められる。そういうことなら、個性がまだ知られていない名字さんと戦うのがいちばん合理的だと、そう言った。
これには、多くの生徒が渋った。ヴィランは名字さん一人である。一対二十は不平等ではないかと飯田くんが言ったのに対し、答えたのは名字さんだった。

「平気ですよ。私の個性は人数とかあんまり関係ありませんから」

人数に関係ない個性。その言葉に緑谷君は直ぐ様推測し出したが、これっぽっちの情報量ではどんな個性かすら想像できない。名字さんが訓練所に向かっている間、相澤先生は、轟くんを呼んだ。

「轟、お前名字と同じ中学だったな」
「はい」
「うっそマジで!?」
「運命じゃん!」

マジかよ!?と興奮したように轟くんに詰め寄る上鳴くんをさっとかわして、轟くんは先生の話を聞いた。

「お前の場合はどうしようもねぇが、今回の訓練は『個性不明の敵』を想定したものだ。チームメイトにも話すなよ」
「わかりました」
「なんだよお前ら知り合いかよ」
「ねーねー、轟くんと名前ちゃんってどんな関係だったの?」
「関係って…なんか生々しいからその言い方は止めた方がいいよ葉隠さん」
「別に、小三から同じクラスだってことぐらいだ」
「それ結構仲良しじゃね!?」

切島くんの鋭いツッコミに周囲もうんうんと頷く。そうか?とこてんと首を傾げる轟くんは、やっぱりイケメンってこともあってなんだか絵になる。
ヒントヒント!とあまりに詰め寄られて根負けした轟くんは、はあとため息をついた。

「戦闘力だけで言うと、俺はあの個性より強い個性を見たことねぇ」
「嘘だろ!?」
「無理ゲーじゃん!」

A組でもトップクラスの実力を持つ轟くんをこう言わす個性の持ち主。それを熟知している皆の間に戦慄が走る。相澤先生が一人でヴィラン役を任せたのは、こういうことだったのか。

「……頑張ろうね。緑谷くん、お茶子ちゃん、切島くん」
「だね。##NAME2##さん」
「大丈夫!皆で力を合わせればどうにかなるよ!」
「おう!俺たちの実力見せてやろうぜ!」

切島くんの言葉に、皆賛同するように声を上げた。私もぱちんと頬を叩いて気合いを入れ直す。一旦彼女に対する云々は忘れよう。まずは、この訓練を乗り越えよう。もしここで勝てば、彼女への嫌悪感も薄れるかもしれない。

作戦を確認して、私達四人は一番乗りに訓練所に脚を入れた。

`これ´を表す一番最適な言葉は、絢爛豪華だろう。
床から天まで届きそうな天井まで、目が眩むほどの金色で統一され、金色を横切る深紅の垂れ幕とカーペットが爛漫な印象を増大させる。
壁には巨大なパイプオルガンが組み込まれ、玉座には二本の剣が交じり合った旗が靡いている。そして、空を赤く染める、花弁。
その中心に立つのは、この劇場の如く金の髪に赤の装束を纏った、美しい女の子。

「─我が才を見よ!」

一歩前に踏み出し、

「万雷の喝采を聞けぃ!」

剣を振り上げ、

「しかして称えよ!」

そのエメラルドの瞳を輝かせ、

「この黄金劇場を!」

かの暴君は妖艶に微笑んだ。

「童女謳う華の帝政 (ラウス・セント・クラウディウス)!!」

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