嫉妬とは愛の保証への要求であるA
……もういいや、焼きそば食お。ずるずる麺を啜っていると、ガタンと椅子が倒れる音がした。篠原さんだ。目をこれでもかというほど見開いて、食堂の入り口をガン見している。そこには、二人の男性が立っていた。一人は黒髪に褐色の男の人。そして、もう片方の人物を目にして、篠原さんの行動の訳を理解した。
白い髪にひょろりとした体格。パッと見恐ろしい悪鬼に見えるが、よく見るとかなりのイケメンで三白眼のオッドアイ。Kさんですねわかります。二人はカウンターで何やら言い争いながら注文している。既にエビチリを食べ終えたキャスターさんに二人のことを聞いた。
「ああ、二人は兄弟だ。黒いのがアルジュナで白いのがカルナ。インドの英雄だが、なんか気になんのか?」
「いや、喧嘩してるように見えたんで大丈夫かなって」
「なるほどね、まあ気にすんな。二人が喧嘩しない日はねぇから。ま、近寄らないに越したことはねぇがな」
「そうなんです……」
「心繰くんっ!」
相槌を打とうとしたが、真剣な面持ちの篠原さんが割り込んできた。「ちょっと話したいことが!」と無理矢理俺の首根っこを掴んで嵐のごとく食堂を飛び出した。待ってお皿返してない。キャスターさん、手を振る暇があるなら助けてください。
篠原さんの部屋までダッシュで拉致されると、若干目が回った俺の肩をガシッと掴まれ、興奮仕切った表情の篠原さんがドアップで写った。
「Kさんがいた!」
「知ってるよ。カルナさんだろ?」
「え、なんで名前知ってるの?」
「さっき隣の人に名前聞いた。黒い人…アルジュナさんのお兄さんだと」
「なるほど、お兄様もいたのね……」
むふむふとするんじゃない。少しイラっとしながらも顔には出さず、とりあえず肩を捕まれた手をそっと外す。篠原さんはぶつぶつ呟きながらあーでもないこーでもないと屋内をくるくる回っていた。戻っていい?そろりそろりとドアに向かおうとした矢先、ギュインと篠原さんの首が回って、「待って心繰くん!」と手首を捕まれた。
「手伝って!」
「……ごめん。あんまり乗り気になれない」
「なんで!?」
「なんか疲れたし、あんまり人んちをフラフラするのも気が引けるし…」
「大丈夫!そこまで動かさないから!」
そういう問題じゃないんだよ。嫌な顔を隠さない俺に構わず篠原さんは作戦を説明する。篠原さんがカルナさんに声を掛けている間、名字さんの気を引いておくというものだ。一人がやだと言っていたのに、部屋に籠るのも変だと言うことで、その内に篠原さんはカルナさんを探して話し掛けるというものだった。
「あのなぁ篠原さん、そういう問題じゃ……」
「私部屋のシャワー使うから名字さんが何か言ってたらそう言っといて!八時に作戦スタートね!じゃあよろしく!」
「ちょっ、篠原さん!?」
こっちの意見ガン無視で女子とは思えない力で部屋から追い出された。篠原さんの個性強化系だったっけ?まあそんなことはどうでもいい。
篠原さんは、カルナさんのこと以外頭にないのだろう。何を言っても聞こうとしない。恋する乙女につける薬なし。話にならない。しかし、ここで下手にうだうだ言ってもあまり意味はないだろう。俺に出来ることといったら、出来るだけ名字さんに迷惑がかからないように上手く立ち回ることだ。大丈夫、ヒーローになるための試練だ。乗り越えろ、俺。
心なしか頭痛がしてきた。眉間を押さえながら、お風呂に入るため一旦部屋に戻ることにしたのだった。
家も凄い部屋も凄い廊下も凄い、なら浴室が凄くないわけなかった。純金のマーライオンとか初めて見たんだけど。これに関しては、紫色のポニーテールが印象的な佐々木さんが、「これ女子風呂でもあったそうだが、批判殺到で撤去されたらしいでござる」と説明してくれた。福音で悪趣味でござると聞こえた気がするけど、きっと気のせいに違いない。ちなみに滝みたいに当たってみたけど、かなりの重くて痛かった。あとなんで水鉄砲が常備されてるの?はしゃぎすぎじゃね?
風呂上がりにコーヒー牛乳をベオウルフさんに奢ってもらった。サーヴァントさん達のの肉体美を見せつけられた身からすると、全てに置いて負けた感がした。いや、別に競ってるわけじゃないけど、見事にぱっくり割れた六パックを何度も目にするとね、もっと鍛えなきゃって思うわけだ。
一旦部屋に戻って親にLINEしたり荷物の整理をしているうちに、時計の針は八時五分前を指していた。作戦開始か。めちゃくちゃ気が乗らないけど、やるっきゃないよなぁ。てかどうやって気を逸らせばいいんだ。篠原さんったらこういう肝心なところは人任せなんだよなぁ……あれ?これってデジャブ?
と頭を抱えていたら、突然コンコンと何かを叩く音がして、不意打ち過ぎて心臓止まるかと思った。振り返えると、「開けっぞー」と一言声がかかってドアが開いた。そこには、黒髪を後ろで緩く結った男の人が立っていた。多分この人もサーヴァントだ。
「よっ!今暇か?」
「は、はい。何かあるんですか?」
「それがよー、お前さん昼間あんまり遊んでないんだろ?マスターの部屋でゲームしようぜ」
「それはいいんですけど、いいんですか?その、夜に女子の部屋に入っても……」
「ハハッ!生真面目だなぁお前さん!別に構いやしないさ。だって他の連中もいるし、変なことにはならないしさせねぇさ」
さあ来た来たと部屋から引っ張り出されて半ば引きずられるように名字さんの部屋に向かう。黒髪の人─燕青さんは「うちゲーム好き多いからよー、なんでもあるぜ?大人数でやるならマリカとかスマブラとか一対一ならスプラトゥーンもいいかもな!」とスタスタ廊下を歩いていく。
数分もしないうちに着いた名字さんの部屋は、他より少しだけ装飾が凝ってる気がした。多分“マスター”だからだと思う。ノックもなしに豪快にドアを開けて燕青さんは部屋に入った。
「燕青おかえり。それに心繰くんやっほー」
「よっ、名字さん……なんかめっちゃいない?」
「と言っても十人ぐらいだし平気だよ。あ、そこ座って」
と、指差されたクッションの上に腰を下ろす。燕青さんはさっさと名字さんの隣に座っていた。
「主殿、何をしますか?」
「マリカに決まっている。私の騎乗スキルBを見せてやろう」
「まあまあ、アルトリアオルタさん。私はスマブラがいいです」
「貴様がコントローラーを握ったら誰も勝てんだろう」
「いや、孔明ならいけるっしょ?」
「おい腹が減ったぞ!甘味を寄越せ!」
「僕は見てるだけで充分です。あまり操作も得意ではないので……」
「同感だ。貧弱さで定評な俺がこんなゲーム脳の連中に敵うわけないからな。大人しく貴様らの無様な負け姿でもネタにさせてもらおう」
上から、牛若丸さん、アルトリアオルタさん、インフェルノさん、孔明さん、燕青さん、茨木さん、風魔さん、アンデルセンさん、らしい。なんか教科書で見たことある名前ばかりだけど。てか牛若丸って女の子だったの?歴史はどれが正しいの?
俺含めて十人もいるが、それでもゆったり空間はとれる。何人かはベッドの上にいるのもあるが、それでも名字さんの部屋はダントツに広いのだろう。こうやって人が集まることが多いのからかもしれない。
大論争(じゃんけん)の結果、インフェルノさんのスマブラに決定した。「おい幸運値は卑怯だぞ!」と孔明さんが怒っていたが、なんだそれ。
お客さんだということで、初戦でコントローラーを持たせて貰ったが、皆強すぎじゃない?アルトリアオルタさんのマリオが速すぎて見えないんだけど。牛若丸さんのルカリオが身軽すぎて攻撃が当たらないんだけど。名字さんのピカチュウがステージから落ちてばかりなんだけど。そんな名字さんのお陰で最下位は免れたが、一位には到底及ばなかった。茨木さんと風魔さんとアンデルセンさんとはプレイしなかったから結構な頻度で出番が回っていたけど、インフェルノさんと孔明さんがダントツに強すぎて手も出せない。なんとかホームランバットをインフェルノさんのカービィに当てたときの感動を俺は暫く忘れなれないと思う。思わずコロンビアしたね。直ぐ燕青さんのスネイクに殺されたけど。
次はWiiUのマリカだったけど、もう泥沼の戦いだった。常に緑こうらが道を跳ね返りながら妨害してくるし、直ぐ目の前に爆発寸前のボムが落下してくるし、カーブでぶつかってきてステージアウトさせるし、怖すぎじゃない?なんか騎乗スキルを持ってるとかいうアルトリアオルタさんと牛若丸さんがいつも一位を争ってて、隣でコントローラーがものすごい勢いでガチャガチャしてて今にも壊れそうだった。そして、名字さんは相変わらず壁にぶつかってばかりだった。ゲーム下手なのね。
その後、眠くなったと部屋に戻った茨木さんと付き添いの風魔さんに入れ違って、黒髭さんとマーリンさん、モードレッドさんも参戦して、はちゃめちゃ状態だった。俺は途中からコントローラー持つの止めた。こんな猛者達と同じ土俵には立てないと早々に察したからだ。別に見ている分にも面白いし、名字さんとコントローラーを奪われた同盟を結んでお互い慰め合いながらお菓子を食べたので結構満足できた。
そして、時計の針が十時半を少し過ぎる頃、エミヤさんが「いい加減止めろ!」と怒鳴りながら入ってきたことでゲーム大会はお開きになった。
俺もそろそろ寝ようと、名字さん達におやすみと告げて部屋に戻ったとき、ようやく篠原さんのことを思い出したのだ。
そういや作戦とかあったな。ゲームに夢中になりすぎてすっかり頭から飛んでいた。まあ、名字さんもそうだったぽいし一応任務達成でいいと思う。肝心の篠原さんの方はどうなったのだろうか。もう少しで作戦開始から三時間が経つ。流石に見つからないことなんて……いや、この敷地の広さならあり得るかもしれない。外含めたら探しようがない。絶対無理。
もしカルナさんが見つからなかったら篠原さんはどうするのだろうか。流石にもう一晩停まることはしないだろうけど、冷静さを失いつつある篠原さんが何をしでかすか想像がつかない。篠原さんを探しに行くべきなのか、そう覚悟したそのとき、ポケットに突っ込んであったスマホがブブブとバイブした。噂をすれば、篠原さんからのLINEだ。慌てて開いてみると、いつもならこれでもかっ!というぐらい絵文字を付けてくる彼女にはあり得ないぐらい簡潔でさっぱりとした文だった。
《私の部屋。いますぐ》
あ、拒否権ないやつね。十一時前という真夜中に女子の部屋に入る抵抗はあるが、まあ多分平気だろう。直ぐ入ってすぐ出てくればなんとかなる。ドア付近から離れないようにしようそうしよう。恐る恐る廊下を覗いて誰もいないことを確認した上で急いで二個隣の部屋へ向かう。控えめにノックしたが返事がなかったのでゆっくり扉をひらいた。
俺の部屋と同じ装飾。件の篠原さんは、真ん中のソファに寝転がって子どものように泣き叫んでいた。
は?となった俺は悪くないと思う。一先ず扉を閉めて、一歩彼女に近づく。そんな俺を気にすることなく、篠原さんはわんわん大粒の涙を流して嗚咽していた。どうなってる?となったが、自問自答で答えが出た。フラれたのだろう。無事カルナさんを見つけて声を掛けて告白したが、見事に玉砕したのか。それとも船をつける隙もなかったのか。他の女性とラブラブなところ見せつけられたのか。そこまでは流石にわからなかったが、彼女が失恋したのだけは予想付いた。
どうしたものかと狼狽えそうになるが、彼女が俺を呼んだということは何か言いたいことでもあったのだろう。意を決して、未だギャン泣きする篠原さんに声を掛けた。
「し、篠原さん……」
「………しんそうくん?」
「ど、どうしたの?」
「…………んで、」
「え?」
「なんで、なんでこうなるのよぉ!!」
「あの、篠原さん?」
「メイクだってしたし香水もつけたし髪もふわふわに巻いたしちゃんとオシャレな格好でいたのに!!!なんでぇ!!??」
だから少しだけ甘い匂いがしたのか。そんなことはどうでもいい。目元を真っ赤にさせた篠原さんは俺に掴みかかるとがくがく前後に揺らして不満を爆発させた。
「私カルナさん見つけたの!!昼のバラ園で一人で夜空を見てたの!!かっこよかった!!」
「お、おう……」
「チャンスだって話しかけて自己紹介もして話も弾んだのに!なんでぇ、なんでぇ!!??」
「ちょっと落ち着いて!!」
再び踞って泣き出した篠原さん。俺の首は大丈夫だろうか?むち打ちみたいな感じで痛いんだけど。その後、嗚咽混じりに先程の説明を続けてくれたがしりまっせつでわかりずらかったのでまとめるとこうなった。
俺が名字さんの部屋でゲームをしている頃、シャワーを浴びて色々バッチリ決めた篠原さんは、カルナさん探しを開始した。しかし、中々見つからず、ボーンと振り時計のアラームがなったり、何か出てきそうなほど不気味な雰囲気の廊下とか、真っ暗な階段とかたまに聞こえてくる物音とか、その他諸々怖すぎて涙目だったらしい。十時ちょっと過ぎ、エミヤさんが部屋に突撃する前ぐらいになってようやく例のバラ園で一人で空を見上げていたのを発見したらしい。それはもうかっこよかったそうな。ここら辺は山ばかりで街灯も少ない為満点の星空は、神秘的な美しさを持つカルナさんとは見事にマッチしていたそう。そして、勇気を振り絞って話し掛けたところ、なぜここにいるのかと不思議そうにしながらも話に付き合ってくれたらしい。カルナさんはずっと無表情だったが、篠原さんは幸せだった。しかし、カルナさんがバラを弄りだしたとき、その幸福な時間は崩壊し始めた。
「バラ好きなんですか?」
そう、篠原さんは聞いたらしい。会話の話題としては普通のことだろう。そしたら、カルナさんは僅かに微笑むとそうだと言い返した。
「へぇ!そうなんですか!私もバラ好きなんですぅ!花の手入れとかよくされるんですか?」
「ああ。暇なときはほとんどここにいる」
「へぇ〜。じゃあこのバラ園はカルナさんが?」
「いや、ここは王妃が手掛けたものだ。俺のは温室の中にある」
「ああ!チューリップとかポピーですよね!?とっても綺麗でしたよ!私もああいう花が好きで……」
「だろう?マスターによく似合っている」
あ、察した。なるほどそういうことか。カルナさんのセリフで全てがわかってしまった。
篠原さんの話はまだ続く。
は?え?あれ?なんで?今はお花の話でしょ?なぜそこで名字さんの名前が出たの?最初は言葉の意味がわからなかったが、自分と話していたときより表情豊かで嬉しそうに口角を上げるカルナさんに、篠原さんは言葉が出なかった。そして、カルナさんの追い討ちが続く、
「バラもいいんだが、やっぱりマスターにはああいう清楚なものがいい。白や黄色橙色のような淡い花だ。マスターの部屋は覗いたか?俺の花を飾ってくれる。それが柄になく嬉しくてつい精を出してしまう」
いつになく饒舌なカルナさんは、さっき篠原さんと話していたときよりずっと生き生きしていた。
「そうだ、何本かやろう。マスターにあげるゆえそれほど多くは無理だが、数本なら構わない。好きなものを選べ」
「……あ、あの、」
「む、なんだ?」
「カルナさん…カルナさんは、名字さんのことが、好きなんです、か?」
聞いちゃったのかよ!それは聞かないほうが身のためだろ!しかし、篠原さんはやめなかった。ポカンと目を見開いたカルナさんだったが、頬を微かに赤く染め、目を細めてゆったり笑ってこう言った。
「そう、だな。マスター……名前は俺にとって変えがたい特別な人だ」
その言葉を聞くやいなや、さよならも言わずに篠原さんは駆け出した。あんなに怖かった廊下や階段もただがむしゃらに突っ切って部屋に飛び込んだ。そして、一人になった直後、堰が切れたように泣き出して、俺を呼び出し今に至る。
話終えて、あのときの気持ちがぶり返ったのか、クッションにしがみつきながら「なによ!なによ!」と叫ぶ篠原さん。このときほど防音に優れた壁でよかったと実感する。これはたから見れば絶対勘違いされるに決まっている。時間も時間だし、早く帰りたい。しかし、この状態の篠原さんを放っておくわけにはいかない。何か言うべきなのだろうが、何でも地雷な気がする。言葉選びに迷ってたら篠原さんに「なにか言ってよ!!」と怒鳴られた。そんなむちゃくちゃな。
「ま、まあ落ち着けって」
「落ち着けるわけないじゃん!!」
「暴れんなって」
「なんで!なんで名字さんなの!?私の方がかわいいのに!!私の方がカルナさんを愛してる自信があるのに!」
「………篠原さん、それは」
「大体カルナさんも察してよ!!夜中に会いに来るってそういう意味じゃん!なのになんでのろけ話を聞かされるの!?ワケわかんない!!」
「だああもう!篠原さんいい加減にしろ!」
なんで名字さんなの!?のところで堪忍袋の緒が切れた。それは言っちゃいけないよ篠原さん。今日ここまでで名字さんは何一つ悪いことはしてない。逆に散々ワガママ言ってきたのはこっちのほうだ。私的な都合で名字さんを振り回し、挙げ句たくさん失礼なことをしたのは、紛れもなく篠原さん、そして俺なのだ。
「何!?心繰くんも名字さんの見方なの!?」
「そういうことじゃねーだろ!こっちのワガママも嫌な顔せず受け入れてこんなに優遇してくれるのに、そういう態度はどういうことだってことだよ!」
「カルナさんとは関係ないじゃん!!」
「あるわ!人としてのどうこうって話だよ!」
「もうやだ!!みんな、みんな嫌い!!」
軽く発狂した篠原さんは、近くにあったスタンドライトを掴むと、思い切り壁に投げつけた。ガチャン!と派手な音と共にスタンドライトがバラバラに砕け散った。ぎょっとしている俺を他所に「やだやだやだやだ!!」と子どもが駄々を捏ねるようにコップやクッションやお皿やリモコンをやたらめったら投げ始めた篠原さん。彼女の頭に人んちとか弁償とかすっぽり抜けているのだろう。飛んできた灰皿を避けながら個性を使う覚悟を決めたその瞬間だった。
視界に花が舞った。ピンクと紫が混じった白い花だった。突如空中に表れたそれはいつの間にか視界を埋め尽くすほど溢れ、突然過ぎることに篠原さんもペットボトルを振りかざした腕をピタリと止めた。
「ん〜、事情は察するけど、こう物を壊されちゃ困るなぁ」
男の人の声だ。視界を邪魔する花を掻き分けながら篠原さんの後ろに目を凝らすと、不思議な格好をした長髪の男の人がにこにこ笑いながら篠原さんの腕を掴んでいた。
「あなたは……?」
「君は心繰少年だっけ?私の名前はマーリン、マーリンお兄さんと呼んでくれ!」
「は、はあ」
「誰アンタ!?離してよ!!」
「それは無理な相談だ。この手を離すと君は破壊行動を続けるだろう?理性を失ったヒステリックな人間がどういう行動を起こすかなんてことぐらいお見通しさ。なんせ私は千里眼持ちだからね!」
困った困った言いながらも喜色満面なマーリンさんは、正直怪しさしか感じないが今がチャンスだ。篠原さんの名前を呼ぼうとしたとき、マーリンさんがシッと指を唇に当てた。
「心配いらないよ心繰少年。君が自ら友情を破綻させる必要はない。全てまるっとマーリンお兄さんに任せなさい」
「えっ……」
「離してっ!離してっ!」
「まあまあ落ち着いて、えっと……うーん……まあいっか!君が暴れるとマイロードが悲しむんだ。せっかく友人を誘ってくれたというのに、これではトラウマになってしまう。あんな無邪気に笑うマイロードは久しぶりに見たからね。うん、やっぱり笑顔が一番だ」
「っ、アンタも名字さんが一番なの!?あんな地味なのに!?」
「地味とは失礼だな。マイロード……名前は、感情のない夢魔である私をも堕とした魅力的な女の子さ。人でなしと日々貶される私をだよ?それに、私達が君より名前を優先させるのは当たり前だろう?」
──彼女のサーヴァントなのだから
そう言うと、手にあった杖を軽く振った。すると、般若のようだった篠原さんの表情がトロンとし始め、ついにゆっくりと目を閉じた。
体から力が抜けた篠原さんを、マーリンさんが「おっとっと!危ない危ない」と受け止めると、そのままベッドの上に転がした。
「これでよし。眠らせたから明日には色々忘れているだろう」
「あ、ありがとうございます……」
「どうってこない。君も今日一日大変だったね」
マーリンさんにもバレてんかーい。もうやだここの人勘よ過ぎじゃない?内心ビビりながらマーリンさんをチラ見すれば、わかってたようにタイミングよくにっこり笑われた。アカン全てお見通しされてる。
「その、壊れたの弁償します。俺もついカッとなって篠原さんを挑発しちゃったしそれに、」
「別にいいと思うよ。王様らへんが出してくれると思うし、あと、篠原ちゃん?彼女が完璧に悪いからね」
「でも……」
「まあまあ慌てない慌てない。どうせこの部屋は明日までには直すしね。さっきも言っただろう?マイロードを傷つけたくないんだ」
そう言って、バチンとウインクを飛ばされた。そう言うのなら弁償はいいのだろうか。ぶっちゃけここにあるもの払いきれる気がしないし助かる。それに、このことで名字さんに気を揉ませたくない。誰にも言わないと誓うようにこくんと頷くと、マーリンさんはよかったと微笑んで部屋を出ようとした俺の肩をちょんちょんとつついた。
「なんですか?」
「今日一日見てて、君がひどく優しくて正義感の溢れる善良な人間だとわかったのだけどね、やっぱり念には念と言うだろう?」
「え?」
「大丈夫、目覚めたら全てが丸く収まってる。さあお休み。良い夢を」
さっきの篠原さんのように目の前に杖を向けられた途端、耐え難い睡魔が襲ってきた。目を開けてることすら辛くて、疲れがたっぷり溜まった俺はすぐ意識を飛ばしてしまった。
最後に見えたのは、やっぱり笑っていたマーリンさんの姿だった。
眩しい朝日で目が覚めた。やけに寝起きが爽やかだ。憑き物が落ちたような解放感がある。あれ?昨日俺ベッドで寝たっけ?昨晩の出来事……特に篠原さんの部屋に訪れた後の事が靄がかかったように曖昧だった。確か、LINEで強制的に呼び出されたらギャン泣きしててそれから……なんとか宥めて寝かせたんだっけ?そりゃ疲れるわ。通りでベッドまでの記憶がないわけだ。
時計を見ると七時半ぴったりで、慌てて着替えて食堂へ向かった。少なかったがまだ人はいて「余程疲れていたのだな、爆睡していたぞ」とエミヤさんに笑われながら朝食のクロワッサンを貰った。名字さんは既に起きて部屋にいるらしい。篠原さんはまだ寝てるとの事。ギリギリまで寝かせてくれるそうだ。まあ今日は日曜だし学校は大丈夫だが、あまり長居はできないだろう。午前中にはおいとましたいところだ。
結局篠原さんが起きたのは九時前だった。目の周りが真っ赤に腫れて痛々しいが、表情はどことなく穏やかだった。ギャン泣きしたお陰でストレスが解消できたのだろう。しかし、あまりにひどかったのか、通りかかったメディアさんがギョッとしていた。昨日とは打って変わって始終無口でご飯を食べると早々に部屋に戻ってしまった。
「……心繰くん、ごめんね」
「………何が?」
「色々。昨日、いやずっと前からすごく迷惑かけちゃったなって。なんか私、カルナさんのことしか考えられなくなってて。ごめん」
「まあいいよ。もう終わったことだし。そんなことより、そろそろ帰ろうぜ」
「………うん」
十時半には、俺たちは身支度を済ませて玄関に着いた。髪が一房ぴょんと跳ねている名字さんも、にこにこしながら「また来てね」とぎゅっと手を握り締めた。来ます絶対来ます。今度はちゃんと胸張って友達と言えるように頑張ります。
「あらもう帰っちゃうの?もう一泊ぐらいしたらどう?」
「とっても寂しいわ……そうだ!おうちで入浴剤は使う?私の会社で作った新作があるのだけど、使ってくれたら嬉しいわ!」
「貴様、バターケーキは食べたことあるか?何?ないだと?ならば餞別だ。濃い珈琲と共に嗜めよ」
「ふむ、丁度縫い終えたテーブルクロスがある。年中使えるデザインだ。持っていくがいい」
「泣いて喜びなさい!私のニューシングルが詰まった渾身のCD、しかもサイン入りのをプレゼントするわ!プレミアものよ!」
流石です皆さん。
両手一杯に手土産を持って乗り込んだ電車の中では、俺も篠原さん何も喋らずただ黙って遠退いていくお城を眺めるだけだった。一時間して、先に下りてった篠原さんに手を振って、一回乗り換えた後、俺もようやく家へ帰還した。
突然すぎる宿泊と女子の家だということで最初は難色を示していた両親だったが、ダヴィンチさ……ちゃんの説得のお陰で変な不安と誤解は溶け、普段通りに家へ迎え入れてくれた。そんな両親と姉にお土産を渡したところ、母はテーブルクロス、姉は入浴剤、父はバターケーキを大層喜んだ。CDジャケットのことは忘れよう。特に姉にあげた入浴剤は、今ヨーロッパで頭角を現しているブランド会社『クリスタル・ドレス』のものらしく、日本に上陸したばかりで中々手に入りずらいものらしい。普通に買ったら一万円は下らないとか。
「ねえ人使、名字さん?ってどんな人なわけ?」
心底不思議でならないと言わんばかりに首を傾げている母はそう聞いた。「こんな高級品、ポンと渡す家なんて金持ちに決まってるわよ」と姉が入浴剤を惚れ惚れと眺めて言った。「逆に申し訳なくなるほど頂いたからなぁ」と父が困ったように呟いた。
豪奢や城、華々しいバラ園、ほっぺたが落ちるほど美味しかったご飯、美しくいサーヴァントの人たち、どこまでも優しかった名字さん。それらが一気に脳裏を駆け抜けていった。しかし、俺はそんなことくビクとも出さずにニヤリと笑ってこう言ってやったのだ。
「さあ?普通の家だったよ」
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