行き詰まりのプラットホーム
「何をしている」
そう言って、彼は男の人の腕を捻り上げた。ついさっきまで私のスカートの中をまさぐっていたもので、腕を捕まれた男の人は一瞬ぎょっとしたものの、顔を真っ赤にしてでたらめだと怒鳴り出した。しかし、彼は平然として静かな声で「痴漢、というのだろう?」と聞き返している。
「痴漢は犯罪だ。被害者の尊厳を大いに傷つける卑劣な行為とも聞いている」
彼は私から引き離すように、ぐいっと男の人を引き寄せた。そのままもう片方の腕も取って背中で拘束した。
「は、離せ!」
「それは無理だ。俺自身に犯罪者を捕らえ、裁く権限はないが、それでも見過ごせないものは見過ごせない。何より、これ以上彼女が苦しめたくなかった」
私の方をちらりと見た彼は、すぐ視線を男の人に戻した。男の人はまだギャンギャン騒いでいるが、彼はどこに吹く風というように周りの乗客に「騒がしてすまない」と謝っていた。ちょうど出勤ラッシュの時間帯で少し動くのも躊躇する混みようだったため、この痴漢騒動で車内かなりざわついていた。
次の駅で、彼は未だ暴れる男の人を連れて降りた。慌てて自分も降りると、彼は既に駅員に話をつけていた。男の人を駅員に引き渡した私は、私の方へスタスタ歩み寄ってきた。
「気分はどうだ?」
「え、あ、その……」
車内ではあまり気を向けていなかったが、彼は端正な顔立ちをしていた。中性的な容姿に、細身の華奢な体つき、ふわふわな茶髪を無造作に流していた。かっこいい人だった。口ごもる私に、彼は無表情のままジャケットを脱ぐと私の肩にふわりと掛けた。
「えっ……」
「辛かっただろう。すぐ助けられずすまなかった。もう、大丈夫だ」
彼は少しだけ目尻を下げて、私の頭をふわりと撫でた。それが決め手だった。ダムが崩壊したように溢れ出した涙を、彼は優しく掠め取った。嗚咽混じりに涙を拭う私を、彼は落ち着くまでずっと背中を撫で続けてくれた。
恋に落ちるのは、早かった。
彼は買い物に行くだけで急ぎの用事もなかったようで、お母さんが迎えに来てくれるまでずっと側にいてくれた。その間何も話さなかったけど、ジークという名前は教えてくれた。ジークさん。
「後程お礼がしたいので、連絡先を教えて頂けますか?」
と聞いたのはお母さんだった。スマホを差し出されたジークさんは、じっとそれを見詰めるとこてんと首を傾けた。
「すまない。携帯電話は持っているのだが、その、家に連絡を入れたいのだが」
「別に構いません」
「暫く待ってほしい」
そう言うと、立ち上がって少し離れたところでスマホを取り出した。拙い操作で何回か画面をタップすると、そのまま耳に当てた。
「……ああ、ルーラーか。俺だ。………ああ、少し人を助けてな、お礼がしたいと言われたんだが……そうか。わかった。少し帰りが遅れるとマスターに言ってほしい。………ありがとう。じゃあまた」
ピッと通話を切ると、操作をしながら戻ってきた。
「家の電話番号ならよいとのことらしい。それでも構わないか?」
「はい。本当ありがとうございました。ジークさんがいなければ娘は……」
「気に揉まないでほしい。当然なことをしたまでだ」
「しかし………」
「今日はゆっくり休むといいだろう」
まぶたを真っ赤に腫らした私を見てふっと笑うと、お母さんに頭を下げて来た電車に乗って行った。素敵な人ねとお母さんがうっとりように呟いた。こくんと頷く私の背中をそっと押した。
マスターは、私は、見てしまった!
とある日曜日、友だちと駅前のカラオケに行く途中、知らない女の人と仲睦まじく買い物をするジークくんの姿を!
その時の驚きは凄まじいと一言に尽きる。電撃が走ったような衝撃とはこの事を言うのだろう。まさかあのジークくんが!?あの天然で鈍感で中身ほとんど幼女の人間勉強中のジークくんが!?嘘だろ!?と二人を三度見ぐらいしたが、現実は何も変わらない。見るからに気合いの入れた格好の同じ年頃の女の子と、その一歩隣にいつもの無表情のジークくんが立っている。
これは見なければ!友だちには先に言ってほしいと頼んで、自分は近くの棚に隠れて二人の様子を伺う。これはデート、なのか?てか二人の関係はなんなのだろうか?ジークくんに彼女がいたとかいう噂は聞いたことないが、成立してすぐなのかもしれない。もしかしたら逆にこれからくっつくのか!?これから告白なのか!?やっちゃうかジークくん!
その後、五分ほど観察したが特に気になることはなかったのでこっそり撤退した。別に恋愛は禁止してないし、ジークくんは自分の恋路を大切にしてほしい。マスターとはいえ、しゃしゃり出るのは良くないよね。というわけでジークくん頑張れ!
そのとき、私は知らなかった。ジークくんが掴んでいた髪止めは私のプレゼントだったことを。それを隣の女の子に言ってしまい、泣かれてしまったことを。
▼▼▼
叩かれた左頬を擦りながら家に帰る。何かまずいことを言ってしまったのだろうか。ただマスターへのプレゼント用の髪飾りと言っただけなのに何故か泣かれてしまった。サイテー!と叩かれて走り去られたときは、彼女の行動が理解できずに固まってしまった。それをアストルフォに話せば、呆れたような表情をされた。ジーク、その女の子はジークのことが好きだったんだよ。そう言われてみるとそう思わせるような言動が思い付く。そうだったのか。彼女には申し訳ないことをした。謝ろうとも、らいんでは彼女のアカウントにぶろっく?というものをされてしまっているそうで、連絡が取れなくなっていた。しょうがない。取り敢えず、今は髪飾りをマスターにあげるとしよう。
アストルフォに居場所を聞けば、今は植物園にいるらしい。急いでそこに向かうと、マスターは植物園の奥で花の手入れをしていた。純白の百合を抱いている姿は絵画のように美しかった。あ、ジークくん。百合を机に置いて駆け寄ってくるマスターを慌てて受け止めた。周囲は密度の高い草花に囲まれた木漏れ日が漏れるこの空間は、まるで世界に俺とマスターしかいなくなるような感覚に見舞われる。どうしたの?と首を傾かせるマスターに、目を瞑ってほしいと頼んだ。素直に瞼を閉じたマスターの柔らかな髪に髪飾りをぱちんと留めた。桜色のそれはマスターの栗色の髪によく似合っていた。目を開けたマスターは、髪飾りに手を触れるとびっくりしたように目を大きく見開いて、すぐふにゃりと破顔した。ありがとう。とっても嬉しい。と髪飾りをついついつつくマスターに俺の頬も緩む。
ジークくんは、私に対して過保護な節がある。私は酷く脆い存在だと思い込んでいるらしく、少し体を派手に動かすだけで顔を真っ青にして駆け寄ってくる。「マスター、頼むから自愛してくれ」と必死な形相で迫ってくるのだ。原因はきっと、ジークくんが召還されて間もない頃に私が大怪我したことだろう。私はあまり記憶にないが、かなりヤバかったらしい。そして、そんな私の一番側にいたのがジークくんだったというわけだ。そりぁ不安にもなる。ジークくんの気持ちもわからないことはないのだが、いかんせん度が過ぎる。普通に走ってるだけで注意してくるのだ、彼は。体育祭のときとかヤバかった。ボロボロの私を涙目で抱きしめて、もう学校に行かないでほしいと懇願された。これ以上傷がつけば貴女は死んでしまうと包帯が巻かれた腕を何度も撫で、この度に泣きそうになっていた。あのときはアストルフォくんになんとか引き離してもらったが、次こんなことがあったらどうなるのだろうか?監禁でもされそう。
「マスター」
ドアのロック音と共に廊下から声がした。噂とすれば、ジークくんだ。入っていいよーと声を掛けると、ジークくんが遠慮がちにドアの隙間から顔を覗かせた。
「何か作業中だっただろうか?」
「ううん、ちょっと友だちと連絡とってただけ」
まあ相手は轟くんなんだけど。明日学食一緒に行こう的な内容がたどたどしく文面に書かれている。ライン慣れてないんだな。
ぱたんと部屋に入ってきたジークくんの手には、湯気が立ち上るマグカップが二個乗っかっていた。甘いミルクとはちみつの香りがする。
「ホットミルクだ。もう寝る時間だろうと持ってきたのだが……迷惑だったか?」
「ぜ〜んぜん!むしろ嬉しいよ!」
ジークくんかわいい。しゅんと萎びれたアホ毛は、私がマグカップを受け取るとぴょんと再生した。もうかわいすぎ。ジークくんかわいいよ。でも過保護すぎるのはちょっと遠慮したいかな。
まだ熱いホットミルクに息を吹き掛けて口を付けた。
「うん、おいしい」
「そうか!喜んでもらえたならそれでいい」
「ジークくんも飲みなよ。冷めちゃうよ」
そう言えば、ジークくんもちびちびと飲み始める。ラインの画面をちらりと見ると、まだ轟くんは会話を続けたいようだった。でも、ジークくんがいる前でスマホをポチポチするのも如何なものかと思うし……しょうがない。轟くんには明日謝ろう。
スマホに手を伸ばそうとしたとき、ぐらりと視界が揺れた。身体が一瞬崩れ、ちゃぽんとホットがマグカップから少し溢れ落ちた。
頭がぼやける。なんだか、とても、眠い。
「マスター?」
「ジークく、なんか、あたまが、ふわふわす、る」
「……眠いのか?」
「う、ん」
「日々の疲れが溜まっているのだろう。暫くは休息をとるべきだ」
「でも、あした、がっこうが、」
「たまにはいいだろう」
ジークくんは私からマグカップを抜き取ると、机の上に置いた。そのまま私を抱き上げると、ベッドルームまで運んでゆっくりシーツの上に寝かせてくれた。
「じーく、く……」
「大丈夫だ」
「と、どろき、く……が」
「……貴方の口から他の男の名前を出すのはあまり好ましく思わない」
きゅっと眉を潜めると、ジークくんは私の肩口に額を擦り寄せた。マスター、と吐息が胸骨に当たってくすぐったい。
「彼には俺から連絡を入れよう……もう、寝てくれ」
「じー、く」
「おやすみマスター」
頬に柔らかいものが当たったと思えば、意識がぐんと闇に引っ張られる。ぼやける視界で、ジークくんがうっとりと微笑んでいるのが見えて、記憶が途切れた。
《名字?》
《どうした?》
《何かあったのか?》
《名字》
《返事をくれ》
《名字》
〘すまない〙
《誰だ?》
《名字はどこだ》
《どうなった》
〘マスターの代筆をさせてもらっている者だ〙
〘マスターは疲れが溜まっていたようで今は休んでいる。今日はこれ以上の会話はできない〙
《そうか》
《わかった》
〘万が一のこともある。明日の学校は休ませてもらう〙
《名字に明日またと伝えてほしい》
《は、》
《明日来れないのか?》
《おい、名字は大丈夫なのか?》
〘今のところは問題ない〙
〘では、この辺りで失礼させてもらう〙
《待ってくれ》
《名字》
《名字》
─メッセージが削除されました─
─メッセージが削除されました─
《悪い》
《また学校に来れるときは連絡してくれ》
《名前》
《会いたい》
最近まともに出歩けていない気がする。いや、事実だ。
夏休みに入って学校に行く機会がなくなり、初盤に宿題を済ましてしまおうと机にかじりついているのもあるが、それにしてもだ。1日の歩行距離がマイルームから食堂と大浴場だけというのはちょっとまずいんじゃないかなぁと思うわけだ。遊べ遊べと騒がしいサーヴァント達の機嫌を取るためにも死ぬ気で宿題を終わらせにかかっていたが、この運動量はもはやニートである。ニート。それだけは勘弁してください。しかし、宿題が終わらないとみんなに構ってやれない。これぞ正しくジレンマ。助けて先生。
締め切りに追われる先生に念を送るが、勿論返事はない。自分で解決しろということですか先生!んな殺生な!あ、キアラさんは来ないで。
しかし、そのお陰で宿題のほとんどは終盤に差し掛かっている。残るは日記と自由研究といったところだ。日記は仕方ないとして、自由研究をどうするべきか。学校の先生曰く本当に何でもいいらしいが、やるならとことんやれとのこと。ヒーローを題材にしたという先輩は、年間のヒーロー数の推多と人民が求めるヒーロー像の傾向を調べて論文のようにまとめてきたという。それはそれですごい。やっぱり私はサーヴァントの皆のことが妥当だろうか。と言っても伝承とかをただまとめるのは中学生ぽいし、かといってみんなの写真を張り付けるのは論外だし……中々難題だぞ。
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