公園のベンチに隣り合って座ってたわいの無い会話をする。逃げていた5年間は埋まるものでは無いけど、今を埋めるような底知れぬ安心感があった。噛まれたところからはもう血は出ていない。また傷が開いて血が出ないように鞄の中からリップクリームを取り出してくちびるに塗った。その様子を隣でじっと見つめてくる。そんな見なくても、面白いもんじゃあるまいし。なんだか恥ずかしくなって急いで塗って鞄の中にしまい直した。
「そういや、抱きとめた時なんで変な声で叫びやがったんだ」
「げ、覚えてたの?」
「なんか不都合なことでもあんのか」
ついかっちゃんと呼んでしまった時のことだ。思えばあそこからかっちゃんの怒涛の攻めが始まった気がする。
あの時はただ仕事帰りのかっちゃんに酔っ払いのお迎えをさせたことが罪悪感で出てしまった声だ。かっちゃんの足を引っ張ったり邪魔したくないって思ってたのにお疲れのかっちゃんを引っ張り出してしまったのが心苦しかった。
そう言うとかっちゃんは今更だなと言って笑った。
「あれ?そういや明日仕事は?」
「午後から」
「あるの!?もう12時回ってるじゃん!寝なきゃ!」
「今日くらいいんだよ」
「あの早寝早起き体調管理のかっちゃんが…!」
月日って人を変えるもんだな。そうだとしても明日仕事のヒーローをいつまでも帰さないわけにはいかない。帰ろうと言ってベンチから立ち上がればかっちゃんもすっと立ち上がって私の手を握った。改めて手を繋ぐとなんだか恥ずかしい。少しだけ高校時代を思い出しながら手を引かれるように公園を出た。家とは逆方向だ。
「家あっちだよ?」
「俺ん家に行くぞ」
「え?かっちゃんの家もあっちじゃん」
「実家じゃねぇわ。一人暮らししてんだよ」
「そうなの?この前タクシーで実家に送っちゃった」
「そんな遠くねぇし別にいい」
「そうなんだ。私、家あっちだから今日はここで解散だね」
「あ?俺ん家行くって言ってんだろ」
「え?」
かっちゃんは私の手を離さずにズンズンと進む。え、ちょっと年頃の異性の一人暮らしの家ってちょっとどうなのよ。待って待ってと繋がれている手を引っ張るもかっちゃんは止まる様子もない。え、ちょっと待ってまじでかかっちゃん!
「か、かっちゃん私たちそういうのまだ早いと思うんだけど!」
「二十歳超えてグズグズ言ってんじゃねぇ」
「いやいや、年齢関係ないから!こういうのは結婚する相手と…」
途中まで言って辞めた。そういえばこの前早々にプロポーズされたんだった。このまま言うと何の支障もなく連れて行かれる。
だけど時すでに遅しで、かっちゃんは足を止めてくるっと振り返った。何を言われるか分からず構えていると、掴んでいた私の手を離した。え、なに。かっちゃんはゴソゴソと自分のズボンのポケットを漁ると何かを見つけたように取り出して、掌を広げて私の前に差し出した。
そこにはシルバーのリングにキラキラと月の光を反射するダイアモンドらしき石が付いた、いわゆる婚約指輪と言われるような指輪がそこにあった。ぎょっとして目をこすってみるも、そこには間違いなく指輪があった。
「なっ、なんで!?」
「結婚するって言ったろが」
「いや、待って、いろいろ待って!まずなんでケースに入れてないの!?」
「あ?持ち歩くのに邪魔だろ」
「そんな高価なものポケットにポンと入れるもんじゃないから!」
「別に失くさなきゃいいだけだろ」
「いや傷がつくかもしれないじゃん」
「ごちゃごちゃ言ってねーでさっさと手出せや!」
強制的に左手が奪われた。かっちゃんは私の薬指を指で優しく摩る。熱が上がったように顔が熱くなる。待って、私まだ結婚するなんて一言も言ってないんだけど。言おう言おうと思うのに心臓がドキドキして言葉が出てこない。
「太ってねぇだろうな」
「わ、わかんない、5年も前だし」
「嵌らなかったらぶっ殺す」
「横暴だっ」
「ちょっと黙ってろ」
かっちゃんが私の左手の薬指にゆっくりと指輪を通す。耳に心臓があるんじゃないかってくらい心臓の音がうるさくて涙が出そうだ。かっちゃんを見ると真剣な顔で指輪を通している。私の視線に気づいたかっちゃんがニヤリと笑った。ああもう本当に、その顔好きなんだ。
指の奥まで指輪が到達する。指のサイズは大丈夫だったようでぶっ殺される心配はなくなった。かっちゃんが静かに指輪から手を離すと、私の指には似つかわしくない豪華な指輪がそこにいた。すごい。よく見たくて手を動かすと、指輪はスルリと私の指から抜け落ちた。え?あ!?地面に落ちるギリギリのところでかっちゃんがキャッチした。危ないところだった。
「せっ、セーフっ!」
「痩せてんじゃねぇよクソが!」
「そんなこと言ったって! 」
「もっと食っとけや!」
「無茶を言う!」
かっちゃんは私の手をがっしり鷲掴みにしてさっきより速いペースで歩き出す。指輪はまた裸のままポケットに突っ込まれた。ポケットの中に婚約指輪が入ったことで現在かっちゃんのズボンのトータル額は恐ろしいことになってる。ここでもし敵に出会ったら一番にズボンを守ってしまうかもしれない。とにかく守らねば。周囲に気を張りながらかっちゃんに引っ張られて歩く。ズンズンとどんどん知らない道を進んで行く。あれ、そういえば普通に連れられてるけど、これかっちゃんの一人暮らしの家に行くんじゃ。
「か、かっちゃん?」
「もう文句は聞かねぇ。つーかもうウチ住め」
「なんで?!」
「結婚すんだからいいだろ」
「っそれ!まだ返事してないんだけど」
「あ?さっき指輪受け取っただろうが」
「いやまだもらってない!」
かっちゃんは私を引き連れて前を向いたまま舌打ちをして屁理屈女と呟いた。結婚しようって言った相手に向かって暴言すごい。聞こえてるぞかっちゃん。ため息をひとつ付いて横目で私を見た。
「返事ももう聞いたわ」
「いつ言った?!」
「5歳の時」
「覚えてない!」
「高3の時」
「それは」
「忘れたとは言わせねぇぞ」
「の、ノーカウントじゃない?」
「てっめぇこれ以上逃げんなっつっただろが」
いきなりくるりと振り返ったかっちゃんに慣性の法則で止まらなかった私はかっちゃんの胸に飛び込んだ。そのままぎゅっと抱きしめられて耳元で諦めろと囁かれた。くすぐったくて体をよじると逃がさんとばかりにさらにぎゅっと抱きしめられた。かっちゃんがあまりにぎゅっと抱きしめるから、なんだか胸が苦しくなってかっちゃんの背中に腕をまわして抱きしめ返した。そういえばまだちゃんと伝えてないなぁとぼんやりと思ったら、もう言わずにはいられなくなる。聞こえるかわからないくらい小さな声で好きと言うと、かっちゃんは少し笑って知ってると言った。
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