世の中にはルールがある。
 それは法とか暗黙の了解だけではなく、例えば物を投げれば必ず地面に落ちるように、世界には必ず"決められた法則"があるものだ。

「ぐれいたーみなるがもえているよ」

 あのあと帰って来た二人の弟に私は助けられたらしい。
 らしいというのは当然、私にその記憶が無いからだ。
 一体何日寝ていたのか、ダダンさんたち山賊の家に預けられた私は、目が覚めて早々神の思し召しのままグレイターミナルへ向かい小屋を飛び出した。

 熱も酷ければ呼吸もままならない。今までで一二を争う体調の悪さに、"健康"を"捧げ続けている"のがわかった。三人に、何か起きているのだろうか。具体的な内容を願わなかったのも良くなかったのかもしれない。
 けれど止まるわけには行かない。高い木々で覆われた山の先から、おぞましいほどの煙の臭いを感じていた。
 どうしてグレイターミナルが燃えているの!

「教えてください神様! エースとルフィは!」

 悲鳴のように声に驚いたのは鳥達で、夕方にも関わらず私の周りに集まっていた彼らは編列を乱した。

 眼下には走るダダンさん達が見える。飛び出した私を追ってきたのか、此処からでも見える夕陽とも見間違う炎に向かっているのかは分からない。
 何かを叫んでいるようにも見えたけれど、私は木に枝に、小鳥達にぶつかろうとも止まろうとしなかった。

 あそこには、三人が。助けないと。

「火をつけられた。 エースとルフィはまだ無事だよ」
「……かみさま! ドクたちは!? 患者さんは……!皆を、た、助けてください!」
「足りないよ。 とうていとうてい、きみだけじゃあ足りやしない」
「体力でも、髪でも内蔵でも、翼でも、何でも持っていって良いから!!お願いします!!」
「たりやしないよ」

 泡が弾けた。胸に残った神の残滓を引き寄せるように胸元を握り、かの方を呼ぶが、それ以上の返答は無い。

 最早飛ぶことも出来なくなって、私は羽虫のように地面へ落ちた。
 なんとか山賊さんがキャッチしてくれたものの、身体中を打ち付けたからか何処もかしこも痛くてたまらない。痛みでは無い理由で涙が湧いてくる。
 もう少しでグレイターミナルだというのに、どうして、私は!

 焦燥感と絶望感で喉が渇いていた。どこもかしこも熱くて、それが身体の内から来るものなのか、ゴミ山からの熱気がここまで届いているのかも分からなかった。
 キャッチしてくれた山賊の一人に礼を言って立ち上がると、ぐらりと眩暈がして世界が回る。三半規管がおかしくなっていた。周りの音が、ぼんやりとしている。

「アンタは小屋に戻ってな!!足手まといだよ!!」
 
 いつか、エースから言われた言葉だ。妙に懐かしくって、つい笑いそうになった。お前は何でもすぐ諦めちゃいないか。ドクの言葉。ええそうですドク。でも今回ばかりは諦められないのです。私の傲慢に気づかせて頂けたこと、本当に感謝しています。
 最早意識が朦朧としているのだろう。思考が散っている。それが自覚出来るけれど、歩みを止めはすまいと足を動かした。
 ダダンは私を見ると一つ舌打ちをして、恐ろしい顔をしたけれど、私は構わず声をかける。

「ダダン、さん……何が起きたら、みんな、たすかり、ますか、ね」
「はァ!? 雨でも降りゃぁ火だって消えるだろうよ! おい、だれかこの小娘を抱えてでも小屋に連れてきな!!」
「たくさんの、雨。 火が消えれば、エースもルフィも、きっと」

 背中が重い。この背中にある翼はいつだって、あんなにも軽かったのに。
 私を私足らしめる、呪いのような翼だった。神から与えられたものだと考えなければやっていられないほどの不幸を、この背中が運んでくるのだと、ずっと思っていた。

 でも、それは、私が使いこなせていなかったから。神様からギフトを貰ったのに、自分の不幸ばかりを数えて、私がそれを使いこなそうとしていなかっただけだ。
 力があったのに使おうとしなかった。安寧に身を任せては、力のある誰かに翻弄されて、自分が弱い存在なのは仕方がないのだと諦めて。
 私はこの世界の人とは違うから、と、言い訳をしていた。

 "神様"を使おう。捧げるものなんて一つで良い。

「わた、し、さきに、いきます。エースとルフィを助けなきゃ」
「はァ!? お前に何が出来るってんだ!! あ!待ちなこの……ッ!ほんっとに!! ガキどもは言うこと一つ聞きやしねェ!!」

 翼の力だけで空に舞い上がる。鳥の原理とは違うそれに助走はいらないから、身体の力は抜いていい。
 背中にある白い羽だけが一人でに動いて空を舞う。まるで巨鳥に連れ去られた獲物のようにぐったりとしながら、頭だけはグレイターミナルを見据えていた。

 地面を舐めるような炎がゴミ山を赤く彩っている。エースもルフィもドクも、治療院の患者さんも見分けがつかない。彼らは懸命に火から逃れようと駆けまわっているけれど、空から見える現状は最悪だ。
 海に繋がる海岸の端に船が見えたけれど、そこまでの道も炎によって閉ざされている。あそこに二人は居ない。不思議な直感があった。

 黒い煙が立ち込めていて、炎が肌を焼く。目を開けているだけで煙が染みる。高いところに居るからかもろに煙を吸ってしまったみたいだ。呼吸が苦しい、けれど、努めて気にしない。
 人生はいつだって諸行無常だ。幸せが壊れるのは、いつだってこんなにも呆気ない。
 
「おい……!!あれ、ドクのとこの!」
「シスターちゃんじゃねぇか!?」
「て、天の使いじゃ……!」

 煙に隠れているとはいえ炎に照らされている私の姿は良く見えるだろう。
 火から逃れるように駆けていた人の足が私を見つけて止めていく。早く逃げて、と気持ちを込めて手を振った。
 私を指差す人の中にドクの姿を見つけたような気がしたけれど、煙に巻かれてそれも見えなくなる。
 彼らを助けるためにも、急がなくては。

 エースとルフィが居るところまで行かなくても、良い。二人を見つけたところで、私では彼らを抱えて飛べないから。
 きっと二人は大丈夫。信じる。信じるしかない。サボも、高街に居るのならむしろ安心だ。きっと。大丈夫。

 グレイターミナルのおおよそ中心部まで付くと、そこはすでに炎しか無い瓦礫の山だった。火の粉と一緒に真っ黒な灰が私を汚す。焼けたゴミの異臭に混じってタンパク質の燃える臭いが鼻を付く。 熱が空へと吸い込まれて、強い風を引き起こしていた。

 急ごう。

「神様。 今まで、本当にありがとうございました」

 空を見上げる。煙が吸い込まれていく。

「私を、見守ってくれたこと」

 空気と混じって、悲鳴と、怒声と、泣き声が入り混じる。

「もう一度チャンスを、くれたこと」

 昔から、どうして前世なんてものの記憶があるのか疑問だった。
 だって過去の私の名前だって覚えていなければ、何をしてどういう人間だったのかも覚えていない。
 ただ、今回が”二回目”だということだけは理解していた。

「理由なんて、もう、どうでもいいけれど……」

 火の手が迫る。空に居るはずなのに、酷く空が遠い。
 一度だけ周囲をぐるりと見渡して、私は手を組んだ。ベールはとっくに風で流され、燃え落ちてしまった。
 この火の中、逃げ遅れた人達がすがるように空を見ては膝をついている。それもすぐ、炎と煙で見えなくなった。

 こんなにも身体は熱いのに、指先は冷えていくようで。ぎゅう、と強く自身の手を握ってそれを誤魔化した。
 それから、サボの、エースの、ルフィの顔を思い出す。

 不甲斐ないお姉ちゃんで、ごめんね。
 これが、私に出来る、精一杯。

「神よ。 我が身を捧げます」

 身体から、力が抜けた。まるで身体を動かすために必要な、大事な糸を切られてしまったような。
 ひらりひらりと抜け落ちた羽の一枚一枚が燃えていく。何枚かが風に乗って浚われたのを見送って、私はほっと息をついた。

 本当は、もっと上手くやりたかったけれど。
 今まで自分から動かずに何もかもを流れに任せていた私だ。
 これだけ出来れば、まぁ。上出来だと。思うことに、します。

「さぼ、えーす、るふぃ……」
 
 あの鳥かごから出て、弟が出来て、でもむしろ私が面倒を見られていて。
 海賊に殴られ、貴族に蹴られ、鎖を、二人が外してくれて。
 教会で、優しい、シスターに、家族が、出来て。

「……もう、いちど、あい、た……」

 一筋の涙を追うように、雨雲がやってくる。
 稲光が煌めいて、小さな鳥は炎に飲み込まれた。


*


 分厚い雲に空が覆われてすぐ、グレイターミナルには雨が降った。
 その雨は三日と続き、火事の後始末をするように、瓦礫の山を洗い流して海へと返すように、ただひたすらに降り続けた。グレイターミナルの住人は家を捨て財を捨て、森へ海へと散っていく。
 後始末の為に軍隊がグレイターミナルにやってきたが、瓦礫の山も、異臭の街も、高台にある街すらも、酷い雨に隠されて作業は一向に進まない。
 雨は土砂崩れ等の災害も同時に呼び起こしたけれど、此処に住む者たちにとっては、確かに、恵みの雨になったのだった。

 ――”不確かな終着駅”には噂が流れた。小さな天使がその身を天に捧げて雨を呼んだのだ、と。あの日生き残った住人は言った。けれど、真実は誰に分かるわけもなく。しかしまことしやかに、グレイターミナルでは噂される。
 いつか帰ってくるかもしれないと願いを込めて、今や撤去された治療院跡地には廃材で作られた十字架がぽつんと――まるで墓標のように――置かれていた。


 深い山の奥で。木々に覆われた天然の迷路の奥にその樹は聳え立っている。
 かつての財宝は樹に呑まれ、最早誰も登ることは無い。静かなその地では、楽しげな子供達の声がいつまでもいつまでも、木霊しているようだった。



1 : One more chance End

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