雨が降っている。
 這ってでもグレイターミナルへ向かおうとしたおれを止めたのはダダンだった。少し離れた小屋からは雨音にも負けないルフィの泣き声が響いてくる。力が入らない。身体中から血液が全て抜けてしまったかのように、今のおれは抜け殻だった。

*

 ブルージャムと向き合ったあの日、突然の雨に気を取られたおれを狙った一撃は”たまたま”落ちてきた瓦礫によって防がれた。何処もかしこも燃え盛り火の手は激しくなる一方だったのに、まるで空から海が降ってきたかと思うぐらいの雨で無理矢理、グレイターミナルが鎮火されていく。
 不思議とダダンやブルージャムの姿が良く見えた。いや、違う。二人の姿は雨で見えなかった。それほどひどい雨だった。なのにおれには二人がどこにいるか、あの時は確かに分かっていた。

「なまえが、グレイターミナルに、雨? 意味わかんねェ……意味わかんねェよ!!」
「お、俺らにも真実は分かんニーんだ!! でも!! グレイターミナルでは、天使を見たって話で持ち切りだ。炎の中であいつを見たって!!」
「それとこれと何の関係があンだよ!! おれは探しに行く!!離せ!!なまえは!! まだ生きてるかもしれねェんだぞ!!」

 帰ってきて、サボの船が沈んだと告げられ、なまえの姿はない。そんな中ドグラから聞かされたのは天使の噂だった。
 天使がその身と引き換えに雨を呼んだ?信じねぇ。嘘に決まってる。グレイターミナルに居るんなら、どうせドクのところかなまえを可愛がってた野郎どものねぐらにでも匿って貰って、そんで熱でも出して。だから、顔見せないだけだ。

「信じねェぞ……あいつは! そんなことが出来る女じゃねェ! いつまでも弱っちくて!泣き虫で!!」
「うあ”あ”あ”あ”ぁ!! なまえ、サボぉ……!!」
「泣くなルフィ!!なまえは死んでねェ!! 自分の命と引き換えだァ!?そんな根性ある女じゃなかった!! 普通の……羽がついてるだけで、普通の!弱い!女だった!!」

 ルフィは地面を手で削りながら泣き伏している。
 樹に縛り付けられたまま、何とかもがこうと身体を揺すったが動かない。悔しくて、悔しくて堪らなかった。

 なまえが雨を呼ぶ?意味わかんねェ。なまえが死んだ?信じられるわけがねェ!!
 そう思うのに、嫌な予感が腹から湧き出て吐きそうだった。なまえを探しに行くことすら出来ない現状がもどかしくて、ドグラを睨む。

「そもそも、あいつは熱だって出してたんだ! こっからゴミ山まで持つわけねェ……!」
「エース……気持ちは、分かるがよぅ……」
「いい加減にしな!! ……エース。あの子は確かにグレイターミナルへ行った。確かにふらふらとしちゃいたが、木にぶつかっても地面に落ちても、てめェの足で、自慢の羽で空飛んで行ったよ。 道中で雨が降りゃ火事が終わるだろう事を教えたのもアタシさ」
「……ンだよ、それ」

 ルフィを回収しに来たのであろうダダンが言う。傘の下に隠れた表情は、身体の大きさで劣るおれから良く見えた。
 未だ泣き叫ぶルフィを片手で抱えるとおれに背を向け、吐き捨てるように言う。

「カミサマに祈るんだとよ。ふらふらしながらカミサマカミサマって鳴いて、飛んでった。 まったく、本当に、あのガキ……自分を、特別だとでも思ってたのかね。 馬鹿で、傲慢で、どうしようもない……」

 ダダンは泣いていた。
 あいつを馬鹿にするなと、今すぐ訂正しろと怒鳴りたいのに、全身から力が抜けていく。

 信じない。おれは。

「雨がやむまでそこにいな。ちったァ、頭冷やすんだね」

 バタン、と音を立ててドアが閉められる。雨音がうるさい。ルフィの嗚咽と鳴き声が響いている。
 なまえも、よく泣いていた。本当にちょっとしたことでも、泣いた。
 おれやサボが怪我をしては泣いて、蛇に噛まれそうになっては泣いて、物をやれば嬉しいと泣いた。
 弱い女だった。けれど、それで良いと思える、女だった。

(いい加減泣き止めよな)
(うぅ……だって、嬉しかったんだもの)
(はいはい、ったくしょうがねェなァ)

 サボは特になまえを慰めるのが上手くて、いつも泣かせるおれとは違い面倒見も良かった。どっちが年上か分かりゃしないとからかったこともあった。
 怒ることはあんまりしなかったけれど、心配性で、臆病だから、燃える火の中になんて入れるわけねェんだ。

(エース、どうして無茶ばかりするの?)
(うっせェな。お前には関係無いだろ)
(関係あるよ!死んじゃったらどうするの!)
(別に……。その時は、その時だ。やっぱお前には関係ねェじゃねぇか)
(あるよ……!エースが死んだら、私、悲しい。悲しくて、た、たまらな……)
(なっなんで泣くんだよ……。別にこれぐらいじゃ死にゃしねェよ!)

 火の中になんて、入れるわけねェ。暑さにも寒さにも勝てなかったあいつが。
 ちょっとしたことで泣いて、笑って、甘えた根性無しのあいつなんかが。

(エース!お誕生日おめでとう! 生まれてきてくれて――)

 ぼけっとしてて、本も読んでるはずなのに、頭も悪くて。
 海賊を恨んでるはずなのにおれのことは、好きだと。へらりと笑っていた。

(鬼の子?海賊王……? そうかぁ……。エースが、たまに夜の海みたいな目をしてたのって、お父さんが原因だったんだね)
(エース、そんなこと言ったら、私は神様の子供みたいなもんだよ? 神様が居なかったら、エースもそんな思いしなかったかも。 ねぇ、私のこと、憎い?嫌いになる? ッい、ったぁ!? 何で叩くの!?)

 おれやサボはおろか、ルフィにだって勝てなくて。

(なまえはよっっえぇなぁ!)
(うぅ……ルフィのばか。寸止めしてって言ったのに!)
(わりぃ!なまえがすっげェ鈍いから当てちまった!)
(わーん!サボぉ、ルフィが姉を虐待します!)
(ギャクタイ?ってなんだ?)
(親が子供を怪我させたり、家に放置した……り……面倒を、見な……うっ、ルフィ!お姉ちゃんがついてるからね!!)
(ぎゃっ 急に飛び付くなよ、あぶねーだろ!)

 姉を自称するわりに、一人じゃ何も出来ねェし、失敗しても懲りねぇから、俺らがいつも尻拭いをしていた。

(今日は私がダダンさんと夕飯を作ってみました!)
(何処をなまえが作ったかすぐ分かるな)
(あァ、あの黒いとこな)
(うっ……す、少し焦がしちゃって……うう、責任もって自分で食べます……)
(うめェぞなまえ!にげェけど!)
(サ、サボ……!無理して食べなくても良いんだよ?あ、ルフィまで……)
(まっじぃ……)
(あァ、不味い……けど、食えなくはねェな)
(う、うぇぇ……弟が優しいですダダンさん!!)
(あたしに振るんじゃないよ!!)


 ーーサボとも、約束したのに。

(エース、なまえを、頼む。 なまえはおれの、自由のしょうちょう、なんだ……)

 なのに、ここにはもういない。
 サボも、なまえも。
 二人そろって、まるで示し合わせたかのように突然に。
 いなくなってしまった。

 #
 
 暫らくたって、雨が止んで。ドグラがサボの手紙を持ってきた。
 読み終えた手紙を握りしめて、丘の上でぼんやりと水平線を眺めていれば、ゆっくりと太陽が海に沈んでいく。なんとなしにそれを眺め続けていると、不意に森からなまえの声がした気がしておれは振り返った。

「なまえ!?……」

 そこに居たのは大きな鳥だ。なまえが、”お隣さん”と名付けていた。
 口の中いっぱいに苦い味がするようだった。鳥を睨みつけてやるが動かない。静かにおれを見返している。
 よく見るとそいつは何かを咥えているようで、おれは何となしに近づいた。
 今までおれ達には一切近づいてこなかった鳥の嘴には、その身と比べるには小さすぎる羽とが一枚と、銀色に光る、ネックレス。

「……お前、それ」

 チャリン、と小さく金属音を立てて銀色に光る十字架が落ちる。そしてそれを追うように、白い羽がひらりと舞った。今にも風で飛んで行ってしまいそうなそれを慌てて拾う。手の中で確かめるまでもない。なまえの、ものだ。
 もう一つも、おれらがなまえに渡した十字架だ。喜びすぎて、何思ったのかグレイターミナルに突っ込んでって。蝋細工のような艶がある羽を指でつまんでくるりと回す。驚くほど軽い。こんなもので、あいつ、空を飛んでいたのか。
 ……。

 何を思ってこんなものを持ってきたのだろうと、鳥相手とはいえ訪ねようとして顔を上げる。けれど俺が口を開く前に、鳥は飛び立ってしまっていた。

「……なんだよ」

 これをどうしろというのか。形見だとでも言いたいのか。
 分からないけれど、さりとてそれを捨てようという気にもならない。
 おれはクロスをそっと首から下げて、羽を夕陽に透かした。
 波の音に乗ってなまえの声が耳に反響する。ほんの数日前の楽しかった四人での生活が、もう思い出になりかけていた。

 せめて、もう一度会いたい。
 太陽は海へと落ち、暗闇が迫っていた。


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