2
身体が熱い。息が苦しい。胸部と腹部に、熱い石でも乗せられているかのように私の身体は動かない。
意識が浮上する。
「む。起きたか」
……。
「そんな気はしていたけど……アン、良かった……」
人の胸部を枕に、腹部を敷布団のように使い寝転ぶアンと目が合った。彼のふんすふんすという鼻息が顎に当たって擽ったい。どういう仕組みなのか分からないけれど、私は生まれて初めて仰向けに寝ていた。
どいて、と小さく声をかければ、彼は私の言葉に仕方が無さそうな顔をしながらのっそりと翼を広げその場で宙に浮く。私も合わせて上半身を持ち上げれば、額に乗っていたと思われる濡れタオルが落ちた。軽く頭を振って室内を確認すると、白い壁の色が真っ先に目に入る。此処は……。
壁には薬の棚と思わしきものが一面にあり、また治療用のベッドが私の隣にもう一つ。そこには誰も寝ていなかったが、形からして簡易的なものに思えた。少し前まで慣れ親しんでいた消毒液の香りを感じて、小首をかしげる。病院の一室の様に、見える。
修道服も気づけば纏っていない。今着ている入院着のようなそれは薄青色で、清潔感に溢れていた。薄っぺらな服は紐を内側で結って止めているだけなので、いつも肌を露出していないせいか妙に頼りなく感じる。
鼻先を私の腹部に埋めるアンを抱きしめ、私は静かに瞬きをした。現状がいまいち理解できていなかった。
此処は。さっきまで、確か。
記憶に思い起こされるのは、落ちたアンの首と、アンの亡骸を冒涜した男。いや、違う。あれは違った。
(馬鹿が!!悪魔の実だ!!)
(くっ……こうなったのも私の責任か。馬鹿なまえめ!)
(神よ、我が怒りと引き換えに、なまえを眠らせたまえ!)
私が最後に聞いたのは、アンの祈りの声で、私は……そう、アンに怒られるようなことを、しようとしたのだった。
その影響か、珍しく甘えてくるアンはむっすりと口を噤んだまま私にくっついている。静かにあの時のことを思い出していれば、唐突に病室のドアが開かれた。
「起きたか、天使屋」
「……」
「傷は治ったろう。そこの犬のお陰なのか、お前特有のもんなのかは知らねーが、外傷の自然治癒はやたらと早かった。だが、慢性的な肉体の疲労が積もって熱が出ているはずだ」
「……貴方、が、助けてくれたんですか?」
扉から入ってきたのは白衣を着た、先ほどの――どれくらい時間が経っているか不明だが、私にとっては――男が立っていた。アン一人では私をこうして病院に連れては来られないだろうから、何処か納得している自分もいる。
何より神のお告げがあった。身体の内側から、シャボン玉のように言葉が浮いては消えていく。彼が私を治療してくれたことと、アンテナが無いよ、という忠告を最後に、神は口を閉ざした。
感覚はあるのに、確かに翼は動かない。
「私の、羽……どこですか」
「天使は礼も言えねェのか?」
「……ありがとう、ございます。すいません、記憶が、混濁としてまして」
アンが私の膝の上でぐるる、と唸った。彼にも神の声が聞こえたのだろうか。今の私の姿は、普通の人間と大差がない。背中にあった翼がまるっとそのまま無くなっていた。
男は無表情のまま私の姿を一視して、手に持っていたカルテと思わしきものをサイドボードに置く。それから、唸ったアンを一睨みして近くの椅子に腰かけた。
この人は何がしたいのだろう。翼を奪ったのは、アンの首を切り離したものと同じような原理なのか。けど、翼が無ければ売るのにも困るのではないか。手首にも足首にも、どこにも鎖が付いていないことも不思議だ。
「お前に聞きたいことがある」
私の無言の困惑を読み取ったのか、彼が口を開いた。私を見る目つきは悪く、目の下のクマが彼の形相をより悪くしている。私は黙って頷いた。
「翼を返してくれるのでしたら、なんなりと」
同じく無表情に返す。アンはそんな私と男を見て、興味を無くしたかのように目を閉じた。
「質問が先だ。天使屋、お前の噂は真実か」
「……うわさ?」
予想外な言葉に首を傾げた。噂とは、なんだろうか。天使と呼ばれているのは何となく知っていたが、人からどう言われているかを調べたことなど無かった。天使の島を探している、とか、そんな噂なら出回っていてもおかしくはない。が、彼の曖昧な言葉に返せる返事はない。
清潔感のある部屋は明るく、私にかけられたシーツは柔らかい。アンの反応を見ても、悪い人では無さそう、なのは、分かる。けれど、どうにも彼と親しく会話をするというイメージがわかなくて、私はそのまま彼の言葉を待った。
「……”天使は死者を甦らせることが出来る”」
「えっ?」
「そんな噂が近くの島々で流れていた。俺が聞いたのは偶々だが、お前を石の牢屋に入れていた野郎は大々的に宣伝していた」
予想外な言葉に、今度こそ絶句した。
死者を?蘇らせる?……どうやって?
パチパチと瞬きをしていれば、男はさもありなん、と言った風に軽く頷く。
「えっと……それは多分、嘘ですね」
「だろうな。その様子見てりゃ分かる。 が、近しい力を持ってるんじゃねェか……火の無いところに何とやらって言うしな」
「……貴方、もしかして、それで私を助けてくださったの」
助けたい人が、居るのか?もしくは助けたかった人、が。
私の表情に何を読み取ったのかは分からないけれど、男は顔を顰めて舌打ちをすると、良いから答えろと乱暴に言った。目の下のクマのせいで老けて見えるけれど、もしかしたら同じ年くらいなのかもしれない。私は少し考えた後、彼を見た。
「神様に、聞けば……もしくは」
男は嫌いな食べ物を見た子供のように口元を歪ませると、被っていた帽子を片手で抑えて頭を振った。
「チッ……はァ、やはり、見た目から派生した噂だったか」
「……?」
「見かけだけは”天使”の名に相応しいからな……俺としたことが、噂に踊らされたか」
「えっと……神に問うためにも、翼が必要なのですけれど」
男の変化について行けず、私はじっと彼を見つめる。しかし男はそれ以上私へ何を言うわけでもなく、指を軽く曲げ手首を捻った。いつか見た青いドーム状の膜が彼の手元を起点に現れると、彼を中心に私とアンを包み壁を越えていく。アンを抱きしめる腕に力が籠ったけれど、彼は変わらず目を瞑り大人しくしていたので、私も静かに肩の力を抜いた。
「シャンブルズ」
背中を軽く押され身体が傾く。けれど慣れ親しんだ重さで、私の背に翼が戻ったことを理解した。翼は一度ぶるりと震えると、伸びをするかのように広がり、すぐに元に戻る。
そして気づけばドームが消えていた。
「あ……の。ありがとう、ございます」
「別に慈善事業じゃねェ。ただの……気まぐれだ」
事実なのだろう。けれど、助けられたことには変わりない。散々人間に騙されてきた私とアンだけれど、同じだけ、人間に助けられることもあった。助けられることもあるから騙されるとも言い換えられる。
人間を信用しすぎてはいけない、とはアンの言葉だ。しかしアンはこうして大人しく私のお腹を温める作業に甘んじているし、彼は、「天使は死者を蘇らせることが出来る」なんて眉唾な噂を信じて助けてくれた、みたいだ。
席を立って扉に向かう男に慌てて声をかけた。アンをベッドに下ろし、シーツをめくり立ち上がる。
「ま、待って! あの、お礼を……!」
「……」
男が振り返る。そして、着ていた入院着がはらりと落ちた。腕を通り抜けた何かを反射で掴もうとしたけれど、間に合わず。そのまま、パサリと地面に布が落ちた小さな音が、やけに耳に響いた。
――え。
「えっ」
扉が開く。男ではなく、外側から開けられた扉の先では、白熊が私を見て驚いた顔をした。
「ひぇ、あ、う……」
ああ、昔もこんなことあったなぁ。どこかで冷静な私がしみじみと言った。いやいやいや冷静じゃないよ全然冷静じゃない。考えてる場合じゃない。
慌てて自らの身体を抱きしめ、言葉にならない嗚咽を吐き出す私。妙に静かな室内。男のため息が響く。
「あのな。背中にソレが戻ったときおかしいとは思わなかったのか?布があんだろ、普通、背中には」
「……ッ見ないで、ください!!」
「ぷぎゅっ」
男に背を向けめくられていたシーツをはぎ取る。それによりアンがベッドから落ちたけれど、今の私には彼を拾ってやる余裕もなく、意味もないのに羽をバッサバッサと動かした。恥ずかしい。いやそれよりも、どういう原理で翼を取ったのかも分からなかったのだから、どういう原理で付けたかも分からないのは当然であって、それで、それで。
羞恥心から涙が湧いて、思わず男と白熊を睨みつけた。シーツに包まり、泣きながら男を睨む私の何と間抜けなことだろう。
ぐすん、と鼻をすすれば、白熊が気づかわしげに口を開いた。
「あー……おれ、熊のメスしか興味ないから!大丈夫!」
人間の裸とか見慣れてるし!そう続けた白熊に、益々恥ずかしくなって、私は顔を抑えシーツの中で蹲る他なかった。
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意識が浮上する。
「む。起きたか」
……。
「そんな気はしていたけど……アン、良かった……」
人の胸部を枕に、腹部を敷布団のように使い寝転ぶアンと目が合った。彼のふんすふんすという鼻息が顎に当たって擽ったい。どういう仕組みなのか分からないけれど、私は生まれて初めて仰向けに寝ていた。
どいて、と小さく声をかければ、彼は私の言葉に仕方が無さそうな顔をしながらのっそりと翼を広げその場で宙に浮く。私も合わせて上半身を持ち上げれば、額に乗っていたと思われる濡れタオルが落ちた。軽く頭を振って室内を確認すると、白い壁の色が真っ先に目に入る。此処は……。
壁には薬の棚と思わしきものが一面にあり、また治療用のベッドが私の隣にもう一つ。そこには誰も寝ていなかったが、形からして簡易的なものに思えた。少し前まで慣れ親しんでいた消毒液の香りを感じて、小首をかしげる。病院の一室の様に、見える。
修道服も気づけば纏っていない。今着ている入院着のようなそれは薄青色で、清潔感に溢れていた。薄っぺらな服は紐を内側で結って止めているだけなので、いつも肌を露出していないせいか妙に頼りなく感じる。
鼻先を私の腹部に埋めるアンを抱きしめ、私は静かに瞬きをした。現状がいまいち理解できていなかった。
此処は。さっきまで、確か。
記憶に思い起こされるのは、落ちたアンの首と、アンの亡骸を冒涜した男。いや、違う。あれは違った。
(馬鹿が!!悪魔の実だ!!)
(くっ……こうなったのも私の責任か。馬鹿なまえめ!)
(神よ、我が怒りと引き換えに、なまえを眠らせたまえ!)
私が最後に聞いたのは、アンの祈りの声で、私は……そう、アンに怒られるようなことを、しようとしたのだった。
その影響か、珍しく甘えてくるアンはむっすりと口を噤んだまま私にくっついている。静かにあの時のことを思い出していれば、唐突に病室のドアが開かれた。
「起きたか、天使屋」
「……」
「傷は治ったろう。そこの犬のお陰なのか、お前特有のもんなのかは知らねーが、外傷の自然治癒はやたらと早かった。だが、慢性的な肉体の疲労が積もって熱が出ているはずだ」
「……貴方、が、助けてくれたんですか?」
扉から入ってきたのは白衣を着た、先ほどの――どれくらい時間が経っているか不明だが、私にとっては――男が立っていた。アン一人では私をこうして病院に連れては来られないだろうから、何処か納得している自分もいる。
何より神のお告げがあった。身体の内側から、シャボン玉のように言葉が浮いては消えていく。彼が私を治療してくれたことと、アンテナが無いよ、という忠告を最後に、神は口を閉ざした。
感覚はあるのに、確かに翼は動かない。
「私の、羽……どこですか」
「天使は礼も言えねェのか?」
「……ありがとう、ございます。すいません、記憶が、混濁としてまして」
アンが私の膝の上でぐるる、と唸った。彼にも神の声が聞こえたのだろうか。今の私の姿は、普通の人間と大差がない。背中にあった翼がまるっとそのまま無くなっていた。
男は無表情のまま私の姿を一視して、手に持っていたカルテと思わしきものをサイドボードに置く。それから、唸ったアンを一睨みして近くの椅子に腰かけた。
この人は何がしたいのだろう。翼を奪ったのは、アンの首を切り離したものと同じような原理なのか。けど、翼が無ければ売るのにも困るのではないか。手首にも足首にも、どこにも鎖が付いていないことも不思議だ。
「お前に聞きたいことがある」
私の無言の困惑を読み取ったのか、彼が口を開いた。私を見る目つきは悪く、目の下のクマが彼の形相をより悪くしている。私は黙って頷いた。
「翼を返してくれるのでしたら、なんなりと」
同じく無表情に返す。アンはそんな私と男を見て、興味を無くしたかのように目を閉じた。
「質問が先だ。天使屋、お前の噂は真実か」
「……うわさ?」
予想外な言葉に首を傾げた。噂とは、なんだろうか。天使と呼ばれているのは何となく知っていたが、人からどう言われているかを調べたことなど無かった。天使の島を探している、とか、そんな噂なら出回っていてもおかしくはない。が、彼の曖昧な言葉に返せる返事はない。
清潔感のある部屋は明るく、私にかけられたシーツは柔らかい。アンの反応を見ても、悪い人では無さそう、なのは、分かる。けれど、どうにも彼と親しく会話をするというイメージがわかなくて、私はそのまま彼の言葉を待った。
「……”天使は死者を甦らせることが出来る”」
「えっ?」
「そんな噂が近くの島々で流れていた。俺が聞いたのは偶々だが、お前を石の牢屋に入れていた野郎は大々的に宣伝していた」
予想外な言葉に、今度こそ絶句した。
死者を?蘇らせる?……どうやって?
パチパチと瞬きをしていれば、男はさもありなん、と言った風に軽く頷く。
「えっと……それは多分、嘘ですね」
「だろうな。その様子見てりゃ分かる。 が、近しい力を持ってるんじゃねェか……火の無いところに何とやらって言うしな」
「……貴方、もしかして、それで私を助けてくださったの」
助けたい人が、居るのか?もしくは助けたかった人、が。
私の表情に何を読み取ったのかは分からないけれど、男は顔を顰めて舌打ちをすると、良いから答えろと乱暴に言った。目の下のクマのせいで老けて見えるけれど、もしかしたら同じ年くらいなのかもしれない。私は少し考えた後、彼を見た。
「神様に、聞けば……もしくは」
男は嫌いな食べ物を見た子供のように口元を歪ませると、被っていた帽子を片手で抑えて頭を振った。
「チッ……はァ、やはり、見た目から派生した噂だったか」
「……?」
「見かけだけは”天使”の名に相応しいからな……俺としたことが、噂に踊らされたか」
「えっと……神に問うためにも、翼が必要なのですけれど」
男の変化について行けず、私はじっと彼を見つめる。しかし男はそれ以上私へ何を言うわけでもなく、指を軽く曲げ手首を捻った。いつか見た青いドーム状の膜が彼の手元を起点に現れると、彼を中心に私とアンを包み壁を越えていく。アンを抱きしめる腕に力が籠ったけれど、彼は変わらず目を瞑り大人しくしていたので、私も静かに肩の力を抜いた。
「シャンブルズ」
背中を軽く押され身体が傾く。けれど慣れ親しんだ重さで、私の背に翼が戻ったことを理解した。翼は一度ぶるりと震えると、伸びをするかのように広がり、すぐに元に戻る。
そして気づけばドームが消えていた。
「あ……の。ありがとう、ございます」
「別に慈善事業じゃねェ。ただの……気まぐれだ」
事実なのだろう。けれど、助けられたことには変わりない。散々人間に騙されてきた私とアンだけれど、同じだけ、人間に助けられることもあった。助けられることもあるから騙されるとも言い換えられる。
人間を信用しすぎてはいけない、とはアンの言葉だ。しかしアンはこうして大人しく私のお腹を温める作業に甘んじているし、彼は、「天使は死者を蘇らせることが出来る」なんて眉唾な噂を信じて助けてくれた、みたいだ。
席を立って扉に向かう男に慌てて声をかけた。アンをベッドに下ろし、シーツをめくり立ち上がる。
「ま、待って! あの、お礼を……!」
「……」
男が振り返る。そして、着ていた入院着がはらりと落ちた。腕を通り抜けた何かを反射で掴もうとしたけれど、間に合わず。そのまま、パサリと地面に布が落ちた小さな音が、やけに耳に響いた。
――え。
「えっ」
扉が開く。男ではなく、外側から開けられた扉の先では、白熊が私を見て驚いた顔をした。
「ひぇ、あ、う……」
ああ、昔もこんなことあったなぁ。どこかで冷静な私がしみじみと言った。いやいやいや冷静じゃないよ全然冷静じゃない。考えてる場合じゃない。
慌てて自らの身体を抱きしめ、言葉にならない嗚咽を吐き出す私。妙に静かな室内。男のため息が響く。
「あのな。背中にソレが戻ったときおかしいとは思わなかったのか?布があんだろ、普通、背中には」
「……ッ見ないで、ください!!」
「ぷぎゅっ」
男に背を向けめくられていたシーツをはぎ取る。それによりアンがベッドから落ちたけれど、今の私には彼を拾ってやる余裕もなく、意味もないのに羽をバッサバッサと動かした。恥ずかしい。いやそれよりも、どういう原理で翼を取ったのかも分からなかったのだから、どういう原理で付けたかも分からないのは当然であって、それで、それで。
羞恥心から涙が湧いて、思わず男と白熊を睨みつけた。シーツに包まり、泣きながら男を睨む私の何と間抜けなことだろう。
ぐすん、と鼻をすすれば、白熊が気づかわしげに口を開いた。
「あー……おれ、熊のメスしか興味ないから!大丈夫!」
人間の裸とか見慣れてるし!そう続けた白熊に、益々恥ずかしくなって、私は顔を抑えシーツの中で蹲る他なかった。