潜水艦は風を受け帆を膨らませる。髑髏が笑う潜水艦、ポーラータング号は海上にて、白く泡立つ波をかき分けながらその身を前進させていた。
 水のはけた甲板にはニュース・クーを初めとした長距離飛行が可能な鳥達が集い、その中心で天使が布を広げオルゴールのおもちゃのようにくるくると回っている。
 鳥達は空を行き交いたまに天使へと顔を擦り寄せては何とも楽しそうに鳴いた。
 
 船室から甲板へ繋がる扉には長身の男性が二人。
 この船の持ち主、ローとそのクルーであるペンギンが連れ立ちその様子をしみじみと眺めていた。

「何をしてんだ、アレは」
「何でもお裾分けを貰ってるんだとか」

 ローの問いに答えたのはペンギンだった。いつもの様にPENGUINと書かれた帽子を目深に被り、ローと同じく甲板を――正確には甲板で踊るように鳥と戯れる天使を――見ている。
 天使はベポが与えたぶかぶかのTシャツをワンピースの様に着こなし、素足のまま背伸びをしては、ワタリドリからのお裾分けと称した貢ぎ物をシーツで受け取っていた。

 背中から伸びる白い双翼は悠々と広がり、天使が身体を動かすたびにそれを補助し、バランスを取るためゆらゆらと動いた。突風が吹いても、船が波に揺れても、髪を靡かせ楽しそうに踊る彼女はまさしく万人の想像にある”天使”の姿に違いない。
 船は次の島へと向かっている。グランドラインに見合わぬ温和な海域は、ロー達につかの間の休息を与えるかのようだった。

「なまえ〜、洗濯物持ってきたよ〜!」

 ローとペンギンの後ろからベポが大量の洗濯物を持って顔を出す。船室から持ってきたらしい布の山は、自分たちの服やタオル、またベッドのシーツ等様々で、ベポの更に後ろには器用に籠を咥えるアンの姿もあった。
 天使が振り向いて、ロー達を視界に入れる。すると、先ほどまで浮かんでいた表情が不思議と消えてしまうのだから、彼女がどれだけこの船で心を固くしているのか嫌でも察せてしまう。

 それに気が付いているのかいないのか。ベポは明るく天使に向かって手を振った。その動作で手から滑り落ちた誰かのTシャツをアンが空中でキャッチしては文句を言うように鳴く。

「ふふ、アン、ベポ、ありがとう」

 天使は獣と会話をすると、駆け寄るベポの手からシーツを一枚取り上げそれをふわりと広げた。

「汚さないようにね。皆、ありがとう」

 シーツの端を鳥達がそれぞれ咥えて、空を舞った。まるで大きな白い布がそのまま風に攫われるように宙を飛び、代わる代わるの鳥たちがシーツを空へと運んでいく。風に流されるように、けれどそのまま飛んでは行かず、ポーラータング号の上空を行ったり来たりしている。
 まるで空を魚が泳ぐかのように、ひらひらとシーツが、タオルが、服が、鳥たちに空へと連れていかれた。この三日ですっかり見慣れた光景だった。

「いやァ、何度見ても、壮観ですね」
「あァ……俺の船を鳥のフンだらけにしたらまとめて焼き鳥にしてやると思っていたが、鳥にしては賢いな」
「もーキャプテン、そんなこと言うから天使ちゃんに未だ距離取られるんですよ」
「……」

 天使の横で空を見上げ、歓声を上げるベポの声が甲板に響く。ぬるい潮風に包まれているが、天気は快晴。天使が乗ってからの航海は何かを勘ぐってしまいそうなほど順調だった。こうして呑気に洗濯をしていられるのがその証拠。天使の獣は大きなあくびを一つして、彼女の足元で丸くなっている。

 ローもベポと同じく、空をくるくると回る洗濯物を見上げた。明るい日差しに照らされて、鳥達も洗濯物も、妙に輝いて見えた。

 *

「今日は鳥達に貰った果物がデザートでついてますので、沢山食べてくださいね」

 天使は服と同じくぶかぶかのサンダルを足にそう言った。足元をふわふわと舞う獣は、彼女の手ずから果物を得ているようで、こんな時ばかり甘えたように鳴く。それに天使は苦笑いしつつ、決して俺達には見せない表情で果物の皮を剥いた。
 
「わーい!天使ちゃん、デザート何ー?」
「シャチさん。今日は昨日よりも鳥達が張り切っちゃったみたいで、夏島の果物です。足が早いから早く食べちゃわないとですね」
「おっしゃ、天使ちゃんのお陰で飯には困んないな!」
「鳥達の好意を頂いているだけなんですけどね……ふふ。でも、お力になっているなら良かったです」

 口元をひきつらせたように笑うその姿も見慣れたもので、彼女は笑みを作るのが尚更下手だった。
 仮面のようなその表情は、彼女の連れている獣やベポ、野生の鳥達には上手く溶き解れるのに、ロー達の前ではいつだって硬い。

 それに対して、別に思うことは、無い。彼女の行動を見れば分かることだ。
 一人では船内に入らない。主だった時間は甲板で鳥達と過ごす。食事は必ず自分で作り、誰かの作ったものは遠慮という拒絶で決して口にしない。けれど、ベポの用意した物ならば、アンが毒味を買って出て、それから控え目な量を口にする。

 天使は人間を警戒している。
 出会いが出会いだっただけに納得出来るものがあった。そしてこのグランドラインでは、天使がそうなるだけの理由なんて山ほどある。
 特に、彼女のように目を引く存在であればなおさら。

 シャチは天使に笑い返して、彼女の頭を軽く撫でてから、ついでにアンへと手を伸ばし唸られ去っていった。人に懐かない獣、自称獣の王様も天使と同じくベポ以外には辛辣な態度をとっている。

 けれど、彼女の膝で果物を齧る姿はどうにも天使と似通った雰囲気を持っていた。
 要するにロー達アウトローから見れば、彼らはどうしようもなく、ただの一般人と子犬にしか見えないということだ。

 シャチと入れ替わるようにローが近付くと、アンは分かりやすく嫌な顔をしてベポの元へとふわふわと蝶のように舞って去る。それを二度見するようにして目で追う天使も、ローの視線から逃げ出したい、と雰囲気だけで物語っていた。

「天使屋」
「……は、はい」

 どうしてこうも怯えられているのか。ローにはまるで理解できない。確かに天使の連れている獣の首は刎ねたが、殺してはいないし、むしろその後天使を治療してやっているのは自分だ。何ならこの女の毎日の検診を行ってやってもいる。
 勿論、ローも親切心だけではなく彼女のカルテを取り研究に使っているけれど、それでも此処まで警戒されるだけのことはした覚えがなかった。

 まぁいい。声に出さずに脳内で呟いて、怯えるようにこちらを伺う天使の手から果物を受けとり続けた。

「今日もこの後俺の部屋だ」
「うっ……あの、その、私、もう大丈夫ですので」
「大丈夫?」

 天使の額へ指先を当てる。スキャンするまでもなく、彼女の体温は高かった。原因は不明だが、必ず夕食が終わると彼女は熱を出す。昼間に動き回る分体調を崩すのを意図的に夜に回しているような所感だ。

「どう考えても、今日も熱が出ている」
「あ、あの……これ、いつものことなんです」
「その言い訳は聞き飽きた。それが終わったら来い」
「でも、その、悪いですし……」
「悪い? 悪いと思っているなら医者の言うことは聞け」

 そう言えばいつもの様に天使は黙り込んだ。背後で「キャプテンってツンデレだよなァ」とぼそぼそと話しているシャチの頭目掛けて持っていた果物を投げつける。食堂は静かになった。

「あ、あの、本当に、これ以上は返せなくなってしまいます」

 シーンとした食堂に天使の小さな声が通る。果物の皮むきを止め、俯いた彼女の顔は不自然に青い。心なしかその背にある翼も委縮していた。

「私が返せるものなんて、本当に無いんです」

 本当に、表情は変わらない。けれどその声色と動きで、彼女の感情が手に取るように分かる。それはきっとローだけではない。この場に居る天使以外の全員が、彼女の戸惑いを感じ取っていた。

 どうにしたってローには関係の無いことだ。
 天使屋は患者。なら、医者である自分は彼女の治療を行う。治療法の無い難病?体質?むしろ良い症例だ。最早彼女の体調管理は彼のルーチンワークになりつつある。彼女が嫌がったとしても、ローの関与する事ではない。

「だから何だ。俺は医者だ」
「私を治療しても貴方の得にはなりません!」
「うるせェ」

 小柄な天使の小さい頭を鷲掴み、いつか自分がされたように撫でてやる。撫でるというよりは揺するという方が正しいけれど、これが彼にとっての”撫でる”だった。「あ、ちょ、や、イタタタ」と鳴く天使屋を開放して果物を齧りつつ離れる。

「良いか、終わったら来い」
 
 最後に釘を刺して、ローは食堂を後にした。残された天使は目を回していたそうだけれど、それもまた、ローには関係の無いことなのであった。
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