7
ハートの海賊団にお世話になって五日が経った。これを短いと思うか長いと思うか、人によっては異なるが、私とアンにとっては非常に……非常に長い滞在だった。
アンの頭を撫でてため息をつく。次の島まであとどれくらいなのだろう。早くこの船を降りてしまいたい。けれど、まだ受け取った恩を返し切れていないこともあって、私は二の足を踏んでいた。
「私の頭に辛気臭い息をかけるな」
「うう、だって……」
「だってぇ、ではない。私達を阻める壁など無いのだから、そんな顔をするくらいなら鳥と共に去ればよいだろう」
「そ、れは。……アンだって、一宿一飯の恩はあるでしょう」
「私は余るほど食料を狩っている」
アンの発言は真実で、昨日の夕飯だってアンの狩ってきた海獣だ。一人で捌くことは出来ず、ベポやシャチさんに手伝ってもらって何とか解体したのは記憶に新しい。
もだもだとアンの頭に角を作るよう毛を整えていると、今度はアンが鼻息荒くため息をつく。
「フー。 そんなに気になるのなら、伝えに行けばよいだろう」
う。その言葉に、私はピタリと動きを止める。そう。伝えればよいのだ。彼に。噂の結末を。
「……良いの?」
「なぜ私が決めるのだ」
面倒くさそうに……事実面倒なのだろう、アンはそう言い、私の手から逃れ頭を振った。
元々ローさん達ハートの海賊団が私を助けてくれたのは、”天使の噂”なるものを聞いたから。彼は噂を完全なる嘘だと思ったようだけれど、全てが全て嘘かと言えば、そうではない。
私達には、神の恩恵があるのだ。
「アンにも迷惑とか……」
「かかると言ったら、ずっとこの船に乗るのか?」
「……それは、乗れないけど」
私達は天使の居た島へ行く。そして、コルボ山に帰る。それが今の私の目的。アンはそんな私を助けてくれる、神より遣わされた相棒。
であるならばやはり、このままこの船にお世話になり続けるわけにはいかない。
「早く行け。この私がいるのだ、今後のことはどうにでもなる」
「……うん、ありがとう、アン」
アンをもう一度撫でてから、狭い船室を抜け、ベポの部屋の前を通り過ぎる。潮の匂いが濃い船内を進むと、丸い窓から覗く暗い海が見えた。この船は今、水中を進んでいた。
自らの顔が映ったそれに近づいて、水面に手を当てるように窓ガラスへ手を伸ばす。ひやりとした冷たさが脈を冷やした。ガラスに映る私は無表情で、幼い。
あの日からもう幾年と経っているけれど、私の身長はもうしばらく伸びていない。まだ十四歳なのだからもう少しは伸びるかもしれないが、それでももうサボやエースには勝てないだろう。十歳のルフィには負けていないと思うけれど、どうかな。
修道服を着ていない自分はこうも幼いのか、と他人事のように考えてから、修道服を着ていたとしても、自身が大人になったことなど無いと自嘲する。
この船の人は良い人ばかりだ。海賊だから、そりゃあ略奪だって、殺人だって、したことが無いとは言わないだろう。
でもベポは私と友達になろうと言ってくれた。アンが唸ろうが噛みつこうが、彼に理不尽な暴力を振るう人間も居なかった。……アンに関しては、少しばかり喧嘩になっていた気もするけれど。
息を吐けばガラスが白く曇って外が見えなくなる。分厚いガラスの向こう側で、巨大な魚の目玉が光った気がして窓から離れた。
「天使屋、お前は身体を冷やすなと何度言えば覚える?」
「ローさん」
後ろからかけられた声に驚いて振り向く。そんなに長いこと外を見てしまっていただろうか。海の中を潜航している間この船は室温が下がる。薄手のTシャツしか身に纏ってはいないけれど、翼のお陰ですっかり冷えを忘れていた。
すっかり主治医のようなポジションに落ち着こうとしているこの恐ろしくも親切な海賊は、私の顔をジロりと睨むと背を向けた。
「行くぞ」
言われた通り物静かな船内を彼の背を追い歩く。会話は無い。毎度のことだった。
ローさんは数分も歩かないすぐそばの扉をノックも無しに開けると私を招きいれた。彼の部屋でもなく、ベポの居る測量室でもなく、私の部屋でもなく。そこは私がいつもお世話になっている、検査のための部屋だった。
簡単な診療室と言っても良いそこはすっかり私に馴染み深いもので消毒薬の匂いがふわりと鼻腔を擽る。
「で?」
「お礼を言いに、ローさんの部屋に行こうと思って」
「礼だと?」
背もたれのある椅子に腰かけたローさんの向かい側、簡素な丸椅子に腰かけて、私は頷いた。
彼も薄々気が付いてたのかもしれない。私達がこの船を降りようとしていることに。
「噂を……”天使の噂”を、聞いたんですよね」
「あぁ。だがカミサマなぞ俺は信じちゃいねェ」
「私達の神様は、私達だけの信仰ですから、構いません」
サイドテーブルに右肘をつけ、頬杖にしたローさんは話の続きを促すように足を組んだ。話を聞く体制にしては随分と横柄なようにも見えるけれど、少ない時間ではあるが彼らと過ごした私にはそれで十分だった。
「結論から言います。死者を蘇らせーー」
【敵襲!!!敵襲ー!! 前からうちと同じく潜水艦二隻!! 魚雷反応有り!】
ガタンと船室が揺れるのと、船室のスピーカーが吠えるのは同時だった。
『なまえ!戻れ!』
「チッ!!天使屋、話は後だ! お前は部屋に戻れ、いいな」
続けて間髪入れずアンの声とローさんの声が鼓膜を揺らす。悲鳴を上げることも出来ず私は近くのテーブルにしがみつくと、足早に部屋を出るローさんの背中を目で追った。
片手に刀を持ち長い足が扉を蹴とばすように開ける。胸の奥から聞こえるアンの呼び声が大きくなって、より焦燥感が私を急かした。
「ロー、さん!」
「なんだ!?」
「……どうか、気をつけて」
振り返った彼の眼差しは鋭い。私の言葉にぐっと眉間に皺を寄せ、彼は返事をせずに去った。
「神よ、……、ローさんが、怪我をしませんように」
ふ、と心が軽くなった気がして息を付く。アンの怒声にも近い声に『今戻る!』と告げれば、『返事が遅いこの間抜け!』と更に怒鳴られた。ローさんの足取りを追うようにして部屋を出る。
ドン!!
大きな音がして、船が大きく揺れた。何とか走るが、地響きのように足から伝わる揺れに身体をまともに前へと勧められない。狭い室内ではやりたくなかった、けど、早く戻らなくては。
翼を小さくはためかせて、スキップするように床を蹴る。滑空する燕の様に身体を低く、並行にすれば、弾丸のように身体が前に進んだ。
『アン、部屋の中!?』
『そうだ。早く戻れ!……!チッ、船が浮上するぞ。なまえ、衝撃に備えろ!』
『っはい!』
真っすぐな廊下を飛ぶというよりはジャンプして進み、アンの言葉に合わせて急ブレーキ。両足を突っ張らせてすぐその場でしゃがみ込む。ついですぐ、胃の腑が持ち上げられるような感覚と共に、潜水艦の気圧が引き下げられた。
身体が膨張するような感覚をぐっと飲み込み呼吸を整える。神よ、と口の中で言葉を転がせば、脆い気泡がぶくぶくと泡立つのを胸に、私は再び駆け出した。
『全船浮上「敵船二隻「損傷軽微「怪我人「心音「命に別状無し「アンの元へお戻り「敵数六十一「五十八「五十人「賞金稼ぎ「次の島までおおよそ二日「晴天「南風「金品目当て』
勢いよく暴れ出る情報群を逃さぬよう、けれどなるべく速度は落とさず宙を駆ける。私達に宛がわれた部屋の扉はすぐそこだった。
勢い良く開けようしたところで、曲がり角から耳慣れない鉄の音。
最早慣れてしまった鉄錆の匂いを僅かに感じて後ろに飛び退いた。
「おぉん?なぁんだよぉ、オレたちゃぁハズレ役かと思ったが、こんな役得があるとはなぁ!!」
『アン!五人!』
粗野な男を視界に入れた瞬間、間髪入れずに以心伝神を飛ばす。音を必要としない声は正しくアンに向かい、男と私の間に壁を作るようにドアが吹き飛ばされた。
獣の唸り声。慣れたくもなかった荒事の気配に、 私はそっと両手の指を組んだ。
前へ | 次へ
アンの頭を撫でてため息をつく。次の島まであとどれくらいなのだろう。早くこの船を降りてしまいたい。けれど、まだ受け取った恩を返し切れていないこともあって、私は二の足を踏んでいた。
「私の頭に辛気臭い息をかけるな」
「うう、だって……」
「だってぇ、ではない。私達を阻める壁など無いのだから、そんな顔をするくらいなら鳥と共に去ればよいだろう」
「そ、れは。……アンだって、一宿一飯の恩はあるでしょう」
「私は余るほど食料を狩っている」
アンの発言は真実で、昨日の夕飯だってアンの狩ってきた海獣だ。一人で捌くことは出来ず、ベポやシャチさんに手伝ってもらって何とか解体したのは記憶に新しい。
もだもだとアンの頭に角を作るよう毛を整えていると、今度はアンが鼻息荒くため息をつく。
「フー。 そんなに気になるのなら、伝えに行けばよいだろう」
う。その言葉に、私はピタリと動きを止める。そう。伝えればよいのだ。彼に。噂の結末を。
「……良いの?」
「なぜ私が決めるのだ」
面倒くさそうに……事実面倒なのだろう、アンはそう言い、私の手から逃れ頭を振った。
元々ローさん達ハートの海賊団が私を助けてくれたのは、”天使の噂”なるものを聞いたから。彼は噂を完全なる嘘だと思ったようだけれど、全てが全て嘘かと言えば、そうではない。
私達には、神の恩恵があるのだ。
「アンにも迷惑とか……」
「かかると言ったら、ずっとこの船に乗るのか?」
「……それは、乗れないけど」
私達は天使の居た島へ行く。そして、コルボ山に帰る。それが今の私の目的。アンはそんな私を助けてくれる、神より遣わされた相棒。
であるならばやはり、このままこの船にお世話になり続けるわけにはいかない。
「早く行け。この私がいるのだ、今後のことはどうにでもなる」
「……うん、ありがとう、アン」
アンをもう一度撫でてから、狭い船室を抜け、ベポの部屋の前を通り過ぎる。潮の匂いが濃い船内を進むと、丸い窓から覗く暗い海が見えた。この船は今、水中を進んでいた。
自らの顔が映ったそれに近づいて、水面に手を当てるように窓ガラスへ手を伸ばす。ひやりとした冷たさが脈を冷やした。ガラスに映る私は無表情で、幼い。
あの日からもう幾年と経っているけれど、私の身長はもうしばらく伸びていない。まだ十四歳なのだからもう少しは伸びるかもしれないが、それでももうサボやエースには勝てないだろう。十歳のルフィには負けていないと思うけれど、どうかな。
修道服を着ていない自分はこうも幼いのか、と他人事のように考えてから、修道服を着ていたとしても、自身が大人になったことなど無いと自嘲する。
この船の人は良い人ばかりだ。海賊だから、そりゃあ略奪だって、殺人だって、したことが無いとは言わないだろう。
でもベポは私と友達になろうと言ってくれた。アンが唸ろうが噛みつこうが、彼に理不尽な暴力を振るう人間も居なかった。……アンに関しては、少しばかり喧嘩になっていた気もするけれど。
息を吐けばガラスが白く曇って外が見えなくなる。分厚いガラスの向こう側で、巨大な魚の目玉が光った気がして窓から離れた。
「天使屋、お前は身体を冷やすなと何度言えば覚える?」
「ローさん」
後ろからかけられた声に驚いて振り向く。そんなに長いこと外を見てしまっていただろうか。海の中を潜航している間この船は室温が下がる。薄手のTシャツしか身に纏ってはいないけれど、翼のお陰ですっかり冷えを忘れていた。
すっかり主治医のようなポジションに落ち着こうとしているこの恐ろしくも親切な海賊は、私の顔をジロりと睨むと背を向けた。
「行くぞ」
言われた通り物静かな船内を彼の背を追い歩く。会話は無い。毎度のことだった。
ローさんは数分も歩かないすぐそばの扉をノックも無しに開けると私を招きいれた。彼の部屋でもなく、ベポの居る測量室でもなく、私の部屋でもなく。そこは私がいつもお世話になっている、検査のための部屋だった。
簡単な診療室と言っても良いそこはすっかり私に馴染み深いもので消毒薬の匂いがふわりと鼻腔を擽る。
「で?」
「お礼を言いに、ローさんの部屋に行こうと思って」
「礼だと?」
背もたれのある椅子に腰かけたローさんの向かい側、簡素な丸椅子に腰かけて、私は頷いた。
彼も薄々気が付いてたのかもしれない。私達がこの船を降りようとしていることに。
「噂を……”天使の噂”を、聞いたんですよね」
「あぁ。だがカミサマなぞ俺は信じちゃいねェ」
「私達の神様は、私達だけの信仰ですから、構いません」
サイドテーブルに右肘をつけ、頬杖にしたローさんは話の続きを促すように足を組んだ。話を聞く体制にしては随分と横柄なようにも見えるけれど、少ない時間ではあるが彼らと過ごした私にはそれで十分だった。
「結論から言います。死者を蘇らせーー」
【敵襲!!!敵襲ー!! 前からうちと同じく潜水艦二隻!! 魚雷反応有り!】
ガタンと船室が揺れるのと、船室のスピーカーが吠えるのは同時だった。
『なまえ!戻れ!』
「チッ!!天使屋、話は後だ! お前は部屋に戻れ、いいな」
続けて間髪入れずアンの声とローさんの声が鼓膜を揺らす。悲鳴を上げることも出来ず私は近くのテーブルにしがみつくと、足早に部屋を出るローさんの背中を目で追った。
片手に刀を持ち長い足が扉を蹴とばすように開ける。胸の奥から聞こえるアンの呼び声が大きくなって、より焦燥感が私を急かした。
「ロー、さん!」
「なんだ!?」
「……どうか、気をつけて」
振り返った彼の眼差しは鋭い。私の言葉にぐっと眉間に皺を寄せ、彼は返事をせずに去った。
「神よ、……、ローさんが、怪我をしませんように」
ふ、と心が軽くなった気がして息を付く。アンの怒声にも近い声に『今戻る!』と告げれば、『返事が遅いこの間抜け!』と更に怒鳴られた。ローさんの足取りを追うようにして部屋を出る。
ドン!!
大きな音がして、船が大きく揺れた。何とか走るが、地響きのように足から伝わる揺れに身体をまともに前へと勧められない。狭い室内ではやりたくなかった、けど、早く戻らなくては。
翼を小さくはためかせて、スキップするように床を蹴る。滑空する燕の様に身体を低く、並行にすれば、弾丸のように身体が前に進んだ。
『アン、部屋の中!?』
『そうだ。早く戻れ!……!チッ、船が浮上するぞ。なまえ、衝撃に備えろ!』
『っはい!』
真っすぐな廊下を飛ぶというよりはジャンプして進み、アンの言葉に合わせて急ブレーキ。両足を突っ張らせてすぐその場でしゃがみ込む。ついですぐ、胃の腑が持ち上げられるような感覚と共に、潜水艦の気圧が引き下げられた。
身体が膨張するような感覚をぐっと飲み込み呼吸を整える。神よ、と口の中で言葉を転がせば、脆い気泡がぶくぶくと泡立つのを胸に、私は再び駆け出した。
『全船浮上「敵船二隻「損傷軽微「怪我人「心音「命に別状無し「アンの元へお戻り「敵数六十一「五十八「五十人「賞金稼ぎ「次の島までおおよそ二日「晴天「南風「金品目当て』
勢いよく暴れ出る情報群を逃さぬよう、けれどなるべく速度は落とさず宙を駆ける。私達に宛がわれた部屋の扉はすぐそこだった。
勢い良く開けようしたところで、曲がり角から耳慣れない鉄の音。
最早慣れてしまった鉄錆の匂いを僅かに感じて後ろに飛び退いた。
「おぉん?なぁんだよぉ、オレたちゃぁハズレ役かと思ったが、こんな役得があるとはなぁ!!」
『アン!五人!』
粗野な男を視界に入れた瞬間、間髪入れずに以心伝神を飛ばす。音を必要としない声は正しくアンに向かい、男と私の間に壁を作るようにドアが吹き飛ばされた。
獣の唸り声。慣れたくもなかった荒事の気配に、 私はそっと両手の指を組んだ。