嵐を先導するようにしてポーラータング号は海を進んだ。まだまだ風は強いけれど、むしろそれが追い風となって船は踊るように足を速める。ついさっき襲撃にあったとは思えない程、その船行はおおよそ順調と言えた。


 ローさんを船室に運んだ(実際運んだのはベポ)後、自分に当てがわれたシーツを持ってローさんを包み、食堂でお湯を沸かしてはローさんへと飲み物を持って行き、出来る事が無くなればおろおろとローさんの部屋の前をうろついていた私にツッコミという名の蹴りをかましたのはアンだった。

「お、ま、え、も、大人しくしてろ!!」
「うぇっ!?け、蹴らなくても……」

 当然手加減はされているだろう彼のドロップキックに飛ばされ、私は壁にぶつけた頭を手のひらで抑える。シャチさんやペンギンさんは苦笑いしつつローさんから指示を受けて去っていってしまった。ベポくんは操舵室に付きっ切り。
 ローさんの部屋の前の廊下で、アンは皺だらけの鼻先を私に向け唸る。

「良いか、あいつは海にちょこっと浸かっただけ。ぐったりして見えるのは能力者だからだ! 自覚は無いのかもしれんが、お前の方が悪化しつつあるのだぞこの間抜け!」
「で、でも……」
「いつまで人の部屋の前で騒いでんだお前らは……」

 おもむろに扉を開き、壁に寄りかかって此方を見下ろしたのはローさんだった。暖かそうな黒い服に身を包んだ彼の姿は、普段被っている帽子が外され、前髪が降りている分何処か幼く見える。

「ローさん!大丈夫ですか?」
「チッ」
「何で舌打ちで返事するんですか!?」

 その恐ろしい形相に近くを飛んでいたアンを抱きしめた。アンは相変わらず、何故かローさんのことは苦手らしく渋い顔をしている。けれど腕の中で暴れる様子も無い。
 ローさんは無言で私の顔を見ると、そっと此方へ手を伸ばした。
 何となくそれを見守っていれば、彼の手が私の顔に近づいたところでアンがガブリ、と彼の腕に噛みつく。

 間。

「……えっ!?な、なんで!?」
「天使屋ァ……てめェ自分の犬の躾も出来ねェのか」
「え、あ、え?ご、ごめんなさい?あ、アン?なんで?噛んじゃダメだって、ちょ、ちょっと?」

 困惑する私をよそに見つめあう……睨みあうアンとローさん。アンの身体を揺すってみるけれど、ガブリと噛んだ腕はすっぽんのように離れない。距離を取ろうとローさんから一歩離れれば、何故かローさんまで一歩足を進めて距離を詰めてくる。

「なんでローさんも近づいてくるんですか!?」
「……」
「えっ、無言!?なに?なんですかこの空間!?アンも噛むのやめて!?」

 翼に壁が辺り、地肌の見えている背中に冷たい感触がくっついた。ローさんの後ろに扉が開いたままの部屋が見える。壁際に追い詰められた形になった私は困惑を隠さず彼を見上げた。未だ伸ばされた右腕はアンが噛みついているし、頭上からローさんの頭が覆いかぶさるように落ちてくる。
 何がしたいのか本当に分からない。ローさんの顔が近づくたびに唸るアンも本気で噛んではいないのだろうけれど、なんとも不思議な膠着が廊下に繰り広げられていた。腕、痛くないのだろうか。

「あ、の……?」

 私は翼が傷まない様広げて、身体を逸らすように壁へと重心を預けた。ローさんは噛まれていないほうの左手を軽く浮かせると、唇だけを動かし「ROOM……シャンブルズ」と呟く。最早見慣れ始めた青いサークルが私達を覆ったかと思えば、腕の中が軽くなった。視線を落とすと、何故かタオルが一枚私の腕にぺらりと引っかかっている。
 ……えっ。

 何が起きたのか分からなくて、私が顔を上げたのと同時にアンの声とローさんの声がだぶった。

『あっっの人間風情がぁぁぁあ!!』
「これで邪魔は居なくなったな」
「え、え、ええ……?」

 怒りの渦に身を投げたアンの声が胸の内に響く。どうやら近くの空中に移動させられたらしいアンは怒りつつもも此方に戻ろうとは思っていないらしく、『なまえ……良いか、そいつと話したら一刻も早くこの船を降りるからな!!ほだされるんじゃァないぞ!この私と二人旅の方が良いとお前も言っていただろう!!』と延々以心伝神チープオラクルを流すだけに留めて居る
 何らかの未来でも計算したのだろうか。神の力が無くたって、アンはある程度の未来を予想することぐらいは出来る。ただし光輪が無いので共有はしてくれないが。

「で?天使屋。お前の話を聞こう」
「……は、話?ですか?」
「ついさっき礼がしたいと言っていただろう」
「あ……はい」

 先ほどの……襲撃前の話だろう。そうだった。今はアンのことは良い。……話を聞く、とは言ったものの、ローさんは相変わらず私を壁に追い込んで、頭上から覆いかぶさるようにして私の顔を覗き込んでいる。
 帽子が無いのと、今までこんなに彼に近づいたことも無いので、ついまじまじと彼の顔を見上げれば、何故かローさんは眉間に皺を寄せ酸っぱいものを食べたかのような顔をした。

 そして先ほどと同じように右腕を伸ばすと、私の額に指先を当てる。
 彼は体温計を用いなくても人の体温が測れるのだろうか。それも指先だけで。
 触れられるがままになっていれば、額の手は頬へ移り、顎へ、首元まで来て、そっと私の首筋へ二本の指が添えられる。耳の下程で切り揃えられた髪が揺れ、首もとを擽った。
 脈でも測っているのだろうと思って顎を少し上げれば、ローさんはより複雑そうな顔をして私を見降ろし、口を開いた。

「……熱があるな」
「お気づきかと思うんですけど……いつものことです」

 彼の指はどちらかというと冷たい。海に落ちたのが原因かとも思って、私も彼に倣うように右手を伸ばした。
 ローさんの額へと手のひらをくっつける。避けられるかと思ったけれど、ローさんは片眉を上げるだけで逃げようとはしなかった。

「お前、気づいてるか?」
「何がですか?」

 代わりとでも言うように発せられた言葉の意味が分からなくて聞き返す。ローさんはしっとりとため息をついて、「ならいい」と首を横に振った。
 
「あの、体調が良くないのでしたら、部屋に……」
「はァ……チッ。お前本当にそれでよく生き残ってこれたな」
「ええ? これでも一応、三年程海を渡っているのですけれど」

 ちなみに二年間は能力の訓練である島から離れてはいないので、実際海を渡ったのは一年だが私は意味もなく見栄をはった。

 なるほど、犬の過保護にも納得が行く。ローさんはそう続けて、私を囲うように壁に肘をついた。圧迫感が凄い。私の頭の横に両腕が来て、頭上にはローさんの顔。あと一歩彼が前に進めば身体が密着するだろう。
 「え、あの、え?」困惑気に見上げるが彼はジッと此方を見下ろすだけで、それ以上何も言おうとはしない。

 話をするとは何だったのか。けれど彼の胸を押しのけることも出来なくて、私は彼の額からパッと手を降ろし、服の胸元を両手で掴んだ。何がしたいのかさっぱり分からないけれど、何か、私は良くないことをしてしまっただろうか。
 
「……」
「……」
「……」

 蛇と蛙のように見つめあうローさんと私。どちらがどちらかは推して知るべし、というやつだ。
 無言が不安に変わり、眉が下がっていくのが自分でも分かる。私はどうしたらいいのか。これは、話を待たれているのだろうか。

「あの……」
「何だ」

 いや「何だ」じゃなくて。そう告げられたならどれだけ良いか。ローさんの表情は陰で見えづらいけれど、相変わらずの無表情と言っていい。

「あの、お話なら、部屋に……いやもう廊下でも良いんですけど、その、少し近いかなって」
「……それで?」
「そ、それで? えっと、……離れて貰っていいですか?」

 本当に何がしたいのかこの男。今まで関わっていた男の子と言えばサボやエースにルフィと、自分より身長の小さな弟達ばかりだったので、尚更彼の意図が読めなかった。
 ローさんは私の言葉に少し考えこむと、本当に少しだけ身体を離す。
 そして私の頬に右手を添えたかと思えば、そっと顎を抑えて顔を持ち上げた。

「んっ」

 大きな手のひらは私の顔よりも広く、喉仏が晒されるように上を向かせられる。
 訳が分からないまま彼の思うようにさせているけれど、抵抗した方がいいのかすらも分からない。せめて何をしたいのか言ってくれれば私ももう少し安心出来るのだが、伺うようにローさんへ目線をやっても、自己完結しているのか彼は確かめるように私を見降ろすだけだ。

「……はァ」
「え、えぇ……?」

 そしてローさんはため息をつくと、手を離し、身体を反転させた。ええ……?何?何かに呆れられたような気配はするけれど、何に呆れられたのかさっぱり分からない。
 部屋の中に入っていく背中を追いかければ、中は廊下に比べてほのかに暖かかった。

「座れ」
「ローさんってマイペースですよね」
「お前にだけは言われたくねェ」
「か、頑な……」

 顎で指し示された椅子に座り、ベッドに腰かけて此方を見やるローさんへ視線を向ける。
 先ほどは近すぎて分からなかったが彼の視線はどうにも私の髪にあるようだった。

「もしかして、髪のこと、気にしてますか?」
「……部屋に居ろと言っただろう」
「(否定しない……)はい、すいませんでした」
「で? 礼とやらの話は何だったんだ」

 ローさんの意外な一面に目をパチクリと瞬かせる。自分では今どうなっているのか分からないが、そこまで気にされる程ざっくばらんになってしまっているのだろうか。
 軽くなった頭に触れつつ、私は話を戻すべく神妙に両手を膝に乗せた。

「死者の蘇生についてです」






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