11
冷たく鋭利な鉄の線が部屋中を走るようだった。下手な動きをすれば皮膚を持って行かれてしまいそうな空気の中、私は自らの肺を冷やすように息を吸って、彼もまた、同じようにそうした。
「……出来るのか」
「条件が、合えば」
見開いた目の中に私の顔が映っている。淡い黄金色の中で私は緊張したように短い髪を揺らしていた。おおよそ百六十センチほどの身長で、体型は細身。胸元を握って椅子に座っている姿は背中に翼さえなければ町娘と変わらない。
そんな私が死者の蘇生などという世の中のルールを、摂理を破れるとは到底信じられない。そう言うように、彼の眼は徐々に細まり私を睨んだ。
彼の視線に負けないように目を逸らさず、私は口を開いた。
**
たかが五日。されど五日。なまえがハートの海賊団に情を移すには十分すぎる時間だった。
「あれ、アン。起きてるのに一人なんて珍しいね」
「ベポか。なまえなら医者のところだ」
「また検査?びしょ濡れだったもんな。なまえってやっぱり身体弱いんだなァ」
アンは「そうだな」と一鳴きして操舵室の隅のソファに降り立ち身体を落ちつけた。ベポも他のクルーも気にした様子無く、彼の動きに文句をつけるものもいない。アンの姿が明らかに子供だからというのもあるのだろうが、どうにも緊張感が足りないのではないか。決して口に出すつもりは無いけれど、アンは海図を広げるベポの背中を見て、目を瞑った。
一人掛け用のソファですらアンには大きい。成人男性が座るように作られているそれは、きっとなまえと一緒に座ったとしてもなお隙間が出来るだろうサイズだった。
アンは器用に自身の翼を上掛けにしてなまえを思う。あの馬鹿は、大丈夫だろうか。絆されてはいないだろうか。
どうにも性根の甘い少女だ。なまえも、私のように獣の姿であれば良かっただろうに。そうすれば意味の無いジレンマにも惑わされなくて済む。
いっそそうなりたいと本人が思い、神に祈ってくれたなら。そうして神がそれを叶えてくれたなら、きっと――。
そこまで考えてアンは自嘲した。何を意味の無いことを。神がそれを許すはずがない。
なまえの姿を思い描けばいつだって彼女は二本の足で楽し気にステップを踏み、鳥たちに手を伸ばしては笑っている。それで良い。それが良い。そのための私だ。
ベポ達が次の島の情報をアレコレ話しているのを耳に入れながらアンはなまえへの思考を打ち切った。
内乱が起きている島か。巻き込まれないといいが……。
***
「ーーなるほどな」
「はい。ローさんが望むのでしたら……」
「いや。良い。その条件には当てはまらねェ」
「…………そうでしたか。お力になれず、すいません」
がっかりと肩を落として視線を戻す。話している最中は決して見れなかったローさんの顔は想像していたよりも呆気ないもので、もとより彼が期待を持っていなかったのではないかと勘違いしそうになる。
けど、そんなわけはない。そんなわけはないのだ。
人を生き返らせたいと藁にもすがる気持ちだっただろう。それこそ噂なんてものを信じて、追いかけて来るような人にに、期待が無い人なぞいない。もしそう見えるのだとすれば、きっと、その落胆を胸の内に隠しているだけだ。肩を落としたいのはきっと彼の方だったろう。
一度上げてから落とす。酷いことをしてしまった。今更に後悔が湧いてくる。彼の表情は変わらないけれど、どうにかその感情を汲み取りたくて見つめれば、彼は自嘲するように笑った。
それからがしがしと自分の頭を掻いて、何故か恥じ入るように私を見つめ返す。
不思議な心地だった。ほんの数日前までは、恐ろしい人間としか見ていなかったのに、今ではもう、彼は私の中で「ローさん」という生き物に変わっている。
「ローさん……その」
「お前……何か勘違いしてねェか。何度でも言うが俺は医者だぞ。死んだ人間が蘇らないのは当然のことだ。そしてもし万が一にでもそれが叶うとした時、思いもよらない対価が必要というのも当然の話だと俺は考えている。むしろそれが無いって方が信じられねェ」
「……はい」
「お前が気に病むことじゃない」
優しい言葉に驚いて瞬く。どうして、そんな。
「気付いて無いんだろうけどな」
ローさんは先ほどの様に私へと手を伸ばす。大きな手のひらは私の顔を鷲掴み出来るほど広く、その指を彩るタトゥーには「死」の文字が。
それは私の視界から外れると、そっと頭の上に乗った。
「お前、いつから俺と二人で室内に入れるようになったんだ」
「……えっ」
その言葉を聞いて、近づいたローさんの顔にある感情がようやくわかった。先ほどの廊下での一件も、何かを確かめるようにしていた動きの理由も。
例えるなら、今まで決して寄ってこなかった野良猫がある日自分に擦り寄るようになった時だろうか。彼は小さな猫を撫でるように私の髪をかき回して、口元だけを歪ませ笑った。
「元より礼なぞ期待してねェ。……怪我した鳥を見つけたから治療した。それだけのことだ」
分かりやすい嘘に私は泣きたくなるようだった。あれだけ頑なに心を許すまいとしていた、私が馬鹿みたいだ。
「ローさん……ありがとう、ございます」
そしてごめんなさい。口には出さず謝罪を込めて目礼する。結局なにもお礼を出来なかった。
彼の手が私から離れ、そして頬に移る。広い手のひらが私の頬を撫でたかと思えば、彼は目を細め何処か遠いところを見るように、私と何かを重ね合わせて、また口元を歪ませた。
「寝ろ、病人」
あの教会でずっと過ごしていたなら、彼のような兄の姿もあったのかもしれないなぁ。いやでも、記憶の中にいる皆は幼すぎて、もうどんな人間になっているかも想像がつかないから、やっぱりこんなに格好良くは無いかも。
「はい」
立ち上がる。扉に手をかけて振り返らない。
窓ガラスの向こうはもう夜で、遠い向こうの地平線が空と海の境を溶かしている。ガラスに映った私は年相応の少女であった。
****
「お面が欲しいなぁ」
「はァ?」
アンってば、ちょっとローさんに似たんじゃない?そう思ったけれど口には出さなかった。制空権は彼の方が上だ。森やジャングルなどの障害物の多いところであれば鬼ごっこにも勝てるだろうけれど、海の真上では純粋な身体捌きの差で彼に勝てるわけもない。
代わりに私は言葉を繰り返す。朝焼けが私達を照らして二人の翼をオレンジ色に染め上げている。
「お面が欲しい。顔を隠せるやつ」
「また突飛なことを……どうしてまた急に」
アンの言葉に私は上手い言葉を返せなかった。自分でもちゃんとした理由が言葉に出来なかったからだ。海から太陽が産まれるのを目を細めて眺めながら口をもごもごとさせる私に、何かを察してくれたのだろうアンはそれ以上聞こうとはせず、ただ私の隣に居た。
冷たい風がびしょ濡れの身体を冷やすけれど、太陽のお陰で寒さは無い。光に向かって飛んでいればいつしか島の大きな影が視界に入って、センチメンタルな気分を押し流すようで。白熊と書かれたTシャツが風に靡いて雫を落とす。これもまた、オレンジ色に染まっていた。
*****
がっくりと肩を落としているベポの頭を鬼哭で小突いてやれば、白熊は大きな頭を持ち上げてローを見た。どこか沈んだクルー達の横を通り過ぎ甲板に出る。そこには沢山の食糧が入った包みが数個と、いつ釣り上げたのかも分からぬ魚が山になっていて、さらに一つの宝箱。どこから持ってきたというのか、中身は年代の古そうな宝飾品や価値があるのかもわからぬフジツボだらけの錆びたガラクタが詰まっていた。
「うっうっう、天使ちゃぁあん……」
「こんな置き土産まで……!!」
「なまえ〜〜!なんでお別れも言わないで行っちゃったんだよぉ!!」
一人の男泣きから感情が伝播して、ベポの悲しみとも落胆とも取れぬ大声が船に響く。比較的冷静に見えるペンギンが持っていた紙切れを手渡してきたのでそれを開けば、中には天使屋が書いたと思われる文字列と、獣の肉球がインク塗れになって紙へ押し付けられている。
中には突然の別れを謝罪する言葉と、感謝。それから鳥達が持ってきたという食料や宝飾品は好きにして欲しいことが書かれていた。
「……鳥がどうやって海の中に潜るんだ、馬鹿が」
「うおおおおおん、てっ、天使ちゃん自ら潜って……!?」
「あんなにちっちぇ身体で海に……!!」
「いや待てもしかして上がってこれてないんじゃないか!?」
「落ち着けお前ら。海の中に居るなら手紙なんぞ書けねェだろ」
今にも船から降りようとするクルーを言葉だけで止めつつローは船首へと足を進める。太陽は登り切って、風も穏やか。帆の張られたメインマストには自身の作ったジョリーロジャーが掲げられており、膨らんだそれは笑顔を携えている。
「いつまでやってんだ、食料はいつも通り船室に運べ」
「キャプテン冷たい!!」「天使ちゃんが行っちゃったんですよぉ!」「うう、仲間になってくれると思ったのに」「可愛かったよなァ、小動物みたいで」「ああ、可憐な小鳥だった」「キャプテンにも懐き始めてたのに」「可愛がってたのに」
「うるせェ、喚くな!」
口々に文句を言いつつ彼らは食料品を持って船室へと運んでいく。手馴れた動きで中身を仕分けつつ、彼らはぶすくれた顔でローへと視線をやった。責めるような期待するような視線が次々にローへと刺さり、ため息をついた。
「はァ…………俺達は海賊だぞ。次会った時は、海賊らしく欲しいものは手に入れりゃぁ良い」
「えっ!キャプテンそれって……!」
「これだけじゃァ治療費にもならねェし、なにより、治療の途中で逃げ出す患者は縄つけてでもベッドに戻さねェとな」
にやりと笑って小さな宝箱の中身を持ち上げる。どれもこれも、いつの時代にあったものなのかも分からない宝飾品ばかりだ。きっと深い海の底で眠っていたところを無理やり起こされたのだろう。光を失っていない宝石を手に取れば、幾久しい太陽の光を受けて赤くきらめいた。
「やっっったぁ!!キャプテーーン!!早くいこう!次の島!!」
「お前が舵取ってんだろうが」
「そうだった!海図海図!」
「いや海図見ても別に速くはならねぇよ?!」
「良いからシャチも手伝ってくれよ!!」
沸き立つハートの海賊団を引き連れてポーラータング号は進む。
ローは赤い宝石をまた宝箱へと放り投げると、欄干に肘をついて未だ遠い水平線へと顔を向けた。
噂。噂ね。くだらねぇ。
昨夜初めて見た彼女の自然な笑顔を思い出して、彼は笑う。
「天使に微笑まれたものは、幸運を得る、ね」
さて、ではその幸運は天使にも幸運足りえるのか。
彼女目当てに来ていた鳥達が甲板の上をぐるりと回って去っていく。その様子を見てから、ローは未だ騒ぐベポ達の元へ戻るべく振り返った。青い空に鳥達の白い羽が隊列を組んで模様を作り、そしてそれも海の彼方へ消えていった。
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「……出来るのか」
「条件が、合えば」
見開いた目の中に私の顔が映っている。淡い黄金色の中で私は緊張したように短い髪を揺らしていた。おおよそ百六十センチほどの身長で、体型は細身。胸元を握って椅子に座っている姿は背中に翼さえなければ町娘と変わらない。
そんな私が死者の蘇生などという世の中のルールを、摂理を破れるとは到底信じられない。そう言うように、彼の眼は徐々に細まり私を睨んだ。
彼の視線に負けないように目を逸らさず、私は口を開いた。
**
たかが五日。されど五日。なまえがハートの海賊団に情を移すには十分すぎる時間だった。
「あれ、アン。起きてるのに一人なんて珍しいね」
「ベポか。なまえなら医者のところだ」
「また検査?びしょ濡れだったもんな。なまえってやっぱり身体弱いんだなァ」
アンは「そうだな」と一鳴きして操舵室の隅のソファに降り立ち身体を落ちつけた。ベポも他のクルーも気にした様子無く、彼の動きに文句をつけるものもいない。アンの姿が明らかに子供だからというのもあるのだろうが、どうにも緊張感が足りないのではないか。決して口に出すつもりは無いけれど、アンは海図を広げるベポの背中を見て、目を瞑った。
一人掛け用のソファですらアンには大きい。成人男性が座るように作られているそれは、きっとなまえと一緒に座ったとしてもなお隙間が出来るだろうサイズだった。
アンは器用に自身の翼を上掛けにしてなまえを思う。あの馬鹿は、大丈夫だろうか。絆されてはいないだろうか。
どうにも性根の甘い少女だ。なまえも、私のように獣の姿であれば良かっただろうに。そうすれば意味の無いジレンマにも惑わされなくて済む。
いっそそうなりたいと本人が思い、神に祈ってくれたなら。そうして神がそれを叶えてくれたなら、きっと――。
そこまで考えてアンは自嘲した。何を意味の無いことを。神がそれを許すはずがない。
なまえの姿を思い描けばいつだって彼女は二本の足で楽し気にステップを踏み、鳥たちに手を伸ばしては笑っている。それで良い。それが良い。そのための私だ。
ベポ達が次の島の情報をアレコレ話しているのを耳に入れながらアンはなまえへの思考を打ち切った。
内乱が起きている島か。巻き込まれないといいが……。
***
「ーーなるほどな」
「はい。ローさんが望むのでしたら……」
「いや。良い。その条件には当てはまらねェ」
「…………そうでしたか。お力になれず、すいません」
がっかりと肩を落として視線を戻す。話している最中は決して見れなかったローさんの顔は想像していたよりも呆気ないもので、もとより彼が期待を持っていなかったのではないかと勘違いしそうになる。
けど、そんなわけはない。そんなわけはないのだ。
人を生き返らせたいと藁にもすがる気持ちだっただろう。それこそ噂なんてものを信じて、追いかけて来るような人にに、期待が無い人なぞいない。もしそう見えるのだとすれば、きっと、その落胆を胸の内に隠しているだけだ。肩を落としたいのはきっと彼の方だったろう。
一度上げてから落とす。酷いことをしてしまった。今更に後悔が湧いてくる。彼の表情は変わらないけれど、どうにかその感情を汲み取りたくて見つめれば、彼は自嘲するように笑った。
それからがしがしと自分の頭を掻いて、何故か恥じ入るように私を見つめ返す。
不思議な心地だった。ほんの数日前までは、恐ろしい人間としか見ていなかったのに、今ではもう、彼は私の中で「ローさん」という生き物に変わっている。
「ローさん……その」
「お前……何か勘違いしてねェか。何度でも言うが俺は医者だぞ。死んだ人間が蘇らないのは当然のことだ。そしてもし万が一にでもそれが叶うとした時、思いもよらない対価が必要というのも当然の話だと俺は考えている。むしろそれが無いって方が信じられねェ」
「……はい」
「お前が気に病むことじゃない」
優しい言葉に驚いて瞬く。どうして、そんな。
「気付いて無いんだろうけどな」
ローさんは先ほどの様に私へと手を伸ばす。大きな手のひらは私の顔を鷲掴み出来るほど広く、その指を彩るタトゥーには「死」の文字が。
それは私の視界から外れると、そっと頭の上に乗った。
「お前、いつから俺と二人で室内に入れるようになったんだ」
「……えっ」
その言葉を聞いて、近づいたローさんの顔にある感情がようやくわかった。先ほどの廊下での一件も、何かを確かめるようにしていた動きの理由も。
例えるなら、今まで決して寄ってこなかった野良猫がある日自分に擦り寄るようになった時だろうか。彼は小さな猫を撫でるように私の髪をかき回して、口元だけを歪ませ笑った。
「元より礼なぞ期待してねェ。……怪我した鳥を見つけたから治療した。それだけのことだ」
分かりやすい嘘に私は泣きたくなるようだった。あれだけ頑なに心を許すまいとしていた、私が馬鹿みたいだ。
「ローさん……ありがとう、ございます」
そしてごめんなさい。口には出さず謝罪を込めて目礼する。結局なにもお礼を出来なかった。
彼の手が私から離れ、そして頬に移る。広い手のひらが私の頬を撫でたかと思えば、彼は目を細め何処か遠いところを見るように、私と何かを重ね合わせて、また口元を歪ませた。
「寝ろ、病人」
あの教会でずっと過ごしていたなら、彼のような兄の姿もあったのかもしれないなぁ。いやでも、記憶の中にいる皆は幼すぎて、もうどんな人間になっているかも想像がつかないから、やっぱりこんなに格好良くは無いかも。
「はい」
立ち上がる。扉に手をかけて振り返らない。
窓ガラスの向こうはもう夜で、遠い向こうの地平線が空と海の境を溶かしている。ガラスに映った私は年相応の少女であった。
****
「お面が欲しいなぁ」
「はァ?」
アンってば、ちょっとローさんに似たんじゃない?そう思ったけれど口には出さなかった。制空権は彼の方が上だ。森やジャングルなどの障害物の多いところであれば鬼ごっこにも勝てるだろうけれど、海の真上では純粋な身体捌きの差で彼に勝てるわけもない。
代わりに私は言葉を繰り返す。朝焼けが私達を照らして二人の翼をオレンジ色に染め上げている。
「お面が欲しい。顔を隠せるやつ」
「また突飛なことを……どうしてまた急に」
アンの言葉に私は上手い言葉を返せなかった。自分でもちゃんとした理由が言葉に出来なかったからだ。海から太陽が産まれるのを目を細めて眺めながら口をもごもごとさせる私に、何かを察してくれたのだろうアンはそれ以上聞こうとはせず、ただ私の隣に居た。
冷たい風がびしょ濡れの身体を冷やすけれど、太陽のお陰で寒さは無い。光に向かって飛んでいればいつしか島の大きな影が視界に入って、センチメンタルな気分を押し流すようで。白熊と書かれたTシャツが風に靡いて雫を落とす。これもまた、オレンジ色に染まっていた。
*****
がっくりと肩を落としているベポの頭を鬼哭で小突いてやれば、白熊は大きな頭を持ち上げてローを見た。どこか沈んだクルー達の横を通り過ぎ甲板に出る。そこには沢山の食糧が入った包みが数個と、いつ釣り上げたのかも分からぬ魚が山になっていて、さらに一つの宝箱。どこから持ってきたというのか、中身は年代の古そうな宝飾品や価値があるのかもわからぬフジツボだらけの錆びたガラクタが詰まっていた。
「うっうっう、天使ちゃぁあん……」
「こんな置き土産まで……!!」
「なまえ〜〜!なんでお別れも言わないで行っちゃったんだよぉ!!」
一人の男泣きから感情が伝播して、ベポの悲しみとも落胆とも取れぬ大声が船に響く。比較的冷静に見えるペンギンが持っていた紙切れを手渡してきたのでそれを開けば、中には天使屋が書いたと思われる文字列と、獣の肉球がインク塗れになって紙へ押し付けられている。
中には突然の別れを謝罪する言葉と、感謝。それから鳥達が持ってきたという食料や宝飾品は好きにして欲しいことが書かれていた。
「……鳥がどうやって海の中に潜るんだ、馬鹿が」
「うおおおおおん、てっ、天使ちゃん自ら潜って……!?」
「あんなにちっちぇ身体で海に……!!」
「いや待てもしかして上がってこれてないんじゃないか!?」
「落ち着けお前ら。海の中に居るなら手紙なんぞ書けねェだろ」
今にも船から降りようとするクルーを言葉だけで止めつつローは船首へと足を進める。太陽は登り切って、風も穏やか。帆の張られたメインマストには自身の作ったジョリーロジャーが掲げられており、膨らんだそれは笑顔を携えている。
「いつまでやってんだ、食料はいつも通り船室に運べ」
「キャプテン冷たい!!」「天使ちゃんが行っちゃったんですよぉ!」「うう、仲間になってくれると思ったのに」「可愛かったよなァ、小動物みたいで」「ああ、可憐な小鳥だった」「キャプテンにも懐き始めてたのに」「可愛がってたのに」
「うるせェ、喚くな!」
口々に文句を言いつつ彼らは食料品を持って船室へと運んでいく。手馴れた動きで中身を仕分けつつ、彼らはぶすくれた顔でローへと視線をやった。責めるような期待するような視線が次々にローへと刺さり、ため息をついた。
「はァ…………俺達は海賊だぞ。次会った時は、海賊らしく欲しいものは手に入れりゃぁ良い」
「えっ!キャプテンそれって……!」
「これだけじゃァ治療費にもならねェし、なにより、治療の途中で逃げ出す患者は縄つけてでもベッドに戻さねェとな」
にやりと笑って小さな宝箱の中身を持ち上げる。どれもこれも、いつの時代にあったものなのかも分からない宝飾品ばかりだ。きっと深い海の底で眠っていたところを無理やり起こされたのだろう。光を失っていない宝石を手に取れば、幾久しい太陽の光を受けて赤くきらめいた。
「やっっったぁ!!キャプテーーン!!早くいこう!次の島!!」
「お前が舵取ってんだろうが」
「そうだった!海図海図!」
「いや海図見ても別に速くはならねぇよ?!」
「良いからシャチも手伝ってくれよ!!」
沸き立つハートの海賊団を引き連れてポーラータング号は進む。
ローは赤い宝石をまた宝箱へと放り投げると、欄干に肘をついて未だ遠い水平線へと顔を向けた。
噂。噂ね。くだらねぇ。
昨夜初めて見た彼女の自然な笑顔を思い出して、彼は笑う。
「天使に微笑まれたものは、幸運を得る、ね」
さて、ではその幸運は天使にも幸運足りえるのか。
彼女目当てに来ていた鳥達が甲板の上をぐるりと回って去っていく。その様子を見てから、ローは未だ騒ぐベポ達の元へ戻るべく振り返った。青い空に鳥達の白い羽が隊列を組んで模様を作り、そしてそれも海の彼方へ消えていった。