風を切って空を飛ぶ。黒のシスターベールがひらめき頬を叩くが構わず風に向かって翼を動かした。足に水飛沫がかかる。右手を水面に着けて身体を横に向ければ、その横をまるでイルカの様にケイミーが飛び跳ね私へ手を振った。

「なまえちん凄ーい!私達より速いかも!」
「流石に水の中と空の上じゃあ勝負にならないよ」

 仮面越しに笑って見せるがケイミーには見えていないだろう。けれども彼女は私の笑顔に返事をするように歯を見せ笑うと、また大きく跳ねて水中へと潜った。その近くをアンがじゃぶじゃぶと四本の足を使って泳いでおり、背中にはパッパグくんというヒトデを乗せている。

 結局あの海賊船を出て、私達は魚人島の手前まで一緒に行くことになった。不安を持ったパッパグと、彼らの話し合いが面倒になったアンの妥協案として、魚人島には行かないけれどその近くまで護衛するから案内をしろ、ということになったのだ。
 と、言うわけで船に居た獣たちを近くの無人島に送った後、私達はこうして水遊びをしながら広い海原を進んでいたのだった。

 私も流石に新世界と呼ばれる海まで行くつもりはないし、お互いにとって過不足無い取引だったと思う。あのまま船で漂流するわけにも行かなかったし。
 そんなことを考えつつ頭上に影が出来たのに気づき空を見上げると、びしょ濡れの青い毛を宙に浮かせたアンが私の上を通り過ぎるところだった。

「うひょお、俺ァ空を飛ぶなんて初めてだ!」
「キャー!すごーい!アンちん凄いよー!!」

 興が乗ったのかアンはパッパグ君とケイミーを背に乗せもう一度海面を蹴った。私の頭上を飛び越えて、空高くに飛行していく彼らを目を細めて見送れば、空からケイミーが手を振っているのが見える。それに小さく手を振り返して、私も翼を大きく羽ばたかせた。
 青い毛が濡れるのも構わず、ジェットコースターの様にアンが海へと頭からダイブする。その波から一人逃れた私は、眼下で大笑いするケイミーとパッパグ、そしてアンを見つめ、また顔を綻ばせた。
 私は風に靡くベールを左手で抑え遠くを見るように視線を動かす。

「……もう次の島が見えてきたね」
「!」

 私の言葉に身体を固めたケイミーとパッパグは、お互いを見ては此方を見て、何とも言えぬ表情を浮かべた。アンは空中に躍り出て身体を振り、水気を取ってから私の背に回る。私はそっと彼らを見返し、一つ頷いた。

「ここまで案内してくれてありがとう」
「そ、そんな、もう少し一緒に行こうよ!島が見えたって言ってもすっごい遠いし、それに……」
「ケイミー、……ありがとう。また何処かで会えたら、今度こそ魚人島にお邪魔するね」

 私は恐らく、魚人島に行くことは無い。
 けれど口にしたのは紛れもなく本心からの言葉でもあった。いつか。そんな未来が来れば良いと本当に思っている。

『なまえ、そろそろ』

 アンの言葉に私は天高く舞い上がった。パッパグがケイミーに何かを言っているのが見えたけれど、私達はそれを見届けず雲に隠れるようにして空へ隠れる。島が見えたのとは反対の方向を向くアンの視線の先を追えば、そこには一隻の船があった。大型のそれはジョリーロジャーを掲げている。私達が去った海賊船とはまた違う模様だった。

『ケイミー達、大丈夫かな』
『通常海の中であれば人魚は人間には捕まらん。いくらあの人魚共が鈍くさかろうとな』
『もう、またそういう言い方して……』

 アンの耳がくるくると電波を拾うアンテナの様に動いては止まる。未だ少し距離は空いているけれど、アンの目には船の甲板に檻が用意されていることが見えたらしい。
 あの船は私か人魚か、もしくはその両方を捕まえに来たのだろう。

 広い海の真ん中でどうやってこうも私達を追ってこようと思えるのか。その執念にうんざりとして、がっくりと落ちそうになる肩を持ち直すようにぐるりと回せば、未だ毛の乾ききっていないアンが私に身体を摺り寄せた。

『つめたっ』
『私も上空は寒い』
『はしゃいでいたものね』
『お前も海に突き落としてやる……』

 くしゅん、と可愛くくしゃみをしたアンに苦笑いして、されるがままに水気を移されていると、遠くにあった船の甲板が私にも見えるほどの距離まで近づいていた。
 甲板には確かに檻がある。けれど私達の予想とは違って、その檻の中にはすでに何かが入っていた。人の様に見える元気に暴れているように見えるが、はたしてどうか。

『……私達目当てじゃなかったみたい』
『そうだな』
『…………』
『わざわざ以心伝神チープオラクルを使って無言を主張してくるな』

 別に、私達は慈善家ではない。どちらかと言えばただの迷子であるし、人間に対して思うところもある、ような気がする。天使と呼称されているのは知っているけれど、他称に合わせた動きを取るつもりもない。
 どちらかといえば排他的であると自覚はあるし、自分に力が無いことも分かっている。アンが居なければ本当に飛ぶ事だけが特技の女だ。

 でも。

 船が私達の下を通過していく。檻には男性が数人鎖に縛られており、よく見れば海軍の制服を着ているものがほとんどだ。一般人もいるのか白い制服の男性が一人を庇って海賊に殴られている。

『……アン、あの』
『はァ〜〜……すぐ立ち去れば良かった。あの人魚共が狙いじゃないと分かった時点で』
『その、ごめんなさい』

 アンは尻尾をだらりと垂らして身体の力を抜くと、本当に嫌そうな顔で私を見た。
 面の奥にある無表情を越えて、その内側にある思いを読み取られた私は素直に謝罪の言葉を告げる。
 そして二人は頭から海へと落ちるように、弾丸のようなスピードで船を目掛け下降した。

 ☆

「ありがとう!まさか天使に助けられるとは!」

 口々にお礼を言う海兵さん達の声にたじろぎながら、私とアンは救助に来た海軍船の上にお邪魔させて貰っている。海賊船から彼らを助けた私達は、電伝虫で本船と連絡を取ったらしい海兵さん達の是非に是非にという声を受けて、助けられた一般人の方と同じく次の島まで同船させて頂くことになった。
 海兵さん達も天使の噂を知っていたらしく、まず私の仮面を見て驚き、次いで翼を見ては納得したように頷き握手を求めてくる。

 それに一人一人答えて居れば、アンは不機嫌そうに私の周りをぐるぐると回り周囲を威嚇するものだから、彼らはより私たちに何らかの神秘を感じてくれているようだった。

「いえ、わざわざ食事まで用意していただき……」
「良いの良いの!ほんっとうに助かったよ!ありがとう」
「それにしても、本当だったら天使さんだけのために食事を用意したって構わないのに奥ゆかしい……」
「ああ、助けられた俺達や一般人と食卓を囲みたいとは、本当に天使の二つ名に間違いはないよなぁ」

 大皿に盛られた料理に手を付ける人々を見て、アンが小さく鼻を鳴らした。そこに含まれた意味を正確に読み取って、私は面を外すことなく口元だけずらして食事を口に運んだ。「天使様、これ美味しかったよ!」「そうそう、こっちもお食べ」せっせと世話を焼いてくれるのは、これらの料理を作ってくださったおば様達だ。
 次々に小皿に盛られていく魚やら肉やらを見て、私は慌てて好意を断った。どう考えてもその量はちょっと。

 アンはアンで焼いた肉をあちこちの人から貰っては「これはいらん」「こっちは美味い」と不遜な態度で食事をとっている。しかしそんな姿も愛嬌があるのか、女性も男性も肉を持ってきては彼の前に置いた。
 そんな和やかな食事の席に現れたのは、この船で一番位の高い「少佐」と呼ばれた男だった。

「いやぁ、天使殿。この度は部下を救って下さりありがとうございました」
「いいえ。私が行かなくても、海兵さん達だけで切り抜けられていた場面でした。私が勝手に顔を突っ込んだだけです」

 食事を中断して席を立つ。微妙な静寂が食堂に広がり、誰も彼もが私と大尉を見ていた。

「いえ、いえ。部下たちの矜持まで尊重して頂けるとは、まっこと天使殿は慈悲深い」

 にっこりと笑い此方に手を伸ばす男は決して大柄とは言えない体格で、頭には何故か二本の角を模した飾りの付いた海軍帽子を被り、くるんと丸まった髭は彼の口元を彩っている。揉み上げがやたらと長い。私は気が散るような思いで男の顔を観察してから、彼の右手を握り返した。
 手袋越しの固い手のひらは体格に見合わず随分と大きい。

「それでわたくしどもに出来る事があれば、御力になりたいと考えております」
「……でしたら、噂だけでも構わないのです。”天使の居た島”をご存じじゃありませんか」
「天使の居た島……天使殿がこの海を巡っておられるのはそれを探すため、でしたか。ふむ、確か古い島の伝承にそんな話が合ったような……私の部屋に古い書物があります。良ければ其方をお貸ししましょう」
「よろしいのですか?大事なものなのでは」

 アンの視線を背中に感じる。彼からの忠告に密かに返事をしながら、私は笑顔で頷いた大尉の後を追って扉を出た。虎穴に入らずんば虎子を得ず。
 食堂に騒めきが戻るとともにアンの胸には一抹の不安が広がる。そして私の胸にも。
 

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