やっぱりな。どうしてこうもお前は運が悪いんだ?
 アンの言葉に私はがっくしと肩を落とした。本当にもう、まさか本すら読めないとは。

「天使殿……!どうかこの私に!幸運を!!」

 大尉殿の言葉が右耳から左耳へと通り抜けていく。もうすっかり慣れっこになっていた私は、どうせそんなことだろうと思った、と言わんばかりに身体の力を抜いた。
 幸運なんて人に授けられるものなら私自身に欲しいぐらいだし、独り歩きする噂に踊らされている人間を見るのにもとっくに飽きた。

「大尉、そんな、天使殿は我らを助けて……」
「上官に口答えするな! 良いか、これはチャンスなのだぞ……天使殿のお力をお借りできればお前たちだって昨今のような不始末だって犯さなかったろう!!この海で必要なのは強さと、そして幸運ラック!!どんなに力を得ても時の運というのは必ずある!!」

 大袈裟なまでに手を広げ演説する男から目を逸らして、上官へ食い掛っては二の足を踏んでいる海兵に視線をやる。海賊船に捕まっていた人だ。ぼんやりと彼を見て私は足首に付けられた鎖をがしゃりと引っ張ってみるけれど、当然それが外れる気配はない。
 アンの姿は無いが、以心伝神チープオラクルが繋がっているのでそこまで遠くにいないだろう。むしろ心配しなくてはならないのはいつだって自分の方だ。まさかこんなにすぐに行動に移すとは。もう少し取り繕うとかすると思ったのだけれどなぁ……。

 一体何を目的とされているのか、案内された船室には鉄の檻と鎖が付いていて、悪魔の実の能力者らしい大尉の力で私の足首は見事に鎖に繋がれる羽目になった。

『はァ〜……海軍、海軍とは言え結局人間の集まりか』
『もう私、コルボ山に帰ろうかなァ……』
『……それも悪くないが、一度グランドラインを出れば戻るのは手間だぞ』
『でもルフィやエース、サボに会いたい……アンを是非紹介したいな。三人とも、すっごくいい子なの』

 現実逃避をする私を船室へと引き戻したのは慌ただしい足音と、扉を開く伝令の声だった。

「大尉!!我が船に向かって一隻の海賊船が!!暗いですがそのジョリーロジャーはスペードの海賊団のものと思われます!」
「なぁんだとぉ……!?天使、まさかお前の仕業か!!」

 此方に振り向き今にも掴みかからんとする大尉からぷいっと顔を逸らしてやると、彼は激高したように檻を蹴ってから扉に背を向けて去っていく。それを冷めた目で見送りアンへと声をかけた。

『アン、見張りが一人だけになった』
『こちらも敵船が云々と騒ぎ始めたぞ。これに乗じて逃げるか……あー、眠い』

 最早この船に居る必要も無い。私は足の鎖を砕こうとして、動きを止める。
 見張りに残った海兵……先ほど大尉へ声をかけていた男が私に近づき、その顔を歪ませていた。

「言っておきますけど、幸運なんて授けられませんよ」
「ああ、すまなかったね……本当に。どうか海軍が全てあんな人の集まりだと思わないで欲しい」

 勝手なことを。そう思った。

「どうか逃げてくれ。此処を出て右にまっすぐ行けば甲板に出られる」

 檻の錠を開け、足首についた枷の鍵と思わしきものを投げこんだ海兵はそう言って後ろを向く。こんなことで帳消しになることは無いけれど、最早波立つ感情も無い。私は無言のまま鍵を鷲掴んで足の枷を取り鍵も投げ捨てる。ブーツに鉄さびが付いたのが不快で、枷を蹴って牢の隅に追いやった。

 後ろを向いたままの男の横を通り過ぎ走り去る。
 もうこのやり取りだって何度目だ。個人を変えただけで人間のやることは変わらない。
 私達を捕まえる人間が居て、そして助ける人間がいる。
 人間などその二種類だけだ。

『アン、甲板に向かってるね』
『分かった。私は少し暴れてから行く。凶行にでるなら朝にやればいいものを……ふわぁあ』
『確かに一眠りぐらいはしたかったかも』

 視界から人間を弾いて、海兵の集まる廊下を走り去る。既に連絡があったのか彼らは私を追うことはせず、何処か申し訳なさそうに顔を伏せていた。……意外としっかり見てしまっているな。自分に苦笑いをしようとして引きつった口元は、仮面の下に隠れ誰にも気づかれることは無かった。


 甲板に出るとすぐ、暗い闇から浮かび上がるようにしてジョリーロジャーが目に入る。テンガロンハットを被った髑髏は黒い帆に炎を灯すようにして大きく広がり、その船はまるで海軍船の行く手を阻むようにして陣取っていた。

『……なまえ、妙な匂いがしないか』
『えっ?』

 海兵のひしめく甲板は大砲を撃ったり白兵戦に向かうため船を接近させようとしたりと酷く騒がしい。あちらこちらに闇夜を晴らすための炎が焚かれている。
 が、私はそれを無視して空を飛ぼうと翼を広げたところでアンの言葉に気を取られた。瞬間。

「火拳!!火拳のエースです!!」

 誰かの声に動きを止める。

「天使が居るって聞いたもんでな!お邪魔し、ますっとォ!」

 高く跳んで欄干に足を付けたのは炎を纏った男。テンガロンハットを被り、赤い首飾りと銀色に光るクロスを付けている。ご丁寧に挨拶までした男は、眩いくらいに光輝いて見えた。
 彼は寄ってきた海兵達を器用にも欄干の上から蹴り飛ばしては、殴り、その身を炎に変えては銃撃を避ける。
 炎に照らされたその顔には、どこか懐かしいソバカスが。

「えっ……」

 そんな、そんなわけはない。いやでも、あれから七年経ったのだから、私は十八歳、で、一つ下だった彼は。

『なまえ?』

 私を見つけた大尉が何かを怒鳴り散らし、それに気づいた海兵達も私を振り返る。テンガロンハットの男も、私に気づいて動きを止めた。

「……なまえ、か? そうだな?そうなんだろ?」

 露出の無い修道服に、白い翼。顔には仮面が掛かっているけれども、きっと恐らく、彼は確信した。

「エー、ス……?」

 私に手を伸ばす大尉の身体が横に吹っ飛んでいく。胸の内から神の声が湧いて、ようやく私もエースを実感した。随分と成長しているけれど、確かに、彼は。
 そう思った瞬間駆けだした。エースも満面の笑みでつい今ほど大尉を殴った右手を上げ私へ大きく振る。

「エース!!」

 修道服がたなびいて、私は彼の首元に抱き着いた。

「……んっ?」

 欄干を越え、エースの腰が曲がる。エースは抜けた声を上げ、彼の首元に抱き着いた私を支えたまま、抵抗も出来ず私と共に落下した。どぶん、と沈む身体を抱きしめる。
 まさか会えると思っていなかった!本当にこんなに早く会えるだなんて!エースに、会えるなんて!
 これも神の思し召しだろうか。ああ、神よ、感謝します。エース、エースに会えるなんて。

 水の中でうっとりと彼の顔を覗き込む。
 エースはごぼごぼと空気を口から吐き出してぐったりとしていた。

 ……。

「!!!」

 悪魔の実!!
 慌てて沈んでいく身体を持ち上げようと足を動かす。エースは溺れてもなお私の身体を離そうとはせず、むしろ溺れる者は藁をも掴むを具現したようにぎゅう、と私の腰を抱き寄せた。
 慌てて彼の頬を両手で掴み目を合わせようと顔を覗きこんだけれど反応が無い。そうだ、仮面をしているから私の表情が見えないんだ!
 急いでそれを取り外すと海へと投げ捨て、再度彼の頬を両手で挟み込んだ。
 目が合う。意識はまだあるようだ。

 暴れはせずとも相当な空気を吐き出してしまったのだろうエースは、顔を真っ赤にして苦しそうに口元を引き攣らせている。私は何とか翼を動かすと、彼が私の上に来るように体制を変え、その唇に自分のそれを重ね合わせた。

 エースの腕の力が抜ける。目を見開いたままの彼の瞳を強く見て酸素を分け与えてやれば、エースはぐったりとした身体を動かして私の頭の後ろを片手で抑えた。
 ……けれどこれ以上酸素を渡すと私まで溺れてしまいかねない。眉間に皺を寄せ、水中で彼の胸を叩く。エースは目を閉じてしまい、意識があるのか無いのかすら私には分からなくなった。

 ドボン、という音に思わず其方を見ると、暗い海に明るい髪の毛が舞っているのが分かった。
 目元をマスクで覆った半裸の男性がこちらを見て、そして口を大きく開けて酸素を逃がし、また上昇していく。
 ……何今の。

『アン、お願い』

 見なかったことにした。このままではエースが危ない。急がなくては。
 アンへと声をかけると、水音を立ててアンが水中へと潜ってくる。そして彼もまた私とエースを見て一時停止したかと思えば、酸素を吐き出し固まった。眉間に皺が寄る。今はそんな場合ではないとアンも分かっているだろうに!
 私は少しの怒りを込めてアンを見つめる。

『こんな時に遊ばないで!』
『あ?あそ!?あァ!?』

 必死に足を動かすが力の入らないエースの身体は酷く重い。私だって苦しいし、本当にこのままでは海の藻屑になってしまう。そういう思いを込めてアンを急かせば、彼は自棄になったように動きを取り戻し、私のトゥニカを噛んで海面を目指し水を蹴った。
 私もそれに合わせて翼を動かしエースをぐっと抱き寄せる。昔も川に落ちたルフィをこうして助けたっけ。懐かしい感情が蘇り、私は酸素を求めて海面へと頭を出した。
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