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▼2025/05/11:禁句は個々の傷、堪えるは誰の為?

誰しも触れられたくない領域と言うものを持つと思う。それはその人に言ってはいけないという言葉とか、話題にされたくない事柄とか。まあ私の場合『容姿を揶揄する』、もっと言うなら『体型の話』であり『肥ったね?』の一言だ。心配する調子ならば良い、と言うかまだ許容出来る。しかしだ、叔母よ、貴方は私の何倍もの期間肥っていて且つ体重は私より10kgは多いよな?
今日は母の日だったので親戚が家に集結した時の話題である。私は母方の親戚と親しくしており、叔父には特にお世話になっている。叔母は叔父の妻であり、血縁関係はない。そして悪い人ではないのだが身体的な問題で長年肥っており、それは治療可能な原因によるものだ。ひとたび手術やリハビリを受ければまるっと治せる筈である、今の段階では。彼女はその治療が高額な事や家の事が出来なくなる期間が発生することを理由に、長年拒んでいる。年々状況は悪くなっているが、まだ治療自体は可能だし、治療費が問題ならば高額療養費制度を活用すれば良いのだ。そりゃあそれだけでカバーできない部分もあろうが、なら任意医療保険を発動すればよいのではないか。世帯収入は存じてないが、然程高いとは思えない。であれば高額療養費制度を使えば十分にカバーできる。娘二人共働いてるし家の事は叔父も出来るし買い物だって同じだ。その問題を解決せずに努力で痩せようとして、かつそれを理由に母親との関係を見直し中の私によく言うな?
とは思っても言わないのが私なりの『大人の対応』である。まあ、『痩せたね?』なら大歓迎だが。要するに弱点を突かれると人は相手の弱点を突こうとしてバトルに発展するわけだ。言ってはいけない事や、言わない方が良い事、言うべき事や言っておいた方が良い事、言葉と言うのは様々な効果や各々違った攻撃力を持つ。
親戚付き合いにはあるあるなお話だが、若年層には『帰省しない理由』に親や祖父母、親戚にネガティブな事を言われるのが嫌だから、と言うのを挙げる人も多いらしい。結婚しろとか子供を作れとか、痩せろとか肉をつけろとか。或る程度大きくなって分かったけれど、そう言う事を言う時ほど言葉は選ぶべきである。もしも本人に対して本気で心配しているなら尚更だ。言われたくない禁句を唱えた瞬間相手の心のシャッターが下りてしまえば話し合いも出来ない。
さて、7日に大切な仲間であり友人である人物から拍手とメッセージを頂いたので返信しよう。実はどのように答えを返そうか、何日も経過してしまった。申し訳ない。

シロさん
こんばんは。こうして話すのはお久しぶりですね。メッセージありがとうございます。
私もシロさんのブログがあって、高校生の頃から繋がりが持てている事に勇気を貰っています。同じフィールドに居ると言うか、似ている部分があるなと思って拝読しております。事実、去年私が本気で消えようかと思った時、この世に繋ぎ止めてくれたのはシロさんでした。他の人が止めてくれなかったと言ったら嘘にはなってしまうんですが、インターネットの画面の向こうから届く言葉が一番響く時ってありますよね。
ドールや私のロリィタ姿へのお褒めの言葉もありがとうございます。うらやましいとか妬ましいとか、素直に言える人の方が私は好きです。だって、思いを言葉に変換するという思い遣りがあるから。言葉と言う形を与えられない思いは時に言葉以上に人を傷つける力になりがちです。シロさんも日々の事を紙の日記やブログへ綴る際、自分の中の思いに形を与えることで本質が見えてくることがあるんじゃないでしょうか。紙の日記に書くなら筆跡でも自分の精神状態が分かりますから。
ここ一年以上、言うならもっとですかね、シロさんが頑張っているのが日々伝わってきます。家族の介護を万全の状態で出来なくとも、自分の病気と闘いながらも家族の潤滑油的役割をされている事や、逃げずに向き合い続けている事、尊敬しています。きっと私達は他の人より何かを背負いがちなんです。例え自分のキャパシティーを超えていても背負ってしまうんじゃないでしょうか。だって、それで大切な人が壊れてしまうのは見ていられません。でも疲れてしまったら立ち止まって休んで良いし逃げても良い筈なんです。分かってはいるんですけどね、難しいですよね。
かっこいい! との誉め言葉、とても嬉しいです。自分で自分の事が大好きでも、認めてくれる人が居ないと虚しくなるのが私の特性なので。他者の視点って、私にとってとても大切です。
シロさんも、他の人の視点で自分の思いを整理すべくAI(でしたよね?)に思いを吐き出してらっしゃるんじゃないでしょうか。技術の革新ってすごいし、活用できるのもすごいです。めそめそ気味との事ですが、それでも向き合おうとされているのは素敵です。逃げたって良かったかもしれないのに、向き合い続けている。切り捨てるのではなく、重たい荷物を下ろさずに両腕に抱えてゆっくりでも進んでるってことですよ。誰かに預けると心配になっちゃうんですよね。そして自分の事を責めてしまう。それなら苦しくても抱えている方が良いって、みんながみんな出来る事じゃないです。
病院の事やご両親の体調の事、妹さんやお兄さんの事を拝読する度に『近くに居れば一緒に動けるのになぁ』と良く思います。結局、何百キロも離れた私に出来る事は限られている。せめて届いて欲しいと思って文章を綴っています。なるべく多くの事が好転する事を祈っています。折角これまで傷を負い痛みに耐えながらでも生きて来られた同士です。ゆっくりで良いんです。前を向けなくても、立ち止まって後ろを見れば自分の足跡がある筈です。進んで来られた過去は消えませんし、それで得た知識とか日々の思い出も消えないと思いますし、誰にも奪えません。
この苦しい状況が好転した時の為に、立ち止まっている(かもしれない)今はやりたい事をリストアップしておくのも良いかもしれませんね。それを消化するまでは生きてみよう、とか。やりたい事を出来なくても、思考は自由です。やりたい事が出来ない事も『悪』じゃないですし、辛くなるならそもそも何もしなくてもいいのかもしれない。ただ、生きてさえいれば、変化が必ず訪れます。その変化がシロさんにとって良い物であることを願っています。もしも悪い物だったらいつでもメッセージください。画面の向こうから『言葉』でエールを送ります。
最近、気温も天候も滅茶苦茶で辛いかもしれませんが、お互いそれなりに頑張りましょう。全力を出すのはいざって時で良いです。いつかの本気を出す時の為に、ご自愛ください。
末筆になりましたが、本当にありがとうございました。

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