▼2025/05/13:何かが決定的に足りなくて、何かが決定的に過剰なんだよ。
最近、一日に凄い量の文章を書いている。下の記事を書いてふと思い出したんだけど、私の実父は結構可怪しな人だった。前に此処に書いた通りあの人はまあまあ違法な事をして刑事事件になってる。それが私のトラウマの一つになったのはまあ置いておいて、考えを巡らせるうちふと思った。あの人も統合失調症を発症してたか、発達障害だったんじゃないかって。
あの人は生前虚言癖とか突飛な妄想とか社会通念上それはどうなのって行動を平気で取るとかで私達を振り回して挙句一番迷惑な形であの世に逝きやがったんだけど、今思い返すと言動が完全に定型発達の人じゃなかった。
例を挙げると
・私が泣くと喜ぶ
・お金に奇妙な執着を見せる(稼ぐのは上手かったけど使うのと貯めるのは下手だった)
・大小問わず嘘を吐く
・家族へ負の感情をダイレクトにぶつける
・私に性的な嫌がらせ行為をする
・学業の邪魔をする
・自分がいかに優れた学生だったか嫌味な形で自慢する
・家族の体調不良を前にまずはお金の心配をする
・あの人は自分に好意を抱いている(母以外の女性)と妄想する。
とかかな。羅列すると結構酷いなと思う。そんで、ネットとかだとよく話題に上がるサイコパスとか自己愛性パーソナリティー障害とかASDとかの特徴に当て嵌まるタイプの人だった。加えて、娘の私を愛していると言いながら自分の命を人質にするみたいにお金の無心をしてきてね。たった一人の父親なのにどうして慕われないんだ、とか思ってたんだと思う。昔はあの人を本気で尊敬していたし、感謝もしていた。あの人に与えられなかったら多分絵を描く趣味や文を書く趣味は無いんだし。
ただ、さ。子供が泣くと喜ぶ親ってどうなんだろう。そもそも大人として不味いよなって最近になって思い至った行動、上に書いた以外にもたくさんある。母は強くならないと私を守れないから強くなったタイプの人だったからあんなに気が強い女性になったってことは重々理解してて、だから口調がきつくなっちゃったんだろうな。ASD傾向のある人の配偶者はカサンドラ症候群って言う疾患を背負う事もあるけど、母はちょっと違いそう。正しくない行動をとりがちな夫に振り回され過ぎないように耐えた結果が多分あれだ。
統合失調症にしろ発達障害にしろ、遺伝的要因だけではならないとされるのが主流の考えで、今の私も賛同してる。でも親族に因子を持つ人が居る方が疾患を生じる場合が多いのも事実。実家に居た事に見た診断書で、父方親戚に精神疾患や遺伝子疾患を持つ人が複数いた事は知ってる。それも結構近い血縁の人だ。
生まれに不満を持ったところで何も解決しないのも知ってる。ただ、そうだったんじゃないかって確信もある。今と時代が違うとは言っても、時代の所為だけにするのも考えが足りないと思う。あの人を恨んだからこそ、私は母と頑張れたし、義父とも絆が生まれたのも事実、けれども今私は母との関係に悩んでいる。
母はきっと実父の被害者の一人だ。でも被害者が加害行為をしないのかって言ったらきっと違う。加害に自覚が有るか無いかも一旦置いておいて。これが加害かどうかを決めるのは誰なんだろうって疑問も一緒に。
話がそれた。実父がもしも非定型発達の人だったなら、あの人の可怪しな行動の意味が何となく掴めてくるんだ。それこそ時代性もあって、父方の親族はあの人が仮に精神的な疾患を持っていたとて明らかにする気も無かったと思う。そもそもがぐちゃぐちゃで歪な家だったし。でも確実に何かが異常だった。育てられた環境の要因もあってあの人の持つ種が発芽してしまって、周囲との軋轢や実父や祖父の親子間の確執が生まれていたとしたら。戦後十年ちょいとかの生まれだから社会の理解なんて期待できない上、表面上は優秀な人材と呼ばれたり実際に売り上げを上げ続けていたから、半端に社会に溶け込めてしまえる怪物みたいな人だったんじゃないか。私は彼の遺伝子を確実に受け継いでいるわけで、嫌になるくらい同じ行動をとりそうになることもある。
精神疾患の原因となる要素は複数ある。それこそ幾つもある。それらが複合的に重なって発症するとして、私には遺伝的因子と環境的要素が複数あって、其処に強いストレスが加わって発症したとしたら。もしかして此処まで生きているのは奇跡的な事だったのかな。
だからってそれを良い事と手放しに言えないんだ。言えないって思うのも生きてないと出来ないのは分かってる。同時に怖いなって思う。やっぱり子供なんて産めない。この遺伝子を受け継がせるなんて子供に申し訳ない。昔から子供が苦手で良かったと初めて思った。
実父と父方の祖父は互いにいがみ合っていた頃しか知らない。逆に母方は昔から皆仲が良い。まあ、叔父はちょっと優し過ぎるきらいもあるけど。こうして振り返って見るとなるべくしてこうなってる気がする。あくまでも仮説。でも割りと信憑性はありそう。
生まれを呪ったところで何にもならない。過去に囚われるだけ。でも、怨む事も許されないなら、この苦しさの行く先は何処なのか。平和な世の中だからこそ、人は自分の心を覗き過ぎて、他者と比べ過ぎて歪むのかもしれない。何か共通の敵が居れば団結できるって思っちゃう。それって戦争に繋がりかねないなって怖くなった。
話が大きくなりすぎたね。ふと考えた事を綴っただけなんだけれど。
もしもこの苦しみの一部が遺伝の所為でも、それが無かったら私は私じゃない。命を恨むのは流石に心が痛いな。