▼2025/07/16:彩るは陽の光、透かし彫りの言葉
小さい頃の記憶って、意外なくらい鮮明に思い出せることがある。特に一部分だけが奇妙なくらい色鮮やかで、良い記憶も嫌な記憶も、どうでもいい記憶も同じくらいの割合で思い出す。学生時代はあまり思い返したくない事の方が多いし、何なら人生の大半がそんな感じではあるんだけど、忘れてしまったけど本当なら覚えていたかったこともあるのかなって最近考えた。懐かしい、って感覚になる事は普段あまり多くない。思い出してしまって嫌な気持ちになる事は結構ある。
小学生の頃、親に貰った大切なアクセサリーを失くしてしまって、怒られるかもしれないと冷や冷やした事。
地域一番のいじめっ子に私ではどうしようもない事柄で詰め寄られた事。
勘違いからとんでもない天然ボケ発言をかました事。
小五の時に父親に連れられて温泉の男湯に入った事。
中学の頃、お小遣いを増やして欲しいと言えずに黙って母の財布からお金を盗んだ事。
初めての自殺未遂を誤魔化す為に必死で言い訳した事。
好きな人に繰り返しメールを送って鬱陶しがられて邪険に扱われた事。
本来捨ててはいけない検定の合格証を捨ててしまった事。
書き連ねていくと心が苦しいのでこの辺にしておくけど、人間の脳味噌と言うのは楽しい事や良い記憶よりも嫌な記憶や悔しかった事の方が良く覚えているというのは本当だと思う。
初めて死にたいと感じた頃からずっと、自分が自分じゃないと言う感覚に付きまとわれている。大人になって『離人症』との名称を知ったこれは、過去の所為で生じたんだろうか。いつだって私は私じゃない。目の前の鏡に映るのは私の筈なのに、私は私の外に居る。ふとした瞬間にそうだと気付いて、気味の悪い違和感が全身を包み込んでいた。元々空想をするのは好きだ。こんな世界じゃない、もっと面白くて綺麗な世界で、私は自分の理想的な容姿で生きている、そんな空想が好きになった。書籍や物語に没入するきっかけもこれなんだと思う。こんなにも面白い物語が生まれる世界ってどんな感じなんだろう、私もその世界へ行って遊んでみたいし、暮らしてもみたい。それを繰り返し考え想像する事で、いつの間にか物語を綴るのが好きになった。現実には居ないであろう、でもいたら素敵じゃないかと思える人物や存在していたら救われる人も居るんじゃないかって技術やアイテムを考えて世界を創造する。
自分じゃない誰かが作るからその先が読めなくて面白いのに、自分で作ると全部自分の思うように作れるから、そっちも面白い。勿論思うように書けるようになれたのは最近の話で、時折昔の作品を読み返すと、粗削りだし言葉の誤用とか可笑しな表現もあったりする。でも私はこれまで自分で産み出してきた物語が大好きだ。拙さだって愛おしいし、書いていた当時の自分だと気付けなかった別の面白さもあったりする。
でも、こんな風に妄想とか想像の世界に耽溺していると、当然ながら現実とは離れていくんだよね。今私が生きているのはノンフィクションの世界で、夢みたいなことは何も起こらない。
前に『夜想』って雑誌で読んだんだけど『文学少女』みたいな存在は空想を現実よりも優先すべき世界だと思ってるんだって。現実よりもフィクションの方が素晴らしいからそうなるんだって。そして、文学少女になるのは難しいから彼女等を心に飼っているって言い方がしっくりくる人も多いらしい。
さっき、離人症とか解離性健忘の解説銅貨を見てて思ったけど、お風呂で好きな歌を熱唱している時ですら私は私じゃないし、幼稚園の頃だって自分じゃない瞬間が沢山あった。そして今はどんどんと増えてる。このままだと私はもう現実に生きていないのかもしれないと思うと、怖い。
でも自分で生きている瞬間も確かに在って、その瞬間を鮮明に覚えてるのかもしれないなと感じた。恥と言う感情を持っている瞬間は、きっと現実を生きてる。美しい物を見た時とか、何でかずーっと覚えている事がある。メンタル疾患を持っていると、記憶力って下がりがちなんだよね。それなのに覚えていられる事は幸運なんだろうか。
この現象について、今の病院の主治医はある程度知ってる筈だけど、今度詳しく話してみようかな。もしかしたら手立てとかあるかもしれないんだし。
自分で自分を消しちゃいたい衝動がたまにくる。皮肉なことにね、その瞬間の私は私なの。可笑しいよね。死にたいくらいには何かに絶望しないと私は生きてるって実感が湧かないんだ。
ごめんね。いま眠剤が効いてきたから文章がおかしいかも。取り敢えず寝ます。おやすみ。