memo

▼2025/08/17:一葉一枚、数えて整理しよう。

お盆が開ける日が来る、と殆ど同時期に心の中がざわついている。
今日の仕事中から奇妙な焦燥感を覚えている。不調の前兆だろうか、いつもよりも離人感が強い。自分という『役』を演じる私を内側から眺める奇妙な感覚はいつもの事なのだけれど、心の中が落ち着かず、些細な音や肌感覚(痒いとか肩が凝っているとか)が気になって仕方ない。毎年、あの人が他界してから引っ張られるようにこの時期は向こう岸への誘いが強くなる。勿論、それはまやかしみたいなものと知っている。この時期が終わればこの感覚も気にならなくなるかもしれない。ただ、私は考えを整理する為にこうしてこのブログを書いている所があるので、もしよかったら吐き出した考えを読んでみて欲しい。

節約及び貯金は、それなりに上手くいっていると思って良いのだろうか。私の場合自分を肯定する為に他者の力を借りることがままあって、そのうちの一つが買い物だ。と書くと不親切な書き方になるので少し補足する。私は自分の事をとても可愛いと思っている。しかし、その評価は周囲から得られるものの方が自己肯定感が上がりやすい。なのでお買い物をして『可愛い。お似合いです』と言われたいがあまりに買い物をし過ぎてしまう。そして販売員の方に褒めてもらえることや話を聞いてもらえることで自己承認欲求を満たしているのだ。
この事に気付いていたのに見ないフリをしていた事をやめて、少し経った。可愛い事に重きを置くのは変わらないが、他の誰も認めなくとも私は可愛いのだと強く思いこむ事や、可愛い事以外に自分の価値を見出してみる事を少しずつ繰り返した。
私の長所(つまるところ裏返せば短所)は沢山ある。可愛い事以外にも人に親切に出来る事や、誰かにはその誰かなりの事情があるから頭ごなしに否定しない姿勢をとれる事。物を生み出す事が得意な事、自主的に継続して英語を勉強できるくらいには根気がある事、人が嫌がりそうな単純作業でも集中して取り組める事、意志を強く持って目標に向かって努力出来る事、などなど。
で、序でに『さらに言うなら結構可愛い』が後付けで来るようにした。何だろう、可愛くないと言われ続けた過去が此処まで尾を引いているのは、嫌な事を根に持つ力も強いのだろうか。自分が可愛くない事を許せない。
まあそれは置いておくとして、あまり気軽にお金を遣わないようにしている事も、少しの間とは言え継続している。焦る必要はないし、焦ったり考え込んだところで現実は変わらない。それの赴くままに行動すれば結果が悪くなる可能性だってある。それは理解している。でもたまに、納得できなくなることがある。
私は中途半端な完璧主義者だ。物事を根気よく続けることができる癖に、急にパタッと何も出来なくなることがあるしそもそもが怠惰な人間なので、途中(本来なら気を抜いてはいけない箇所)で急に力を抜いたりやめてしまったりする。それが嫌な結果を招くと知っているからますます最後まで気を抜かずに頑張らなければと心の中でだけ自分を追い詰めるのが悪癖の一つだろう。
昔から、0か100かで生きている。完璧じゃない私に価値は無いと思う事はしょっちゅうだし、かと言えば少しの成果で有頂天になって気分良く過ごす事もある。所謂白黒つけたがり過ぎる性質なのだけれど、意識的にグレーゾーンを作るようにはしてきた。就労移行支援事業所でもその練習を繰り返した。
仕事は多分、うまくいっているのだと思う。ただ、何か心の中でズレの様な物を感じる。自分ならもっとうまくできる筈なのにと思いながら、時折小さな綻びを指摘される。もっともっとできる筈だと思って、でもそれは思い込みと言うやつでしかないから如何にか現状を受け容れようとも思う。
何だろう、自分に自信があり過ぎるのも問題かもしれない。よくない意味での自信と言うか。根拠のない自信って或る程度は必要らしいんだけど、私の場合失敗すると『死ぬ事以外はかすり傷』の真反対の『生きてるだけで致命傷』モードに入るのだ。こういう時は只管考えをアウトプットすると良いのでノートパソコンを開いたんだけど、それ以外だとお風呂でぼーっとしながら音楽を聴いて瞑想みたいな感じで自分が今温かいお湯に浸かっていて、汗をかいている事へ意識を向ける。頭を空っぽにする感じ。洗顔とか洗髪に関しては行程を意識しなくても出来る事の一つなので、なるべく何も考えずに手を動かす。今はお風呂から上がってスキンケアを終わらせ髪を乾かして書き始めたところ。
で、何でどことなく不調なのかについて考えよう。幸いにも幾つか要因が思い当たる。
まず、天候(主に気圧)が不安定な事。気温も湿度も高く、幾らスポットクーラーと言う文明の利器を活用したとしても通勤中や仕事作業中は暑いし、空気がじめっとしていて不快だ。一昨日くらいから片頭痛もしばしばある。気圧由来の物もあるし、スマートフォンの頭痛予測アプリは毎日のように警告メッセージを寄越してくる。
次に、元々この時期は睡眠が乱れやすく眠りが浅いのか悪夢を見る事。元々服用している薬の副作用に『悪夢を見る』があるのだけど、はっきり言って寝ている時の夢が奇妙過ぎて怖い。でもこの薬のお陰で眠れている所もあるので、この辺りは今度主治医と相談しようと考えている。
そして、仕事に慣れてきた事。いい意味でも悪い意味でもだ。職場の人と雑談する事も増えたし、仕事のコツみたいなものも分かって来た。そうなると気が緩んで余計な事を考え始める。仕事中に余計な事を考えるとうっかりミスとかしそうで怖い。人間、慣れてきた頃が一番怖いのだ。

仕事はそれなりに楽しい。褒められる事、お礼を言われる事、可愛いお犬やお猫を見られる事。全部楽しい。でも面倒くさいと思う事も結構ある。小さな商品一つ一つの埃を払う事が楽しい時もあれば煩わしく感じる事もある。日によって、時間によって、自身のコンディションによってそれは変化する。そして、それを自分に許したくないと思ってしまうのも問題だと思う。常に完璧で在りたい。でないと此処でも居場所を失うんじゃないか。
小さな頃の経験故にか、あまり人を信用できない。なのに直ぐに信じて『この人は私にとって最高の味方だ』と感じてしまう事も多い。相反しているが、結局のところ『人との適切な°覧」の詰め方が分からない』のだ。此処で出てくるのが先程の白黒思考。つい、自分にとって敵か味方かを判断したがる。
ぶっちゃけた話、100%の敵も味方もほとんど存在しない。私だって『この人の此処は賛同できるけど、此処は違うから反対したくなる』と感じる事の方が多いし、そもそも全肯定してしまうのは危ないとも思う。理解しているのに、それを自分に適用できない。完璧な味方が欲しいと感じてしまう。否定されるのが怖いから。
私の行動の一部へ苦言を呈されただけなのに(しかも多くの場合、それは否定じゃなくて親切な指摘なのだ)、全てが駄目だと言われたような気がしてしまう。何故だろう。これ以上否定されたくないのは何となく分かっている。否定され続けてきた過去の私の傷口は、まだ瘡蓋が被ったままだ。そしてそれを『私が可愛くないからだ』と考えを飛躍させて無理矢理に剥がし、また傷口になってしまう。
こうなると正に思考の自傷と言う奴で、繰り返し何度もなぞるから傷の通りに溝が刻まれてしまいそうだ。
この思考の癖≠ヘ経験や嫌な記憶から来る認知の歪みが招いたものだけど、自分を守って保つ精一杯の抵抗≠ゥら生まれている。自分を保つ為に自分を傷つけるのはありがちな話だし、私は肉体に傷をつけない分心を傷つける自傷行為を繰り返している。

苦しい。

本当ならもっとうまくやれたはずだ。と思うけど、うまくやろうと頑張った結果がこれなら受け容れるしかない。過去は消えないし、現実は毎秒過去になっていく。変えられるのは未来だけ、と思ったけれど、そもそも未来ってまだ確定していないんだよね。変えるも何もない。
今こうしてキーボードを叩きながら、考えを文字にしながら洟を啜っている。何故だろう、とてもとても恵まれている人生なのに、苦しくて仕方ない瞬間が溢れている。今年は比較的マシだと思いたいけど、やっぱりこの時期は辛くなりやすい。これ以上何を望むんだろう。何がそんなに不満なんだろう。
昼休憩とか退勤後の地下鉄に乗っている間、SNSを眺めては心がささくれる事が増えた。動画でも文章でも世の中には理不尽が溢れていて、傷つく人が沢山居る事に心が苦しくなる。貴方だって守られているべきなのにと怒りも湧く。でもそれは過去の自分を救ってくれない誰かへの不満と同じなのだ。外科的な手術とか医療を除いたら。自分を救うのは最終的に自分なのにね。

小さい頃からこの憂鬱さと生きてきたけれど、やっぱり気分障害もあるのかな。自分を終わらせようと思ったのは幼稚園の頃で、いじめが主な原因だった。昔から、周囲に膜のような隔たりがある。私は何故か普通の人とかなり違う。『個性』と呼ぶべきか今でも悩む。子供ってさ、自分と違う人をそのまま受け容れられるかって言ったら違うでしょ。何でもみんな同じが好きな子ばかり。誰かと違う事を個性として受け容れられるようになるまでは結構時間がかかるんじゃないかな。

今では『私は私で貴方は貴方、みんな違ってみんないい』が一応のモットーなんだけど、やっぱりみんなと同じが良いと思う事が多いし、みんなと違う私を認められない事も多い、のに、普通じゃない自分で在りたい気持ちもある。私は周囲よりも劣っている所が多過ぎるから、せめて違う所では秀でていたい。

もう少し普通に生きられたらと思うと同時に、もっと特別で優れた自分を追い求める矛盾。

これが考えの飛躍や、過度な期待を生んでいるのは薄々気づいてた。妄想癖があるのもそうだね。つい脳内でシミュレートしちゃうね。輝かしい未来をさ。そしてその未来の自分は相当『可愛い』んだよ。なんでもここに帰結しちゃう。

可愛くない自分を受け容れるべきか、それとも『こんな私も可愛い』と思うべきか。

後者の方が健全だと思う。でもさ、健全な思考が出来る時の方が少ないんだよ、落ち込んでる時とか失敗した直後ってさ。そうして苦しむの。解ってはいるんだ。でも心は納得してくれない。もしかしたら今は、誰かの助けを求めるべきかもしれない。
そろそろ眠剤が効いてきた。文章がおかしくなる前に、おやすみなさい。


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