▼2025/09/24:腑に落ちるラベルが欲しい、中身は変わらずとも
最近、ヘルプマークを着けたい人が増えているらしい。なんでも『公共交通機関などで座席を譲ってほしい』とか『とにかく優しく接してほしい』とかの理由で本来持たなくて良い人達が利用したいと声をあげているそうだ。一部の健常者の人が障害を持つ人から譲り受けて使用することもあるとか。意味不明だ。本来ヘルプマークは『外見から障害や疾患がある事が判別できないか、難しい人達』が『緊急時や不調時に助けを求める、適切に配慮して貰う』が主目的なのではないだろうか。前にも書いた気がするこの話題。外出先でも発作が起きる可能性があるとか、理解に時間がかかるからゆっくりはっきり話してほしいとか、お薬手帳の在処や家族の連絡先などを記載して着ける物だと思うんだけどな。認識が間違っていただろうか。おまけに一部のアジア人観光客が旅行会社から貸与される事もあるらしい。意味が分からないが『日本ではこれを着けていれば優しくしてもらえる』とか教わるらしい。割りと悪質な入れ知恵じゃないかと思う。
友人達にもヘルプマークを着けている人が居るけど、彼女たちは本来の目的で使用する為このケースには引っ掛からないが、其処から逸脱する人達の所為で何らかの不利益を被らないのかと心配になる事が増えた。
前にヘルプマークを色分けしたら(トリアージの話)と言う案を書いた事があるけど、家族には『そもそもそれを誰がどんな風に周知すれば良いのか分からない』と言われてしまった。結構いい考えだと思ったんだけど。
そんな感じで私は変わらずヘルプマークを貰っていないんだけど、これが障害者の私が障害者(と名乗る人)を差別したり見下している気がして自己嫌悪に陥る事も増えた。『私は貴方達とは違う』と無意識にでも思っているなら最悪だよね。
そう言えば、現職の店長は今の店の皆に私の病名を伝えていなかったらしい。合理的配慮の関係で『全員に報せて大丈夫です』と言ってあったんだけどな。統合失調症って事も気分障害の疑いも、非定型発達の件も知られてなかった。ただ、『他の人より配慮が必要』としか思われてなかった。これってたまたま良い方向に繋がったけど、そうじゃなかったらどうなってたんだろう。
五感の一つが無い事はみんな知ってたし、それで支障はなかった。昔あちこち骨を折ってる事も伝わって無かったのは多分プライバシー保護に鑑みてなのかな。あまり重量のあるものが持てないし、左腕は可動域が限られてて、筋力も右とは結構違うんだけどね。
それでも接客がかなり巧く出来るようになれてしまって、ギリギリ健常者みたいな扱い。お客様も私が障害を持ってるとは思ってないだろうし、更に言うなら『そこそこ業務に慣れている人が他店から異動してきた』と思った人も居たみたい。
商品についてとか動物さんについてとか、勉強するのは好きだよ。一日一学びは継続してる。覚える事や調べる事は得意だし、それを応用するのも上手い自信がある。伝える事も得意。文章を書く趣味を長い事遣ってると声での話もうまくなるらしい。事実一番明るいキャラで通ってる。お客様と盛り上がる事も多いし、固定客も着いてきた。でもさ、あまり適合し過ぎるのも問題かもしれない。何処かで破綻しないかと心配になる事も結構ある。
元々『自分を良く見せたい欲求』が強い。要は見栄を張りがちなんだけど、それに疲れてたら意味ないと思う。離人の症状もここから来てるんだろうか。私は常に何らかの『役』を演じてるし、それが増えていってる自覚もある。その場その場に合わせた振る舞いは大切なんだけど、過剰になるのは良くない気がする。でも、それをしない自分も嫌なんだよね。一人前の大人として、被らなきゃいけないものってあるから。
子供時代があまりうまくいってなかったのもあって、今の状況がいつ崩れるのかと怖くなってるんだと思う。それでも新しい夢とかやりたい事の為に頑張ってるんだけど。
何だろうね、私は全てを信じられないのに、別の面では信じちゃってるんだよ。かなり簡単に。矛盾に塗れて生きてる。けど、昔みたいに戻りたいかって言われるとそれも違うんだ。過去に戻りたくもないし、やり直しもしたくない。本当の最善なんて選べないし実行できないし、多分そんなものなんて無い。解ってるから戻らないんだよね。今の自分を作ったのはこれまでの自分で、もし何かが一つでも違ってたら別の結果になってる筈だし、違った問題も生まれる。
まあ、こうやってブログにして自分を俯瞰視できるようにはなったから、生き方が上手になった自覚はあるんだけど。
で、タイトルの話なんだけど。今も変わらず自分の病名(診断名)に違和感がある。本当に『統合失調症』なのか、『統合失調感情障害』じゃないのかって言うアレ。調べてるとさ、離人感が強くて小さな頃から自殺願望みたいなのがあって、感情のアップダウンが激しいって言う症状に鑑みると後者の方が正しいんじゃないかって思うんだ。自分が自分じゃないって感覚がいつもある。『今此処に生きている私』は本当に『私』なんだろうかって、常々疑問。自分が他人に乗っ取られてるとか考えが盗聴されてるとは思わない。自分は自分なんだけど、『違う自分』なんだよね。最近この感覚が気持ち悪くなってきた。気味が悪いというべきかも。私が一番不気味な存在なの。
過度に適応して、過剰に役を演じちゃったんだろうか。でもそうしないと苦しいの。どうしたら良いかな。
明日はお休みで、精神科の診察だからこの事達も話してみようとさっきメモを作成した。病名が変わっても何も変わらないかもしれないけど、腑には落ちると思うんだよね。どうなるのかは分からないんだけどさ。中身とラベルが一致しないと気持ち悪いじゃん。