▼2025/10/14:終わった季節に居る君と生きる、行く末は考えないまま
『光が死んだ夏』、買って読んでみた。結構面白いし日本の古き良きホラーって言うテイストで良い感じにぞくぞくする気持ち悪さがある。夏の不快な温度と湿度と、相反する冷たい感触は有機的で生きている@竄スさと言うか。音の表現が書き文字じゃないのも面白いし、それが作品に合ってるなと感じたから来月も続きを購入しようと考えてる。私、生き物の中で一番嫌いなのが虫類なんだけど、それらが出てくる時の描き方が心地好いリアルさだったんだよね。精緻に描かれてるのに本物感が少なめで、作品の一部として見ていられる。主人公を始めとする人物の描かれ方とか気持ちの描写も良い感じで、久しぶりに当たりの二次元に出逢えた。これから活躍するだろうキャラクターも楽しみだし。日本のホラーってじっとりした粘度と湿度の高い描写が魅力だと思う。洞穴とか旧い隧道の壁って湿ってて冷たいでしょ。あんな感じが私の中でのホラーの質感なんだよ。静かな中に急に大きな音が鳴ったりするから怖いのであって、叫び声満載の異形の元人類が牙を剥いてきても、驚きはするけど怖くはない。だからゾンビものとかも大好きなのに或る種エンタメの消費対象としての印象が勝ってしまう。取り敢えず首を一刀両断して置けば動かなくなるじゃん。物理的攻撃が通じないタイプの怪異の方が怖いし面白い。ちなみに『光が死んだ夏』はBLみも強い作品だけど、単なるBLじゃなくて思春期に起こしやすい(と書くと語弊がありそう)同性への好意が高まり過ぎた結果の共依存関係がみられるのもあって貴重な作品と感じてる。全然ジャンルが違うけど、『No.6』とか『ボーイズインブラック』とか『バッテリー』を思い出した。全部児童書なのすごい時代だな。一時さ、BLが社会に受け入れられてるみたいな風潮なかった?私その頃中高生で親と一緒にBLアニメを観たり漫画を読んだりしてて、お母さんはアニメの描写を「温いね」って言い切ってかなり驚いた事ある。「そりゃ地上波のアニメで性描写はマズいでしょうよ」と返したけど「それなら他の部分で行為の暗示をすべき」とか言ってて母は強いし何なら娘と推しキャラと推しカプが同じだったことあります。
『光が死んだ夏』はアニメの第二期も決定らしい。舞台化もするとか。アニメの主題歌も良いし演技の方も良さげだから見てみたい。こういう時気軽に東京に行けない地方在住はちょっと悔しい。飛行機に乗れば1時間半で羽田に行けるけど、宿代が痛い。
最近だとゴスロリマーケットってイベントに行きたかったけど金銭的に余裕が無くて無理だった。最後に東京に行ったのが前の仕事をしてた時だし、来年には一人暮らししたいから今よりも切り詰めないといけないし、お犬もお迎えしたいから貯金貯金の日々だ。結構頑張ってるのに普通に生きる事で精一杯で、何よりたまに旅行に行ったり推し活をしつつ満足に生きられる人ってどんだけ頑張ってるんだと疑問に思う。皆何処を削ってるの?私の収入が低いだけ?
とか言いつつ現状にはまあまあ満足してると書くと盾に矛が突っ込むね。仕事は毎日ほどほどに楽しい。昨日も可愛いお犬と触れ合い、馴染みになって来たお客様とお話して、またお犬と触れ合って、社割で館の飲食店を利用して、同じく社割で商品を購入して帰って来た。
お犬が来てくれたら『あら〜♡こーんにちは〜♡』みたいなテンションで挨拶するし匂いでご挨拶してご主人であるお客様にはワントーン低い声で「ごゆっくりご覧ください。気になる事があればいつでもどうぞ」って言ってるんだけど、切り替えが凄いらしい。自動で切り替わるよ。だってお犬は愛すべき存在だから。ちなみに人間の子供にも同じように接してるから一部には子供好きと思われてたらしい。違うよ、子供好きを演じておけば親御さんたちからのウケが良いからだよ。
今のまま頑張っていけば未来が明るいのかなんて誰にも分からないのに、何で私は生きるのをやめる気を起こさないんだろう。いつから死にたくなくなったのかなと考えて、元々死にたいわけでもなかったかもしれないと思い至った。『生きていたくない』と『死にたい』の間にイコールが付いてなかった。自分の思う通りに生きられるなら寧ろ生きていたかったんだと思う。で、今はそれなりに思う通りに生きられている、と。苦手なものが『苦手だったもの』に変わったり好きなものが増えたり、やりたい事が次々生まれたり、かと思えば何もやりたい気分じゃないから何もしない時間と自分を許せるようになった。人と自分が違う事がようやっと分かって来た。どう頑張っても普通には生きられない部分があるって事がきちんと理解の上納得出来て、自分が諦めたものを持っている人への過剰な羨望を認めて捨てる覚悟も出来た。結局無い物強請りだし、私が持っている何かを諦めた人も居るかもしれない。
ずるい、と人に思った事はあまりない。羨ましいと思う事はよくある。けど、この傾向はあまり多くの人が持っているものじゃないらしい。羨望を『ずるい』の言葉に集約して、結果其れを向ける相手を害そうとしてしまう人が多いんだって。ずるいって言うのはそう言う時に効く言葉じゃないのにね。もっとこう、違うニュアンスの言葉だと思ってた。言葉には特定の効果が生まれる使い方があるから面白いのに。
それを向ける相手に一番効く言葉を、最も適切なタイミングでぶつける為に、私は文章を書いてるんだろうな。