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▼2025/10/21:私は決定的に何かが過剰で、別の何かが足りない

自殺する事罪とする宗教ってあるじゃないですか。よく友人知人に『死にたいんだ』って打ち明けられて同様のあまり『そんなの駄目だよ!』と言い切っちゃう人も居るじゃないですか。これも良く聞くんですが

『貴方が死にたいと思った一日は、生きたかった人がどうしても生きられなかった一日』

みたいな言説、あるじゃないですか。さっきたまたまスピリチュアル系の動画を流し見してたら『なぜ自殺はいけないのか』って言う内容で。『周囲が悲しむ』とか『家族への思いやりが無い』とか『死んだ後の貴方を見つけてトラウマになる人も居る』などなど自殺を否定する言説ばかり溢れてて、嘗て本気で消えようとしていた身からすると、随分と的外れなアドバイスだと思うんですよね。死にたいくらい苦しんでいる人自体を救うんじゃない、自分の言葉で誰かが死なない選択を取るのは良い事だと思ってるから。
本気で死にたい人ってね、全部がどうでもよくなってる事も多いんですよ。寄り添っている心算だった周囲に傷付けられ続けた結果だったとして、その人たちに『死ぬな』って言われても多分響かないですよね。響かない人からすると『貴方達は善人で居たいだけでしょ』と言う問いしかない。
私の自殺の目的は『生きているのが辛いから』と言うより自分と言う存在をぞんざいに扱い続けてきた周囲への『復讐』なんですよね。私はお前達に傷続けられ過ぎて、その上頓珍漢なアドバイスまで寄越して。殺人者と何ら変わらないじゃないかと言う思いを認めて遺書にして、命を対価に世界へ復讐する心算だったんです。私の死体はお前たちの罪の証拠だよって示したかった。お前達が私を殺したんだと主張するためのツールでしかない。
私が今生きているのは多分たまたまの幸運と言うやつで、若しかしたらもうこの世に居なかったかもしれない。もし遂行出来ていたら、私の魂は何処にも行けないし、行く前に消滅するんだと思う。自殺したら地獄行きとか関係ないよ。傷つけられ続けた人が誰も傷付けずに消えるのに迎えない天国なんて要らない。




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