▼2026/03/28:現実は研磨する、恣意的に整えるこころ。
職場での悩みとか、嫌な事とかその逆とか、何処までここに吐き出して良いのか分からなくなる事がある。身バレの心配とかだけでなく、書き残す事が自分に何をもたらすのか分からない事があるから。ただ、あくまでもここは私の日記帳で、好きなように書き散らして良いんだと思う事にした。
人と人との関係って、あまり対等だと思い過ぎない方がうまくいくことがあるなぁと最近感じる。上とか下とかじゃなく、対等であるべきって前提を捨てた方が自分が楽になるって言うお話。よく、相手がお客様なら全然腹が立たないのに(仮に立ってもやり過ごせる)その他の人が相手だとムカついて仕方ない事が起こる。家族なら、友人なら、親しい人なら分かってくれるはずと思ってしまう。それが良くない場合もあるんだって最近気づいた。
期待しないのとは少し違う。初めからそう言う物だと受け容れておく。その方が楽なんだよね。
この前自分の感情が昂り過ぎると後で辛いから、敢えてセーブするみたいな事を書いたんだけど、それが良いとされる感情であっても私の場合、その後で絶対落ちるんだよね。鬱転まではいかなくても世界中に中指を立てる私が居る。自分にとって不快な人を全員ぶん殴ってしまいたくなる。皆不幸になってしまえと考える。
でもこの感情も割とすぐに落ち着いて、何もなかったかのように過ごしていることがよくある。思い出すと後で怒ったりはするけれど。けど、渦中に居る時は本当に辛い。今でこそ『これはいずれ過ぎ去るものだ』と解かっているけど、解かっていても辛い物は辛い。
良い事や嬉しい事、楽しい事の後でマイナスに振り切れてしまうのは双極症の典型的なパターンらしい。今の所私は統合失調の症状の方が強いからそっちの薬を飲んでるけど、感情の上がり下がりが激しくならない様にと指導されている。でないと後で辛いから。
殆どの時間で軽めの躁状態だから、周囲からは『元気な人』『エネルギッシュ』『体力がある』と評されるし実際そう言う一面もあるけど、元々のと言うか本来の私は割りと冷めてるしドライな人間だ。恥ずかしがり屋だったのは幼稚園の頃で、いじめられていた事を除けば育てやすい子供だったらしい。
あんなに生きるのが辛かったのにな、とよく思う。
どうしても他の人と同じように出来ない、どうしたって『普通』が良く分からない。『常識』とか『普通』ってきっとその人自身の中にしかないんだけどさ。
信じたくないけど、私は疎まれる事も多いらしい。そして対等な人間はそう多くない。一人の人間として扱ってくれる人達ではあるけど、もしも子供の頃彼等彼女等と同じ教室に居たら、友達にはなっていないと思うんだ。
完璧な人なんていない。いなくて良いしそれが当たり前。そう割り切ってしまえば人間として生きやすくなるだろうけど、何か大切なものを忘れてしまいそうな気もする。でも楽に生きられる方法や場所を遠ざけたって、私が辛いだけだ。
何かを得るために別の何かを諦めるべき時が、来ているのかもしれない。