memo

▼2026/03/31:広げる両腕、届かないなら延ばせたらいいのに

小説のアイディアが幾つか思い浮かんでいる。

暫くあまり書いていなかったと以前話したけど、あの後やっと一本書き上げられたんだよね。普段とは違う登場人物だったのもあって難しくて、でも納得の仕上がりには持って行けた。評価はあまり奮わなかったけど、書き上げて投稿できただけで十分満足。沢山いい評価をして貰えなくても楽しめるのは結構幸せな事だと思ってる。自分で書いた文章ってさ、何処までも自分の趣味嗜好に合ってるからやっぱり面白いんだよね。勿論評価されれば別のベクトルで面白いし嬉しいんだけど。

今のSNSに来てからの友人にはほとんど毎回感想文を書いてもらえてるから、彼女からの評価だけでも充分なのかもしれないと感じる事がある。でも無くてもやる気が削げるとか落ち込むとかじゃなくて、次に行こうと気持ちを切り替えるようにしている。

と言うか、自然と切り替わる。自分の作品への愛が薄いとかではないと思う。
ただ、書き終わったら次に行かないと思い付いた話を忘れちゃうかもしれないし書きたい衝動もおさまらないから次に行く。結局書きたいから書いてるだけなんだなと思うし、私はアマチュアだからそれで良いと思ってる

良い作品の種を拾うのは、創作をしようと意気込んで考えた時じゃない事が多い。歩いている時のふとした瞬間や見掛けた文字列からの連想、聴いている音楽のフレーズが耳に残ったり、別の作業に没頭している時に一瞬脳内を何かが掠める。言葉として思い浮かぶ時もあれば映像だけの時もあるし、それ等両方だったり、タイトルや印象的な台詞だけだったりもする。

『拾う』と書いたけど、流れてきたのを受け止める時や、降って来たものを抱える事もある。大きさ(情報量)は色々なんだけど、大体が『思い付こうと考えている時』じゃなくて『油断している瞬間』や『ふっと気の抜けた瞬間』がほとんどだ。
創作の何が難しいって、良いものを書こう、思い付こうとしたらあまり思い付けない事の方が多い事だと思う。初めに作品の種みたいなものがあれば別だけど、0から思い付こうとすると難しい。少なくとも私は0から創り出すよりも1を2とか3にする方が向いている。

けど、考えてみたらアイディアがふと湧き出している時点で0じゃないのか。そのアイディアはこれまで私が見て訊いて経験したものから生まれてるんだし、脳内にストックでもあるのかな。アイディアになる前のそれらが一つずつ成熟して、ぽこん、と生まれる。
もし自分の脳内のストックへ自由にアクセス出来たらどうなるのかな。アイディアが生まれる瞬間ってどんなんなんだろ。細胞分裂みたいなのかな。じゃあ幹細胞みたいなアイディアや分化前の小さなものたちが無数に出番を待ってるのかもしれない。
この国の人は平安時代から小さい物は皆可愛いって言ってるし、自分の作品が愛おしいのはそれが理由なんだろうか。愛着とは別でね。

今回の作品は、登場人物の気持ちを短歌として詠んで、それをそれぞれの章のタイトルとテーマにしたい。もう短歌は書き上げたから、肉付けをしていく段階。元々文章を短く纏めるのが苦手で難しいと思ってたけど、ワンフレーズ思いついたらどんどん書けた。
これも新しい試みに入るんだろうね。創作って言うのは変化し続けることが大切らしい。じゃあ、切り替えが良過ぎる特性も、思いの外、悪くないね。


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