memo

▼2026/04/02:なるべく鋭いと良いよね、短い音節に詰め込む情緒。

これから書こうと思ってる小説についてのお話。

去年頃、SNSで自作の短歌を発表している人を見かける事が多かった。主にXでだったんだけど、pixivでもたまに見かけた。五七五七七、の三十一文字に自分の感情や思いを載せて表現できるのが格好いいなと思って、真似しようと考えても当時はあまりうまい事書けなかったのを覚えている。タイプが少し変わると、小説作品の登場人物に短歌を詠ませてそれを章のタイトルにしたりタイトルへの伏線にしたりして、それも格好いい。

もともと私も古文は得意な方なんだけど、勉強するのとそれを活かした作品にするとでは少し違うらしい。

で、つい一昨日の話なんだけどさ、仕事しながら急に脳内に短いフレーズが過った。『それでも種蒔く冷え切った手』と流れた瞬間はよく分からなかったけど、何となく忘れられなかったので脳内のメモ帳に残しておいた。その日は割りと暇と言うか頭よりも身体を使う仕事が中心だったからか、脳内では別の事を同時に考える余裕もあってさっきのフレーズを脳内で広げてみる事にする。音を数えてみると14音。あれ? と思う。これは五七五七七の後半に当てられるのでは? と考えが至ったら止まらなくなった。
其処からは仕事しながら短歌の前半を考えて、登場人物を何人にするかとかタイトルはどうするとか考えた結果、退勤する頃には小説の概案も完成していた。これから書き始めるから文字にした時どうなるかはまだ分からないけど、結構いい感じの作品になる気がする。

今回登場人物は四人にした。いつも書いてる人たちだけど、着想元や書き始めがいつもとは違う形だから文章の言葉選びとか文体とかもいつもとは少し変えたいと考えてる。旧仮名遣いとか旧字体とか、使いこなせたら格好良さそうだと感じてたものを調べて使ってみたい。
文章の質感は滑らかだけどヒヤッとする感じにしたい。温度感が低めと言うか、暖かくは無くて、触れたら少し冷たい感じ。花冷えの時期は本州じゃあもうとっくに終わったんだろうけど、丁度それくらいの温度感。北海道はまだまだ肌寒いから今の内に書き上げた方が臨場感が出そう。もし文章に感触があるとしたら、理想のそれは百合や桜の花弁に触れた時と似ている。

普段から小説を書く時は、季節感が分かり易い物を書く傾向がある。情景描写を入れないと物語を巧く描けないと言うか、説明不足と感じる事が多い方だから。それに加えて倒置法もかなり使う(この日記もそんな感じだ)。文章を書くのが趣味になったおかげで色んなSNSで発言する時に文章を褒められるから、小説を書く事にした中学生の頃の自分を褒め讃えたい。
実は、海外にも私のファンがいるらしい。今のSNSで書き始めて少し経った頃、丁寧な日本語で感想文をくれた女性が居た。彼女はマレーシアに住んでいて、日本語を聞く事も読む事も出来るけど書く事には自信が無いと言って、翻訳機も使ってその文章を書いて送ってくれた。日本から大分遠い場所の彼女はその後もメッセージを送ってくれて私も日本語で返して、彼女はいつの間にか翻訳機が無くても日本語を書けるようになって、今では遠い場所に住む友人になった。
彼女は宗教の関係上自分の趣味を大っぴらには出来ないらしく、周囲には『日本語の勉強を兼ねて日本人女性の書いた文章を読んでいる』と話しているらしい。今はもう社会人だけど、初めの頃は大学で日本語を勉強していたのもあって家族や友人には『意識が高い』『勤勉な人』という印象を持たれていたらしいと話していた。

『嘘は全くついてないんだけど、その日本人女性が書いてるのはボーイズラブ小説で、それが面白いから読み込んでいたら日本語が出来るようになった、とはあまり言えない。でも面白いし勉強になるのも本当』

楽しそうで、かつネイティブに近い彼女のメッセージに、それはそう。と私は思い交流している。

で、この前も別の外国籍の女性からメッセージを貰った。彼女も翻訳機やAI(先述の彼女の頃にはあまり一般的じゃなかった技術だ)を駆使して作品を楽しみ、感想を送ってくれたらしい。所々に翻訳し切れなかったのであろう単語が混じっていたので調べてみると、恐らく彼女は台湾か中国出身の方ではないかと推測できた。漢字を使用しない文化圏では有り得ない単語だったのと、英語は流暢に使える辺りからの推測だ。私が返信する際『自分も外国語圏の作品を読みたいから外国語を勉強している』と書いたからなのか、彼女はその後日本語と英語両方の文章でメッセージを送って来た。先に自分の得意な英語で文章を考え、日本語に訳すという感じだと思う。

彼女は『自分の思いを正確に(少なくとも日本語よりは正確に)伝えられると考えたから、英語でメッセージを送っています』と書いていた。それを読んで理解した時、毎日デュオリンゴで英語を勉強している私のなかに火が付いたと言うか、この熱意に応えたくなってじゃあ私も英語で書いてみるかと発起しスマートフォンとパソコンを往ったり来たりしながら英作文をした。
割りと長い戦いになったけれど、良い感じの文章を自力で書けたのでchatGPTに添削して貰い、体裁を整えて送信している。返信はまだ無いけど、思いが伝わっていればそれでいい。

やっぱりさ、自分が時間をかけて頑張って書いた文章を褒めてもらえたらそれだけで嬉しいし、読みたいから頑張って外国語を勉強している人は素直に応援できるじゃない。私も英語圏の作品を読みたいが故に英語を勉強し始めたのが素地にあったから彼女たちと交流できている面もあるし。

学生時代の私は思っていたより勉強を頑張っていたのかもしれない、と今感じてる。学生だった頃に覚えた知識や触れた書籍の内容がいまの作品作りに活きている。それと同時に、昔の教科書やノートを取っておけばよかったなと少し後悔している。特に高校の頃の教科書とかノートって大分貴重な資料になってたんじゃないかと思うんだよね。記憶だけじゃ不明瞭なら調べればいいんだけど、当時考えてた事と現在の比較から面白いものが書けたかもしれないと思うから。

勉強の大切さを知るのは大人になってからとよく言うけど、何で子供の頃は自覚しにくいんだろう。強制されるのが嫌なんだろうけどさ。『勉強』って言葉自体、勉める事を強いているわけだし。でも本当、人生を楽しみたいなら勉強は大切。『人生』は主語が大きいか。

ただ、今回みたいに外国語圏のファンが出来たらより深い部分での交流と言うか、思いを分かち合うみたいなのに勉強が役立ったから、やっといて損はないなと感じた。
短歌を元にした小説を書きたい気持ちを強くしてくれた出来事でもあるんだよね。彼女たちがどんな風に受け取ってくれるのか楽しみだから。ネイティブじゃないからこその感想が彼女等の中に生まれる瞬間が訪れるなら、リアルタイムで立ち会えなくてもワクワクするの。

きっと、私は伝えたい事が多い人生を送ってる。それを文章に出来るようになった上に沢山褒められるようになったのが嬉しいからついつい書いちゃうんだろう。『読みたい』と『書きたい』のマッチングアプリみたいな話だ。


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