▼2026/04/17:彼岸のパレードが咲く、香りも無いのに心には刺さった。
自分にしか分からないと思って綴った文字列の意味が、稀にきっちり通じてしまう人に出逢う事がある。人間の考えている事は本人以外に全容が知られる事は無い筈なのに、うっかり一言二言通じてしまったから総てを解かって貰えると思い込む。恋は美しい誤解から始まるらしい。と或る人の一面だけを見て『なんて素敵な人だ!』などと想いが芽生えるから早めに摘み取らないといけない。双葉だけならば千切れるけれど、さらに伸びてしまったら最早、刈り取る刃も持てない。
なんて書き出しの小説を考えている。少し前に此処に書いた短歌からイメージを膨らませた小説ね。今のジャンルに来てから新たな取り組みを繰り返してきたけど、苦手だと思っていた短歌を詠む事も出来るようになるとは思わなかったよ。
主要な登場人物全員分の短歌は考えてあるし、次の休みには手をつけよう。三万文字超えは厳しそうだけど、少し長めに書いてみたい。最近は一万五千文字前後の短めの話が多いから、ここらで思い切り情景描写にも力を入れた長編を書いておきたい。
タイトル候補は幾つかある。実ははじめ短歌の文字数を数え間違えてそれに由来するタイトルを仮題にしちゃってた。でもそれもネタにしてみようかと思ってる。やっぱりさ、転んだらタダでは起き上がりたくないじゃない。
こういうのも言葉遊びに入るんだろうか、日本語は面白いね。ダブルミーニングとか寓話とか暗喩とか、知ってる人にしかピンとこない笑いのポイントがあったりしてさ。これも教養かな。
そもそも教養って何なのかな、と最近たまに考える。教養の無い人と話すのはつまらない、と見掛けたのがきっかけなんだけど、そもそも教養には何通りも種類があるというか、ベクトルが違う気がする。本を読まない人や演劇に興味の無い人が決まって教養がないかと訊かれるとそうは限らないじゃない。
前に『フィクションやエンターテインメントの物語が苦手だけど、歴史書や実用書は大好きだしドキュメンタリーじも興味がある』って人と接する機会があったけど、あの人は私とは別のベクトルで教養ある人と感じた。教養って一言で言ってもどの分野なのかは人それぞれだよね。
スポーツとかアイドルとかお笑いにも教養があるとより楽しめる一面があるし、教養が無いと評される人も楽しめる物にして置けばファンの間口は広くなる。楽しむ事自体には教養のあるなしは関係ないと見える物の奥が思いの外深いと、こっちも面白くなってくるしさ。
何でも楽しんだもの勝ちなのかもしれないね。とっつきにくい物とか、たまたまその時肌に合わなかったものが時間の経過とともにフッと馴染む事もある。私にとってはそれが短歌だったわけだけど。
中学くらいから物語を書き始めて、それまで親しんでいた読書のお陰で教養の素が育っていたおかげで今はいろんな話を書き散らしている。ただ、文章を書く事への自信は初めの頃からあったわけじゃない。褒められる事もそんなに無かった。『ただ書きたいから』書き続けていたらいつの間にか評価されるようになってたってだけ。教養もそんな感じじゃないかな。教養の為に情報や知識を身に着けても良いんだろうけど、楽しんでいた方が『馴染み』は良くなると思う。
最近思い出した事があって、高校生の頃に或る古文の先生が苦手だったんだけど、彼女の教え方が今になって理解しやすい物だったと気付いた。何で古文の授業で英語を使うんだろうと不思議だった。でも別の言語(でも意味は理解している言葉)で解説されるとするっと頭に入って来ていた事に気付いたんだよね。
語学の勉強をする時に複数の言語を使って記された本(対訳本だったかな)を使うと勉強が捗る事があるらしいとは知ってたんだけど、彼女がやっていたのは『異国語にも似た嘗ての日本の言葉』と英語を対訳させることに似ていたような気がする。気付くのが大分遅いね。先生、お元気だと良いな。
病気になる前から物を覚える事は得意だったと思うけど、一回脳の情報を記憶する回路が組み替えられたような気がしていて、昔と同じ覚え方は出来なくなったと感じてる。きっと、思い出せないように処理された記憶が多いからだ。
昔からサブカルチャーに近い場所に居る感じは強いんだけど、敢えて流行から逸れた道へ行こうとしていた昔と違って、意識しなくても一般とは味付けの違う物を作る傾向が強くなっちゃった気もする。流行の物も一旦味わってみて自分風に味変しちゃうというべきか。わりと『普通である事』に重きを置きがちな生き方をしてるのにね。
とことん尖って生きようと思っていた学生が、角は取れたけど甘くて柔らかい中に針や釘や毒を仕込んだ物言いをする大人になっちゃったよ。言葉の攻撃力が上がり過ぎそうな時はなるべく柔らかくしようとしてるんだけど、それでも時々急性毒性を持った爆弾を放ってる時がある。せめて火消は自分でやらないとなぁ。
誰にでも使えて幾らでも研ぎ澄ませることができる武器を結構巧く使えちゃうことが怖くもあり、楽しくもあり。どうして目には見えないものの方が大切で強いんだろうね。不思議。
こうやって形を持たせることができるのが『言葉』の面白い所かな。蝶のように舞って、蜂のように刺す。多分、私はスズメバチ程強い毒は持てないけど。