memo

▼2026/05/07:名の無い英雄、イニシャルくらいは刻んでおこうよ

精神科の定期受診をしてきた。今日も主治医は優しく私の話を聞き質問や疑問に答え、しっかりと薬を処方してくれたのだが、彼は今月を持って今の病院を離れるらしい。来月以降の受診では主治医が変わる。
正直、あまり不安はない。今の主治医以外の先生方も良い医師ばかりの病院へ通えているし、彼よりも年下の先生らしいので『年齢を理由に勇退』はまだ先の方のようだ。優しくて良い先生だからと説明もされているし。ただ、世の中って変わりゆくものだと感じる機会が最近多い。ずっと恒久的に続くだろうと思っていた事柄がある日を境に急に変化する。目まぐるしく感じる事もあれば変わった事にすら気付かず過ごす事もあるのだろう。

下の記事で『毎日夜食を貪ってしまう』と書いたし、結局昨日の夜も夜食を摂ってしまった。しかしこの行動の理由が、今日の受診で何となく掴めてきた。私は元々離人症状が強いタイプの人間だというのは前に書いたけど、常にうっすらと自分から解離して別の場所に居る気分を味わっている。現実味が薄いというか、常に『自分と言う役』を演じているという感覚に近い。日常的に自分が自分じゃない状態で、それが常態化しているわけだけど、そんな中で『完全に自分に戻れる行動』が幾つかあって、その一つが『食べる事』なのだ。
食べる事は大好きだ。美味しい物の情報はいつだって私をときめかせるし、肥るのが嫌だと思っても『じゃあ絶食します』とはならない。美味しい物を食べつつ多少は激しめの運動する方がよっぽどいい。
食べ物の味って、食べている本人にしか感じられないものだ。そうなると否応なしに自分に戻れる。瞬間、酷く安心する。この感覚を味わえる行為はそんなに多くない。食べる事以外には『画く』『筋トレなどの運動をする』『縫い物をする』など、自分の目の前の物や自らの動きに集中していられる行動だ。
主治医にそれを伝えると「『マインドフルネス』ですね」と言われた。自分と言う存在に集中する事、自分と言う存在を見つめる事。それが私の離人症状には良いらしい。自分が自分であることを思い出す、みたいな感じだろうか。

嘗ての私は自分が大嫌いなのにそれでも自分が一番かわいい存在で、でも生きるのが苦しかった。今も時々苦しくなる。
生きる事は楽しい。面白い毎日だなと思う。たまに虚しくなるのは多分病気の双極症部分の仕業で、鬱転まで行かなくとも楽しい事の後では必ず気分が落ちるから。その虚しさを味わいたくないからと楽しむ事にセーブをかけるのも何か嫌だと思って、つい全力で楽しんでしまう。後で落ちるのは分かっているのに昇ってしまうのは最早登山と一緒かもしれない。ずっと頂上には居られない。いずれは下山しないといけない。
それでも自分以外として生きる事は出来ない。これが私だし、これからも私であり続けるんだろう。その事に疲れてしまったら少し休んで、また進む。休んだり立ち止まるのは罪じゃない。この先も進み続ける為に必要な休憩だ。
思えば今の仕事を始めてもうすぐ一年だ。あっという間に一年経ってしまったけれど、この一年で色んなことを身につけられた。
生きていると、時々過去の事を忘れてしまう。今この瞬間『私は頑張っていない』と感じたとて、ほんの十分前には何かしらの努力をしている事の方が多いのに、自分にはまだまだ努力が足りないと追い詰める。肉体への自傷は全くと言っていいほどやらないのに、心にはグサグサと棘を刺している。自分と言う役を演じる私は出来損ないだとばかりに傷をつけて、その痛みを癒すべく過食する。
やっぱり、解離しているのが良くないのかな。自分を大切にするって、甘やかすのと似ていてでも違って、じゃあどうすれば良いのかって、書きながら今も考えてる。本当の意味で私を大切にするのって、相当に難しい事なんだと思う。
それでもさ、なるべく傷を負いたくは無いじゃない。だから今夜こそ歯磨きの後は何も食べないよ。明日、目一杯好きなものを味わおう。



←前へ | 次へ→