▼2026/05/19:興味と過剰が不足する、学べないのは罪じゃなかったのに
最近、物騒な事件が多いね。まあいつの時代もとんでもないような事件は数多く起こっていて、現代と違うのは其処まで報道されてこなかったって事だと思う。京都府の事件もそうだし、栃木の事件もそう。そんで私の地元である北海道でもとんでもない事件が起きてしまった。旭川の闇、みたいな報道やネット動画を見ていると人が生きている限り何処にでも闇は生まれるのになとは感じる。
大分前に『ケーキの切れない非行少年たち』って本が脚光を浴びたのは知ってる。それ以来なのか、たまたま時期が被ったのか『境界知能』って言う謂わば『知的障害のグレーゾーン』についての記事も多く見かける。前の病院に通っていた時に私自身もそうなんじゃないかとか、そうでもなくとも発達障害もあるんじゃないかって知能検査を受けたんだけど結果は『知的には健常者』で『非定型発達』だった。知能指数は104。日本人の平均に若干届かないくらいで、定型発達とは言えないけど発達障害とも言い切れない。まさにグレーゾーン極まれりな結果。ただ、あの検査の時はきちんと結果を伝えてもらえてないからもう少し詳しい書面が欲しかった。
その後病院を移ってカウンセリングを受けて今に至るのは前にも書いたね。前に障害者職業センターってところで受けた検査だと『言語や情報の取り扱い』のスコアは150くらいなのに対して、『計算や数字を扱う』スコアは80くらい。でももっと低いのは『身体や道具を巧みに操って作業をする』だった。これのスコアは50を切ってる。
たまに発達障害の子供さんは体育が苦手な事が多いと見聞きする事がある。身体を器用に使うのが苦手なんだよね。私も外れることなく体育が本当に苦手だった。でもこれだけ凸凹があっても就職できたし、手先は器用な方だと思う。手芸も好きだし料理も得意だ。ただ、物の場所を決めてその通りに片づけるのは苦手。以前通っていた就労移行支援ではASDよりもADHDの要素の方が強いって言われてた。でも自分が生活している空間は今の所綺麗に保ててるし、職場の清掃も得意と言うか、結構好き。
目の前の荷物やごみを綺麗に片づけられるとちょっと嬉しいから、時々気合いを入れて部屋を大掃除してる。この前もやったんだけど、かなりすっきりしたし気持ち良かった。基本的に床は見えているし生ものを放置もしないし、ゴミは直ぐにゴミ箱へ処分、そして決められた日に廃棄している。
これくらいの事が出来てしまうとやっぱり発達障害とは言い切れないんだろうな、と周囲の話を聞いて思う。
話が飛んだね。境界知能について話してたんだった。
現在境界知能と呼ばれる人たちは、元々軽度の知的障害に当たるグループに属してたって言うのは大分前に知った。今思えばあの子もそうだったな、っていう同級生も何人かいる。統計だと一クラスに数人は居る事になるらしい。元々は軽度知的障害に当たるのにグループが変わってしまったのは『そのままだと知的障碍者が多くなりすぎてしまうから』でもあったらしい。支援のリソースが足りなかったんだと思う。で、先述の書籍では非行に走ってしまった子供達には、知的能力に問題がある場合が結構多いという内容らしい。ざっと読んでみたけど初めて会う人にいきなり『この円をケーキだと思って3等分して』って言われたら私も戸惑うし、正確に三等分するには補助線を引かないとうまくいかないから、『下書き用の鉛筆と清書用のペンと直定規をください』って言うかもしれない。まああの本で言ってるのは所謂『車のベンツのロゴみたいに3等分して』って事なんだろうけど。ただ、知的能力に困難があると生きていきにくい世界だなと感じる。なまじ国民の識字率が高くて、一般的な小学生であれば簡単な四則演算なら4年生の頃には大体できてるから、そうでない人が悪目立ちしてるんだとも感じる。
前に通ってた就労移行支援にもそう言う人が沢山居た。でも逆に一般的な人よりも知能レベルが高すぎて苦しんでる人も居た。一般とされるゾーンに属してない(つまりは落ちこぼれと浮き零れ)人達には暮らし辛いようにして来てしまったんだと思う。でもじゃあどうするかって、『他者の行いに寛容になる』『それでも許しちゃいけないラインを見極める』『苦手や困難を抱える一人一人に合った対策を本人と周囲両方で考えて実行する』くらいなら今の私にも出来そうかなと思う。
配慮を求める時ってまず、『私はこれが苦手だから配慮してください』じゃなくて『これが苦手だからこういう工夫をしています。努力しても難しい時には協力してください』って言う姿勢が大事なんじゃないのかな。そしてその姿勢を取れるように親や周囲が指導するのが良いんだと思う。教えてもらえなかった事を自発的にするのはかなり大変なんだよ。でも一言声をかけてもらうだけでぐんと伸びる人達は沢山居る。私が社会人になって直ぐの職場では先輩方のアドバイスを元に自作のマニュアルを作る事で仕事ができるようになったし、そのマニュアルは先輩方に添削して貰ってたから、其れさえあれば難しい仕事でも安心して出来た。でもこれ、自分だけじゃ思いつかなかったと思うんだよね。先輩が『こうすると良いよ』って教えてくれて、それを私が素直に聞き入れたから。
『素直な事』って武器なんだなと思う。今の職場でもこれは継続してて、マニュアルをへ落とし込む為にきちんと指示を聞いて質問できるようにもなった。
あの事件群の加害者達はどんな人たちなのか、本当の意味で知れる機会なんて無いと思う。でももし、私の周囲にそうなりそうな人が居たら。彼等彼女等に『自分にとって耳が痛くても指摘してくれる人には素直に聞く姿勢を持っておくと後々楽だよ』ってアドバイスしたりするんだろうか。
耳に痛い事って、自分でも心当たりがあったりするんだよね。『出来ないのに指摘しないでよ』とか『頑張ってるのに認めてもらえない』って突っぱねるより、或る程度素直に聞いておく方が得なんじゃないのかなって最近よく思う。
なるべくなら、歳を取っても素直に指摘を受け容れて改善して、学ぶ姿勢を忘れないようにしたい。たまに言うじゃん『実るほど頭が下がる稲穂かな』ってさ。