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▼2026/05/22:甘味と塩味をサクサクいただく、真夜中じゃなかったら珈琲も淹れるんだけど

結局あの後泣きながらクッキーを一箱分食べちゃったよ。お気に入りの奴がお菓子箱に在ったんだ。換算すると二時間くらいかな、ずっと泣きながら音楽を聴いて、クッキーをサクサク食べてた。本当は良くないって分かってる事だけど、真夜中の甘い物って美味しいね。特に小麦粉が入っていたり軽く塩気が効いていると尚更。
少し前から仕事で辛い事が続いていて、それでも早退も遅刻も欠勤もせずに働いてたんだ。私は健常者に見え過ぎてしまうタイプの障害者だから、ほかの人から見て心が傷つきやすいなんて誰にも分からないんだと思う。うちの会社的には『自律の出来る精神障害者』が欲しいと思って掛けた求人で応募してきた人間だから、此処まで苦しむ事があるのか想像できなかったかもしれない。事実普通のフリして働いてたしね。

同居しているおばあちゃんは『そんなんで一人暮らしなんかできるの?』と言う。私としては『いずれ絶対に一人になるんだから、出来るんだよ』と答えるしかない。

メンタル面以外は一人暮らしして問題無い生活力があると評価されてる。金銭管理も上手くなってきた。それに、本音を言うなら死にたくはないんだよ。辛い事から逃げたいだけ。嫌な事を味わいたくないだけなんだ。生きている以上、それは難しいんだけどね。
『人は考える葦である』って言うけど、考える力があるから辛い事があるのと同時に素晴らしいものを作り出せるんだから、結局私は人間で良かったと思うんだよ。今こうして文字を綴る事も出来てるし。
前にYoutubeの動画で見たんだけど、人間って言う生き物は弥生時代くらいまでが一番幸せだったらしい。気持ちの面ではね。それ以降は民族間の諍いや同族間の争いで大変だったみたい。そもそもが今の文明は人間の心の作りに鑑みると、不幸を感じるようにしか出来てないんだって。
まあこれはその動画で話していた学者さんの持論だけど、じゃあ私がこんなにも生きにくい事があるのは仕方ない事なんだなって諦めもついた。

じゃあその上でどうやったら幸せになれるのかって、ひとりひとりが考えるのが自然で建設的だと思う。

私の場合それには一人暮らしとチワワとの出会いが必要条件なんだよね。昨日もそう考えた。今此処で全部終わらせたらあの子に会えないままなんだって、それは嫌だって抵抗してた。
元々子供を産みたいと考えた事は無くて、犬と暮らすのもあまり考えた事が無かった。今の仕事が動物の為の物を売る仕事で、生体販売分野のブースにもよく行くからどうしても毎日犬を見る事になって、結果お迎えしたいと思うようになったんだけどさ。
命を預かる責任は感じてる。あの子をお迎えした瞬間から、私の一番はあの子になる。私はその次だ。そうしてでもあの子と暮らしたい。夢の中で『ママ!』と呼びかけてくれたあの子が待ってると思うと、じゃあ頑張るしかないかって立ち直ったわけだ。
心が疲れた時、あばら骨の間がすかすかする時は、カロリーの事は置いておいて甘い物を食べてもいい事にした。今後も辛い事は山ほどあるだろうし、自己対処の一つとして心を守る術にしておく。運動で消費するのは元気になってからで良い。今の所健康を害するほど肥ってるわけじゃないんだし。
それに、昨日の私はクッキー以外にも沢山食べるものを用意してたんだけど、クッキーだけで十分満足して回復できたんだ。全部を諦めた訳じゃなかった。ちゃんと未来のことを考えられてた。じゃあそれで良いんだって、あれでも本当に生きていたかったんだって、認めてあげて良いのかもしれない。

苦しい事から逃げるのも、立ち向かうのも、生きていたいからだ。逃げて自分を守るのか、立ち向かって原因を解決するのか、スタンスの違いはあっても生きる方法の一つには変わりない。それぞれの行動をとった人なりに生きる事を考えた結果だ。だから万人に通じる『正しい生き方』みたいなものは多分無くて、一人一人がその場に応じて考えて生き方を模索する。全部正解を選ぼうとした結果なんだ。敢えて不正解を選ぶ事もあるのかもしれないけどね。

今こうして文字を綴ってみて、昨日の夜とは全く違う考えを持ってるなって思う。昨日の言葉の鋳型に流した思いはすっかり冷めて形が整って、触っても痛くも熱くもない。振り返ってみても『ああ、辛かったけど文字にしたのは正解だった』って思う。昨日あれだけ激しかった思いに形を与えて落ち着かせて、しっかり眠ったらもう元気だよ。今日も明日も明後日も、多分人生は続いていくなぁって実感してる。何だかんだで時間は止められないし。

仕方ないけど生まれてきちゃったからさ、元は取れるくらいに生きていこうと思う。


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