▼2026/06/06:菫の花を砂糖へ浸す、白ワインも用意したいね。
ロリータ系のハンドメイドイベントに行って来た。全体的に道外の作家さんが多く呼ばれている印象。北海道って地理的に他の都府県よりもこの手のイベントには不利なんだろうけど、それでもロリータ仲間は多くいると知れて嬉しかった。会場に早くに着いてしまって、入場できる時刻までかなり時間があったので近くの純喫茶で紅茶とスコーンを注文。たまたま焼きたてのスコーンをいただけて美味しいし嬉しい。普段は珈琲ばかり飲む性質だけど、今日みたいにロリータファッションで全身を統一しているなら紅茶の方がきっとお似合いだ。イベントの感想を書こうと思うんだけど、以前此処で考察した事で感じ方が変わった気がする。
まず、今回のイベントはかなり規模が小さい。そしてイベントの参加者(出店する側)はイベント主催者側から声をかけているらしい。元々ロリータ系のハンドメイド作家は横のつながりが強いらしくて、優れた作品を生み出す人は東京とかに常設の委託店を持つことが多い。後は大阪や名古屋、福岡辺りでポップアップをする事も多いらしい。
作家を目指しているのだし、勉強も兼ねてしっかりと会場の隅々まで見て来た。見て、というよりも観察かもしれない。
今回の作家さん達は主催者側から声がかかるのもあって作品のクォリティが素晴らしかった。展示の仕方も同じく。ゴシックロリータを好む人たちは細かな意匠を持つものや良い感じの人工的さを好む傾向があるように感じる。だから見やすさと同時に『雰囲気を壊さない演出』を求めてくるのだろうと思う。可愛らしさとダークな美しさ、両方ともに目にする事が出来た。と同時に作家さん達は販売に慣れている事もあってフレンドリーだった。ハンドメイド作家としての自分、生み出した作品に自信を持っている事が伝わってくる印象と謙虚さはあるけど謙遜はしていない感じが好ましい。人に対して阿る必要はないんだけど、選ばれる立場でもある以上は謙虚さは忘れない方が良い。でも謙遜し過ぎたり自分を卑下するのは良くない。だって目の前の誰かは自分の作品を『可愛い』と思って手に取ってくれるんだから、自信を持って見せられた方が絶対に良い。そのくらい自信を持てるように作品のクォリティを高められたらいいなと思う。
話が少し変わるんだけど、ここ何年か私は自分の事を、主に見た目と言葉遣いに対して『可愛い』と感じる事が増えている。子供の頃は本当に自分に自信が無かったし、『暗い子』とか『地味で可愛くない子』と陰口を叩かれる事も多かった。実際、あの頃の私はあまり自分の『見せ方』や『磨き方』みたいなものを知らなかった。
当然自分の事は可愛くない方だと感じていたし、美人と思うなんて全くなかった。服装の趣味もあって『対して可愛くも無いのに洋服ばかりかまけている』と自分の事を卑下してたように思う。
でも今は自分なりに自分を可愛くする方法が分かって来たし、身についてきた。何より私の『素材』は決して悪くなかった。肌質にしろ髪質にしろ、恵まれている方だと思う。長年使ってきた眼鏡を外してコンタクトレンズを使用するようになってから、周囲からの見られ方も変わった。
元々極度の近視で、眼鏡をすると実際よりも目が小さく見えてしまう。それに目元のメイクがあまり映えない。眼鏡をかけた上で華やかになったり涼し気な印象なら良かったんだけど、私はそう言うタイプではなかったという事だ。でもコンタクトレンズに移行して、目元のメイクがやりやすくなって、眼鏡をかけずともメイクをするのが楽になった時、私の顔はこんなに魅力的だっただろうかと感じる事があった。前の仕事をしている時たまたま職場のプロフィール写真を撮られる機会があって、撮影された写真を見た時『驚くほど美人で可愛い私』が其処に居た。
服装にも気を使っていたし、メイクもしっかり施したのは事実。でも他人に撮影された私がこんなに可愛い事なんて以前は無かった。その時、心のどこかでカチリと音がした。たりない何かが埋まったかのように、ピースが嵌まって噛み合ったみたいに。
ああ、私は自分の事を可愛いと思って良かったんだなって、その時思った。
それまでも美人だと褒められなかったわけじゃない。可愛いねと言われる事も多くなってきた。でもあの所謂『他撮り』を見て他の人から見える私を間接的に見て初めて、自分の存在や見た目が悪い物ではないと思えた。
結局『可愛い』『美人』は感じ方とか好みの問題もあるんだけど、自分に自信が無いと心から自分を可愛いとは思えないんだって、その時感じた。だから今は他の誰に見せても恥ずかしくない自分で居る為にも見た目を整える意識が加わった。自分を心から可愛いと思って欲しいから背筋も伸ばすし、歩き方にも気を付けるし、食事のマナーも言葉遣いにも気を使う。
『お洒落』も『可愛い』も人間が生存するために絶対のものではない。でもそれがあると私はかなり生きやすくなるから。強制されるとかじゃなくて、今日の私も笑顔で居られるようにとの自助努力の一つだ。
ありのままの自分はそんなに好きじゃない面も多い。気に入らない箇所なんて幾つもある。だからその上で『可愛さ』や『美しさ』を保つ為との名目で自分の形のバリを取るようにを削って鑢をかけ、磨き上げていく。見た目も中身も恥ずかしくない自分で居られれば、巡り巡って作品への意識も変わると思うから。
勿論これは他人に強いる物ではない。私が私として生きる為の矜持だ。見た目にだけ囚われるのはナンセンスだ。でも自分の中身の一番外側が私の見た目なので、中身を見てみたいと思って貰える容姿で在りたい。
こう考えるようになってからは歳を重ねるのが今はあまり怖くない。その年齢だからこそ楽しめる物は減ったり増えたりして、変化していくから。変わらないものってそんなにないし、変わらずに居続ければ世界からズレた人になってしまう気がする。
きっと私は、可愛い物を素直に可愛いと言える自分でありたいんだと思う。それを自分の見た目にも該当させられるように、可愛い私で居たいんだ。
このこだわりのお陰で自分の事を放り出さずにいられるんだと思う。傷付いたり疲れた時にそれを癒そうと思えるのは私が私自身を『好き』で『大切にしたい』からだ。この意識がある内は多分大丈夫だろうと思う。謙虚だけど自信があって、傲慢じゃないけど自分を可愛いと思えるチャーミングな人で在りたい。