memo

▼2026/07/09:天色を、洗い流すは空を知る、滴るならば愛情が良い

これから、余裕のある時はこのブログのタイトルを自作の短歌にしてみようと思う。詠む気力がある時の話ね。
日常生活を営んでいると、ふとした瞬間思考に隙間が生まれる事がわりとよくある。私の場合脳内の考えや妄想が一定レベルでずーっと続きながら仕事をしている時間の方が長いから、その考えへ急に何かが降ってくることがあるんだ。作品のアイディアだったり、勉強した英単語や薬の成分名とかが何でか流れて、それが私の中の触媒に触れた瞬間小さな反応が起こって頭の中で何か答えらしきものが生まれる。例えばこの前の仕事中、『自分が生まれ持った性の在り方を嫌っていると或るキャラ』と『彼を励まし鼓舞する別の性を持った男性キャラ』のイメージがふっと浮かんで、少しの間をおいて『DomSubユニバースとオメガバースを組み合わせた作品』のイメージと構想に繋がった。とても面白そうだから脳内のメモに書き留めつつ仕事をして、昼休みにSNSへ呟いてみる事にする。反応は特になかったけど(私は普段作品の種を拾ったり思い付いたらまずはXへ呟いている。これで良い反応があればすぐに執筆できるようにしている)、何だか今回は反応を貰わなくてもモチベーションを保ったまま何話か書けそうな気がしている。
元々今のジャンルでは長いことオメガバースシリーズを書いているけど、それとは世界観が別だ。DomSubユニバースも同じくで、だからこそ別の切り口から書いてみたいアイディアが幾つかのエピソードになって脳内に在る。タイトルももう決めた。自分自身の性の在り方に悩み、疎んだり厭っている人を慰め励まし心の触れ合いを繰り返す(時に身体の方も)彼等の話をもう少し脳内で練ったら書き始める心算だ。現在進行形でやりたい事や書きたい物や作りたい物が多過ぎて時間配分が中々に難しい。
やりたい事が多いと時折、どれから手を付けて良いのか分からなくなって、疲れに任せて休んでしまう。私は生まれつき物事の優先順位をつけるのが苦手な性質なのだけど、何かをやりたいのにどれもやりたくない、みたいな天邪鬼めいた考えに陥ってしまって結局スマートフォンを開いてはInstagramを眺めてしまうのだ。若しくはYoutubeチャンネルの新作を漁るか。
目の前にやりたい事がビュッフェ会場のように並んでいるのに、現実的に時間もあるのに何にも手を付けないのは究極の贅沢のようでいて時間の無駄だとは分かっている。ただ足踏みしていてもカロリーを消費するだけだ。ならばすぐにノートパソコンのメール機能を開いて書き出せば良いし、イラストならラフ画を書けばいいし縫い物ならさっさと型紙を引けばいいのだ。この矛盾を如何せんと思うも、本気で取り組みたい事だから機を待ってしまっていて、今取り組んでも良い物が作れないかもしれないと取り掛からない。

どうせなら、良い物を作りたい。

「それなら筆を握るかタイピングするかすれば良いんだよ」と脳の右後ろ辺りでもう一人の私が言う。恐らく私がプロになれないのはこの悪癖も理由の一つだ。プロは気が乗らなくても或る程度のクォリティを保ちつつ何かしらの作品を生み出すというか、捻り出すスキルがある。仕事には〆切があるのだから当然だ。対価を貰うには必須の事項である。
と云う事は私も〆切を設ければ良いのかもしれない。そして対価として何かを用意すれば良いのかもしれない。例えば、大好きなマカロンを二つくらい購入して食べるとか。成功報酬制にしないと動けない事がままあるのが私と言う人間だ。
では、明日の夜までに書きかけの小説を一本完成させよう。それを無事投稿出来たらその次の休みに久しぶりに三越のジャンポールエヴァンへ向かい、マカロンを二つ購入する。そして一番取って置きのお皿に載せてドリップ式の珈琲(普段は基本インスタントなので、此処でも特別感を演出する)を以前お気に入りのカフェで購入したカップへ淹れて一緒に味わう。それが今回の原稿料だ。

時間は有限だし同じ日は二度と無いのに、毎日が同じことの繰り返しみたいに思えて何となく過ごすのはやめにしたらもう少し人生が面白くなるかもしれない、とこれを書いていて思った。元から結構面白いし楽しい人生だけど、同じ日が二度とこないなら、味わい尽くすのも一興か。

やりたい事を消化しきれず終わるのだけは嫌だ。やりたい事はやらないと記憶の彼方へ消えていく、というより、色褪せて別の事をやりたくなってしまう。衝動的に行き過ぎるのは考え物だけど、時にはその衝動のお陰で楽し過ぎる事も味わえたりする。例えば同じジャンルで物書きをする人と一緒に有名人に会いに行って(たまたま同じ市内に住んでいる人だった)、会った後は飲み屋でジャンルに語り合い終電間際まで過ごすとか。

この前専門学校時代からの友人に言われたけれど、私は今かなりエネルギッシュかつ前向きに生きているらしい。彼女曰く、それは私がほぼ毎日行う筋トレのお陰らしい。筋力のある人は体力がある、という言説だ。
現在週に5〜6日筋トレをしているが、疲れにくくなったのか仕事の後帰宅してから何かしらの家事や趣味をしつつ(筋トレも趣味の一つだが)筋トレや有酸素運動(主に踏み台昇降)をしても特に問題は起きていない。運動する時間は朝の身支度中や仕事の準備時間(着替えた後の準備時間)、昼休みにも分散させている。加えて立ち仕事で歩き回る。
しっかりご飯を食べて、お風呂では好きな音楽を聴いてしっかりあたたまり、しっかり七時間半は眠るというルーティンさえ守っていれば疲れを翌日には引き摺らない。これが出来るのは筋肉のお陰だと評された。

ちょっとしたストレスなら、筋トレをして嫌な存在を脳内でぼこぼこにするイメージをするといつの間にかすっきりしている。脳筋と思われても仕方ないかもしれない。そう言えば最近深く考え込み悩む時間は減った。悩んでも考え込んでも、頭の中だけで捏ねているだけでは現実は何も変わらない。物の捉え方が変わる事は勿論あるが、何にせよ行動しないと変わらないし変えられないのだ。
だから、今夜文章の構想を練って明日の空き時間を目いっぱい使って一話は書き上げる。ちなみに5話構成の4話目なので、そろそろ起承転結の『承』は終わって『転』に差し掛かるか。結びに使いたい表現を最高に映えさせる展開と言葉選びを考えつつお風呂に入ろう。

出来れば有言実行の人で在りたいのは、自分こそを裏切りたくないからなんだろうね。


←前へ | 次へ→