memo

▼2026/09/27:意図 思考 掬って紡いで縒り上げる 織って描くは自動書記

久しぶりに趣味の小説を書き上げた。今回は本当に書きたい話を作品にしたい思いが強かったから、〆切も報酬も設定するのを忘れていた。ただ『書きたい』だけで書いたのも久しぶりで、自分でも納得の仕上がりに出来たからか、心が充実してる。書き始める時、実はあまり脳内に文章らしきものは無いんだ。ただ描きたい情景とか使いたい言葉、描写の表現があるから、それらに糸を通して仕上げていく感じなんだよね。ビーズ手芸とか織物にも似ているかもしれない。繋ぐための糸は私自身が縒り上げる物なんだけど、それを使って色々な要素を救ってつなぎ合わせたり、織りあげていく感じ。或る程度出来上がらないと『こんな感じなんだ』って全体像が見えてこない。
でもこの感覚が好きで書いている所がある、本当に書きたいことは書いた上で、後は何処に入れたい表現を入れていくか、若しくは省くか。最終的に主人公がどんな救いを得るのか、若しくは失うのか。何が終わって何が始まるのかも文章の上なら自由自在だ。
今回は最近ハマっている短歌を作品に組み込んでる。まずは短歌を詠んでそこからイメージを膨らませる。一応タイトルになりそうな短歌には幾らかのストックがあって、その時感じた事や言いたい事を並べて読んでる感じだ。だから渡すの感情が結構ダイレクトに顕されて、これは本当に短歌なのかと疑う事も多い。守っているのは三十一音に収める事だけだ。でも詠むようになってから、何となく作品の蛇足部分を減らすのが巧くなった気もする。何事にも丁度いい領域と言うのがあるから。
そして私は自分自身の考えを言葉にして文章を紡いでいく過程で整理しているから、文字を書く事が本当に大切な生きていく上でのスキルなんだなと実感した。
敢えて制限の中で自分を表現できるようになると、丁度良い表現や相応しい言葉も見つかるようになってきたよ。
今日書き終えた小説は4時間半くらいかかったんだけど、それにしては結構な文字数になったし、書きたかった場面を書く事がしっかりと出来た。反省点も多いけどね。

私にとって話すこと以上に『書く事』が自分を救う薬になるんだって、改めて思ったんだ。私が私じゃない私の中でそれでも主導権を握る為の必要事項。きっと明日も私は私じゃない自分を演じる。せめて嘘の無い言葉を紡げたらいいんだけど。







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