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▼2021/02/12:神経は細く、失われた感覚は鋭い

繊細、と言われる事が良くある。小学校の頃は『暗い子』『内気な子』と評され揶揄いの的になったりいじめの標的になったりしていた。中学校に入る時には学区を移ったので知り合いゼロの状態から再スタートを図れたが、結局のところ芯の部分は変わらなかったのだろう、中学校二年生の頃に一度自殺未遂を図っている。此処に来る前のブログを読まれていた方ならばご存じかと思うが、私は過去に二度、本格的な自殺未遂を図り、最後のそれとなった高校三年生の時色々なものを失った。
幾つかは取り戻す事が出来たものの、取り返しのつかなかったものも幾つかある。その一つが『嗅覚』だ。私は現在、匂いを感じ取る事が出来ない。五感の一つが完全に失われている状態である。どんなに強く不快な悪臭でも、逆に心地好く好ましいとされる香りも分からない。
嗅覚と言うのは兎に角繊細で鋭敏な感覚らしい。匂いを感じ取る際、身体の細胞などがどのような働きをするのかはある程度詳しく勉強している。登録販売者試験でも勉強したし、化粧品検定ではもっと詳しく勉強した。嗅覚は五感の中でも鋭敏だが『慣れ』を起こしやすい感覚らしい。例えば、毎日つけている香水の香りにはだんだんと慣れてしまい、自分では感じ取りにくくなってつけすぎてしまったりする。また、トイレの臭いも初めは『臭い』と不快に感じても、割とすぐに慣れてしまう。それは健康な人ならば当たり前の感覚だと病院の先生は仰っていた。
私の最後の自殺未遂は高いところからの飛び降りだ。学校の校舎(三階)からダイブした結果全身に骨折を負い、頭も軽く打ったためその衝撃で嗅覚が失われたらしい。実のところ、気付くのには時間がかかった。何せ入院中は匂いを楽しむような物は持ち込んでいなかったし、普段食事をする際『いい匂いだ』と感じる事はあったものの、それが無い事に気付く事が出来なかった。『可笑しい』と感じたのは作業療法でお菓子を作った時だ。バニラエッセンスの匂いが全く分からず、それを訴えたところ検査となり、嗅覚が無くなっている事が発覚した。

けれど、今現在私は不思議とそれに適応する事が出来ている。多分。と言うか持論なのだが、嗅覚は失われても影響が少ない感覚なのだと考えている。ガス漏れに気付かないかもしれない、自分の体臭に気付けないなどのデメリットは沢山あるが、どれも対策は可能だ。ガス漏れならば報知器の付いている物件を探せばいいし、体臭は毎日入浴するのは勿論デオドラント用品を活用すればいい。それに加えて、私は『自分じゃ分からないけど、他の人に良い匂いの人≠ニ思って貰う為に』香水をつけたり(勿論つけ過ぎには注意する)、良い香りのボディクリームを使用している。目に見えないお洒落、とは少し違うかもしれないが、家族と一緒にお店に行って似合う香りを選んで貰ったり自分の知識で商品を購入している。
今愛用しているのはジバンシィのオードトワレ、ランテルディだ。元々このブランドの商品を幾つか愛用しているのだが、去年の誕生月にミニサイズのこれをお祝いで頂いて、その香りが似合っていると言われて以来愛用している。夏場の体臭をマスキングするのにも良いし、デパコスの香水を愛用しているという事実が私の心を躍らせる。パッケージも可愛いのだ。

しかし、人間の五感と言うのはすごいなぁと最近とみに思う。私の場合は嗅覚を失っているが、視覚に不自由さを抱えている人の触覚の鋭敏さはすごいと思うし、聴覚の不自由さを抱える人は視覚が優れているケースが結構あると聞く。つまり、失われてしまったか元々持っていない感覚を他の感覚で補おうとしているのがすごいという事だ。
私の場合、視力は悪いけど視覚は元々強い方だ。一度見たものを記憶する力も強い方らしい。そして(最近困り気味でもあるのだが)聴覚が他の人より敏感になってきた。過敏と言い換えても良い。元々小さな音も高い音も低い音もうまく聞き取れる方だ。けれどもそれだけ音に過敏なので、外を歩くときにはウォークマンで自分にとって心地よい音≠聴いていないと怖い。不快な音が聞こえるだけで心臓がきゅっとなるし、嫌な気持になる。
家の中にも不快な音が幾つかあり、一番苦手なのは蛇口から水がポタポタ落ちる音。なので必要以上に蛇口を閉める癖がついた。
最近聴覚がどんどん敏感になっていると思い、何故そうなったのか考えてみたら『嗅覚を失った分、聴覚が冴えてしまった』と言う仮説が出来上がった。失った感覚を他の感覚が補う。書いてみればシンプルだし分かりやすい。けれどもその『適応』とも言える身体の働きで自身が不快になったり不安になったりしやすくなるのは如何なものだろうか、と思う事が増えた。

しかしそう言った事を考えこんで落ち込んでしまわない程度には図太く生きている、心算なのだが、他の人には繊細な人だねと良く言われる。もういっそその繊細な感性を活かして小説を書いて生きていきたいなとか、考える立春を過ぎた頃だ。

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